婚約破棄は構いませんが、こんにゃく廃棄は許しません
「グンマリリー・トーチギ! もう我慢ならない、貴様との婚約は破棄、お前の持ちこんだ全てのコンニャクは廃棄する!!」
王宮で盛大に行われていた舞踏会の最中、大広間に響きわたる声。
大広間は水を打ったように静まりかえり、人々の視線は声の主へと注がれる。
周囲の目など意にも介さず仁王立ちしている男、この舞踏会の主役、王太子コレステロールである。
そして、コレステロール王子と向き合うように立っているのは、絶世の美女とは言えないものの、異国情緒漂う艶やかな黒髪とハリのあるキメの細かい白磁のような白い肌が印象的な令嬢グンマリリー。
「殿下…………恐れ入りますが理由を伺っても?」
婚約破棄とコンニャク廃棄を告げられた令嬢──トーチギ侯爵家のグンマリリーは表情を崩すことなく静かに王太子コレステロールを見据える。
「コンニャクが生臭いんだよ!! もううんざりしているのだ」
「殿下、こんにゃくの主成分であるこんにゃくマンナンには臭いや味はありません。生臭いのは、エグミの元であるアクをとるために使っている灰汁や、凝固剤として使用する水酸化カルシウムです」
こんなことは王族であれば誰でも知っているイロハのイだ。
愚かだとは思っていたが、まさかこれ程とは……。
グンマリリーは内心失望するが、それでも、それを表に出すことはしない。
「そんな小難しい理屈はどうでもいい!! それより私は知っているんだぞ、お前が実家の力を笠に着て国中にコンニャクをバラまいていることをな!!」
「…………」
実家の力を笠に着てなどいないが、国中にコンニャクをバラまいていること自体は事実だ。
しかしコンニャクの普及は王国の国是であり、何よりも国王陛下の御命令なのだが?
それに殿下は気付いていらっしゃるのだろうか?
いくら王太子といえども、国中の要人が集うこの場所で、公然と国王陛下の方針に異を唱えたに等しいということの意味を。
「それにな、私はお前のような地味で理屈っぽいな女ではなく、もっと華やかなで可愛らしい女性が好きなのだ。そう、彼女のように」
殿下の背後から隠れるようにこちらを覗う小柄で可愛らしい令嬢。
たしか……ジャガイモ男爵家のメイクイーンさまだったかしら?
ふわさらの明るいブロンドの髪は舞踏会の照明に良く映える。王都で流行りのトルネードロールは小顔に見せる効果もあって、ミルクホワイトのドレスは純真さと清潔感をこれでもかと醸し出している。
そういえば……殿下はああいういかにも少女然としたタイプがお好きでしたわね。
もともと望んだ婚約でもなく、見た目だけしか取り柄のない王子に対する熱など無かったが、まだ下がる余地があったのかと驚く。急速に感情が冷めてゆくのを感じる。
婚約破棄など正直どうでもいい、というかむしろ有りがたいとすら思うが、ことはそう単純ではないのだ。私には立場も責任もある。
「殿下、婚約破棄はともかく、コンニャクを廃棄するのはお考え直しください」
「問題ない。そもそも収穫まで3年もかかるコンニャク芋など効率が悪いし、ポテチにならない芋など不要だ。私が王となった暁には、コンニャク芋畑はすべてジャガイモ畑に変更する。そしてこのメイクイーン嬢こそ新しい王国、そして我が妃にふさわしい理想の女性。ここに彼女との婚約を正式に宣言するぞ」
なるほど……メイクイーンさまのご実家は新しい品種を売りに台頭してきた新興ジャガイモ貴族。殿下のポテチ好きを知って接近したのか。
貴族とはいえ、一代限りの男爵家。生き残るためにも上位貴族に取り入りたいのは当然だろう。その相手が王太子というのはいささかやり過ぎと言うか、いかにもマナーを知らない新興貴族というところだが、理解できなくもない。
問題は殿下だ。あまりの無知さに驚きを通り越して呆れるしかない。
たしかにコンニャク芋は収穫までに長い期間を必要とするし、ジャガイモのように茹でたり焼いたりしてもそのまま食べることは出来ない。
しかし、長年肥満やそれにともなう生活習慣病に苦しむ王国が、東の健康大国に泣きつき救世主として迎えたのが、コンニャクではなかったのか?
