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彼女が好きなのは、俺か、俺の筋肉か(別章追加)  作者: 日室千種
彼女が好きなのは、俺か、俺の筋肉か
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流れ行きて、戻らぬもの



 何事も、できるかぎり自分で裏を取らなければならない。


 その信念に基づいて、俺は午後の仕事を猛烈にこなし、勤務が終わるや否や王宮を飛び出した。本当に流行があるならば、王都の賑わいの中に、必ず何がしか形が見えるはずだ。


 はたして、王都の書店には、庶民も気軽に物語を楽しめる貸本の一角があり、その片隅に、体格よろしい騎士を表紙に描いた女性向け小説もあった。だが、今やそれはごく少数派のようで、女性向け貸本のほとんどが、詩歌に長けた痩身の美少年が表紙のものばかり。

 筋肉礼賛の流行が確かにあって、今やそれは完全に下火だと、突きつけられた。

 俺はそこに呆然と立ち尽くしていて。

 次にやってきた市井の女性たちが、俺を見て小さな悲鳴をあげた。

 狭い通路を占領して、フード付きの外套で身なりを隠した大きな男が立っているのだ。さぞかし怪しかっただろう。

 俺は悲鳴に押し出されるように、よろよろと店を出ると、肩を落として騎士団寮の自室に戻ったのだった。




 では、彼女は流行りに乗って俺のところにやってきて、そしてまもなく去るのか。

 乾いた風が吹き、心がひび割れるのがわかる。


 上着を適当に椅子の背にかけ、ブーツは入り口近くで脱いで、ベッドカバーのピンと張られた上に座り込んだ。衣類掛けにかけて埃を払うのも今日は億劫だし、脱ぎ散らしたブーツが片方倒れても気にならない。


 簡易キッチンには昨夜作り置いた酢漬けや保存用の煮込みがあるが、食欲はない。

 夕食も取らないまま、俺はとっておきのグラスを出して、いつもは華茶に垂らすだけの酒を、どくどくと注いだ。


 流行、流行り。流れ行くもの。

 騎士の堅実さに魅力を感じて妻になりたくて近づいてくれたのだったら、どれほどよかったか。





 彼女に初めて会ったのは、半年ほど前。

 冬の最中、騎士たちもきっちりと軍服を着て訓練をしていた頃だ。

 同じあの道を歩いていたら、彼女が駆け寄ってきて、苔に滑って転びそうになったのを咄嗟に助けた。

 予想したよりはるかに軽い体に驚いて、俺はつい彼女の足が半分浮いたような状態で抱え上げたまま、まじまじと白い小さな顔を眺めてしまったのだ。


「しっかり鍛えてらっしゃるのね。素敵だと思います」


 ようやく気づいて離れようとした俺から離れようとせず、彼女は頬を染めてそう言った。

 ついでどこからか香りの良いサシェを取り出し、小さな手で俺に差し出した。


「これ、差し上げます。あの、もしよければ、腕を触らせていただけませんか」


 恥ずかしげにねだった。その上目遣いを覚えている。


 それを、受け入れた。というより、サシェを受け取ったまま固まっていた俺の腕を、彼女が軍服の上から勝手に撫でさすり、去っていった、と言うのが正しい。

 以来彼女は、週に一度くらいの頻度で現れた。俺の腕に、肩に触れて、語りかけ褒め称え、そして俺には一言二言の挨拶と何かしらの品を与えて去っていく。


 繰り返していれば、いやでもわかる。彼女の目には、俺の腕、いや筋肉しか映っていない、と。


 だが、俺の方は違う。

 最初から彼女を小さくて可愛いと思ったし、そのたおやかな手が俺の腕を愛でれば、俺の心まで慰撫されていると感じた。要するに、俺は初めから彼女を好ましく思っていた。彼女が求めるなら腕だって何だって差し出すほどに。


 俺がそんな心情でいるせいか、会うたびに何となく距離は近くなり、彼女の触れ方にも遠慮がなくなり、俺の着る物が薄くなっていくほどに、彼女は大胆に俺の筋肉を堪能する様になっていたのだ。

 ちなみに、あくまで服の上からしか、触れられていない。男としてはもどかしいような、有難いような。


 そろそろ、関係を進めたい欲はある。

 ただ、いつでも彼女を閉じ込めてしまえる危険な場所なのに、俺の腕の中にすんなり入って落ち着いている彼女が、このままどこまで気を許してくれるのか。知りたい気持ちに負けてしまう。

 俺の筋肉を幸せそうに愛でている彼女を見ているのが、とても心地よくて。

 それで今日も、何も問えずに彼女を帰してしまった。


 だが。

 二人を繋ぐものが、流行という頼りないものでしかないならば、次の機会は絶対に逃してはならない。

 俺は空になったグラスを、部屋をぼんやり照らす灯に透かして見た。

 俺と彼女の関係に名前を付けるには、どうしたらいいんだろう。

 貴女は、俺の筋肉だけではなく、俺にも興味を持てるだろうか、と問いかけて、その先は?


 しかし、俺の夜半の物思いを嘲笑うように、流れはすでに遠く行き過ぎていたようで。

 その日以降、彼女があの道で俺を待っていることのないまま、夏もまた流れ去ってしまった。






 このところ寝不足が続いている。

 職務に影響は出さないように努めていたし、成功もしていた。ただ、弁当作りはもちろん、自炊をする余力はない。夜欠かすことのなかった自主鍛錬も見送りがちだ。

 食欲もないが、最低限、食べなければならない。ゆえに、ここしばらくは、昼の食堂に通っている。


「アルバイン!」


 朗らかな声で名を呼ばれたと思えば、ひらりとランドリックが向かいの席に座った。

 優雅な振る舞いでそう感じさせないが、この男も相当の長身で、鍛えられた体をしている。俺より線が細く、しなる鞭のようだ。

 ランドリックほどの体重だと、空翔馬も嫌がらずに乗せてくれるはずだ。選択の幅が出るのは羨ましい。


 俺はどう工夫してもすぐ厚みがついて重くなる。空翔馬には、跨ることすら拒否されたさ。

 くさくさとした感想が出てくるが、口にはしないので問題ない。

 大体、あれからランドリックの所属する空翔馬部隊は北方の地へ遠征(という名の訓練)に行っていたはずだ。帰還は昨夜遅かったはず。

 なのに何故昨日の今日でこんなに元気なのだろう。


「まだ暑いなこっちは。北は雪だったのに。なんだ、今日は弁当じゃないのか」


 軽口を叩く満面の笑みに、激しい違和感を感じた。

 数ヶ月前に食堂で助言を押し付けてきた時の、いかにも面倒そうな顔や呆れた笑い顔はどこへいったのか。やや薄気味が悪いほどの軽快さだ。


「何の用だ」

「あの後のことを聞こうと思ってさ」


 敵に斬りつけられたような衝撃。殺意が湧きかけたが、さすがにこいつに責任はない。


「……彼女は」

「どこまで進んだ? もう婚約に進んだり?」


 以前と言うことも違いすぎる。適当な態度に腹が立つが、いずれにせよ俺はもう、誰かの意見を求める段階を過ぎている。


「あれから会えていない」

「そうか、素行調査が入るとなったら俺が――はあ?」

「失礼、明日にはこちらの部隊は東部に遠征だ」


 明日の準備もあるのは本当だ。そのために午後は地削獣部隊全員が半日休となっている。

 だがそれと別に、終わらせておきたいことがある。

 俺は、何故か唖然として立ち尽くすランドリックを置いて、寮へと戻った。



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