輸入コンニャクは非常に高価だ。
コンニャクによる恩恵は、王家や裕福な一部の高位貴族にとどまり、弱体化を極める国軍や労働力の源泉である一般の民へは届かない。
コンニャクの国産化は生活習慣病に苦しむ王国の悲願であったのだ。
だがコンニャク芋の栽培は非常に難しい。そこで王国は前途有望な若い貴族たちを健康大国へ留学という名目で送り込んだ。表向きはコンニャク芋の栽培技術とコンニャク製造方法を学ぶため。
だが、本音はあわよくば技術をもった名門貴族と婚姻関係を結ぶことであったことはいうまでもないだろう。
国を上げた留学攻勢が功を奏し、トーチギ侯爵家に嫁ぐことになったのが、代々コンニャク芋栽培で名を上げてきた名門マンナン伯爵家令嬢だった私の母。
政略結婚ではなく、トーチギ侯爵の純朴な人柄に惹かれた恋愛結婚だったと聞いている。
母が嫁いできた当初、この国の土と気候ではコンニャク芋の栽培は不可能だと諦めかけたらしい。
コンニャク芋は寒さに弱くすぐに腐ってしまうからだ。
それでも母は諦めなかった。
この国にコンニャクを根付かせる。その使命にも似た想いがあったのか、それはわからない。
気が遠くなるような試行錯誤の末、ついに母はコンニャク芋の栽培に成功したのだ。
だが、決して身体が丈夫ではなかった母は、私を産んだ後、すぐにこの世を去った。
私には母との思い出はない。どんな声をしていたのか、どんな風に微笑みかけてくれたのか、私は知らない。
「殿下、コンニャクを廃棄することだけはやめてください」
「何だと……この私に意見するつもりか? 場合によっては反逆罪に問うことも出来るんだぞ」
「この国にはコンニャクは必要です。我が身かわいさで申し上げているのではありません」
母が命を懸けてようやくこの国でも安定した収穫が出来るようになってきたのだ。
私が守らなければならない。
コンニャクは……母の生きた証そのものなのだから。
「婚約破棄もこんにゃく廃棄も、陛下はご存知なのですか?」
「ふん……これから報告する」
やはりそうか。聡明な陛下がお許しになるはずもない。
ならば、まだ間に合う。このままでは殿下といえども、処分は免れない。それは本意ではないのだ。
「お待ちください。どうか先程の宣言撤回を。せめてこんにゃく廃棄だけでも!!」
両手を広げて殿下の前に立ちふさがる。
「ええい、邪魔だ!! 衛兵、こ奴をさっさと連れ出せ!!」
大広間に困惑が広がる。だが衛兵たちは動かない。
彼ら衛兵は国王陛下直下の兵であり、あくまで王宮の警護が任務。王子の私兵ではないのだ。
たとえ殿下が婚約破棄を宣言したところで、この婚約を決めたのは国王陛下。となれば、現時点では私はまだ婚約者であり、次期王妃という立場には変わりがない。
だが、殿下の性格上、このままだと彼らに迷惑がかかってしまう。
「構いません。よろしければ、エスコートお願いできるかしら?」
これ以上この場に留まれば、皆に迷惑がかかるし、殿下が取り返しもないほどエスカレートするかもしれない。ここが潮時だろう。
「待て、その必要はない!!」
再び大広間に響きわたる声。
王族専用の通路から姿を現したのは、精悍な容姿に輝く銀色の髪をなびかせた偉丈夫。
会場のざわめきは、その尋常ならざる容姿と、一体何者なんだと言う困惑が入り混じったもの。
「何者だ!! 無礼者め!!」
「なんだ兄の顔を忘れたのか?」
コレステロールの恫喝など、そよ風のように受け流し、頭一つ上から見下ろしつつ両肩をすくめる偉丈夫。
「何っ!? あ、兄上……なのか? だが、その声はたしかに……そんなまさか……」
コレステロールの兄と言えば、王国には一人しかいない。
コウカロリー王国第一王子デトックス。
名君である父王に似て温和で優秀だったが、病に倒れ、余命はそれほど長くはないだろうといわれていた。
コレステロールが王太子となったのは、あくまで代役としてやむを得ない事情であったのだ。
「コレステロール、お前には迷惑をかけたと思っている。だからある程度のことは見逃そうと思っていたのだが……」
温和ではあるが、その射るような精悍なまなざしは怒りという熱を帯び、弟を震えあがらせるには十分過ぎる迫力がある。
「わ、私は何も悪いことはしていない!! 好きなものを好きだと言って何が悪いというんだ!!」
「……お前は何もわかっていないんだな。国のことも婚約者のことさえ何も……」
デトックスが辛そうに目を細める。それは憐れみなのか悲しみであったのか。
「やめろ、その何でもわかったような上から目線が昔から嫌いだったんだよ!! 生まれたときから兄上のスペアとして扱われてきた気持ちがわかるか? 今更のこのこ現れて偉そうに説教なんてふざけるなっ!!」
優秀な兄を持ったばかりに常に劣等感に苛まれてきたのだろうか。
兄の婚約者であった私と婚約破棄をしたのも、兄に対するせめてもの抵抗だったのかもしれない。
だからといって同情はしない。王族や貴族というのは、その責務と引き換えに成り立っているのだから。
「グンマリリーは元々私の婚約者だ。婚約解消は認めよう。陛下からもお許しは得ている。だが、コンニャク廃棄は認められない。なぜだかわかるかコレステロール?」
「馬鹿な、コンニャクが何の役に立っているというんだ? 現に私は一度も口にしたことはないが、なんの問題もない」
「……一度も? まったく……知らないのか? お前の食事にはグンマリリー自らが育てたコンニャクが使われていることを。私の病が治ったのも、陛下が健在であられるのも彼女のコンニャクのおかげなんだぞ」
「……う、嘘だ、そんなこと誰も教えてくれなかった」
きっと知ろうともしなかったのだろう。誰が作ってくれたのか、どんな食材が使われているのか。
知らないことを責めはしない。実際ほとんどの人々はそんなことに興味など持っていないのだから。
私も別に褒めてもらいたくてしていたわけでもない。今更隠すことでもないけれど。
「本当ですよ、殿下。私が一生懸命育てたコンニャクです。そのせいで手はこの通りボロボロですけどね」
私の手は農作業でボロボロ。だから普段は手袋が欠かせない。
でも恥ずかしいと思ったことはない。
良く母を知る乳母が話してくれたから――――
「奥さまはいつもこの手袋をしてからお嬢様を抱いていたのですよ。せっかくの玉のような肌を傷つけたら大変だからって」
それに……婚約が決まって、初めてお逢いしたとき、デトックス殿下は私に言ってくださいましたね。
「グンマリリー、君の手はとてもきれいだね」
嬉しかったのですよ……とても。母を褒めてもらったような幸せな気持ちになったのです。
「グンマリリー、君の手はコンニャク芋のように美しいからね」
私の手を取り口づけを落とすデトックス殿下。
「あら、デトックス殿下、貴方だけです。そんなことを言ってくださるのは」
見た目は変わっても、中身は昔のままなのですね。
「コレステロール、今まですまなかったな。これからは好きに生きるといい。メイクイーン嬢、弟を頼むぞ」
「……兄上」
「か、かしこまりました」
◇◇◇
一年後、私たちは正式に結婚の日を迎える。
「グンマリリー見てくれ、コレステロールから立派なジャガイモが届いたぞ」
「まあ素敵。今夜はこんにゃくたっぷりの肉じゃがですわね」
コレステロール殿下は、自ら王位継承権を放棄、メイクイーン嬢と一緒に王国屈指のジャガイモ生産者として幸せに暮らしている。
おしまい。