第五節 「Then the world began.《そして世界は始まった》」
凱が雑居ビルの一階のタピオカジュース専門店に入ると、待ち合わせていた情報屋がすでに席についており、凱に気づいて満面の笑みで手を振ってきた。赤と黒のチェックに白のフリルがついたロリータ服に、黒の厚底ブーツとチョーカー、涙袋を強調するアイシャドウは赤紫色で、肌が白く見えるメイクをしていた。髪型は赤と黒のチェックの大きなリボンで二つに結んだツインテールで、前回よりも異彩を放っていた。
その向かいの席に、癖の強いボサボサの黒髪に、首から銀色のネックレスをぶら下げ灰色のノースリーブシャツに黒革のジャケット、下は黒革のズボンにチャックが剥き出しになって強調されているブーツを履いたロック系ミュージシャンのような姿の男が座ったのだから、店内は二人の話題で持ちきりになる。
情報屋は注目を集めていることに気づいてニヤニヤしていたが、凱はまったく気に留めておらず、やたらと上機嫌そうな情報屋を見て今日はご機嫌とりをしなくて済みそうだくらいにしか考えていなかった。
「おっそ〜い!」
身を乗り出してテーブルをばしばし叩く情報屋。
「時間通りのはずだ」
凱は銀のチェーンの腕時計を見ながら短く答える。
「そんなことわかってる〜。でも今日はガイッピの方から誘ったんだから、普通一時間前から待機してるのが常識だ・ぞ☆」
「その名で呼ぶな。それに前回はお前の方から誘っておいて遅刻してきたじゃないか」
前回よりラメが塗りたくられたギラギラのつけまつげでウィンクする情報屋に、凱は嫌悪感を顔に出さないようにしながら至って冷静に返す。
「もぅ。私が誘っただなんて、ガイッピったらそんな風に思ってたの? スケベなんだから♡」
情報屋は人差し指で凱をさしながら大袈裟に首を傾ける。凱は隠しきれずに目尻を引きつらせたが、情報屋はほほを赤らめるばかりで、まったく気づいていないようだった。
「それで、今日はどうしたの? アユッピ心臓ドッキドキなんだけど。早く教えて?」
情報屋は赤いカラーコンタクトを入れた瞳で期待の眼差しを向ける。
「実はな、純正の安定器が手に入ったんだ」
凱がどうだとばかりに救世主から拝借した安定器を取り出してゴトリとテーブルに置くと、情報屋はまばたきを忘れて固まる。
「…………は?」
数秒の思考停止のあと、情報屋は声を作るのも忘れてドスの効いた低い息を漏らす。
「救世主から奪ったものだから俺には使えないが、お前ならこれを解析して俺の安定器を強化できるんじゃないかと思ってな」
「…………待って。まさか、そのためだけにこの花のJKアユッピを呼んだの?」
腐った掃き溜めを見るような目で聞く情報屋に、凱は当然だと言わんばかりにうなずく。
重苦しい沈黙が続いたあと、情報屋はこれ以上ないくらい深いため息をついて、テーブルにあごを乗せた。
「チッ、最っ低ぇ……」
鋭い舌打ちをして悪態をつく情報屋。凱は見たことがないような満面の笑みから疲労感に苛まれた過労死寸前の会社員のごとき地獄の表情にまで落ちた情報屋に困惑する。
「どうした、腹でも痛いのか」
「チッ」
情報屋は答えず、舌打ちとともに凱のすねを蹴り上げる。
「なんだ急に。痛いじゃないか」
「リアクションうっす〜」
口を尖らせる情報屋の目線は何も置かれていないテーブルの上を泳ぐ。
「それで? どうなんだ。解析できるのか? できないのか?」
「……ガイッピさぁ。確かに私は可愛くてめんこくておにかわな天才情報屋だけど、」
「意味被ってるぞ」
再び強めにすねを蹴り、情報屋は酷い猫背でテーブルにあごを乗せたまま凱を睨み上げる。
「アユッピ情報屋だよ? 文系だよ? 科学者でもなんでも屋でもないんですけど」
「……そうか。いや、お前の知識量ならできるかもしれないと思ってな。すまない。入手経路も聞かずに解析してくれるような研究者のあてもないんだ。紹介してくれないか?」
情報屋は凱を圧迫するように低い大きなため息をついて、テーブルの上のタピオカジュースをかき混ぜる。
「は? なんでアタシが紹介してあげなきゃいけないの。そんなの、ガイッピの安定器作った奴に聞けばいいじゃん」
「俺のは非合法な手段で手に入れたからな。誰が作ったものなのかわからないんだ。俺に安定器を売った売人とも連絡がつかなくてな。確実に足が付かないようにするにはお前に紹介してもらうのが一番なんだ。金は払う。頼めないか?」
「闇サイトの売人にでも頼んで紹介してもらえば? そんで純正の安定器借りパクされた上に罪なすりつけられて捕まれば? ていうか捕まれっ!」
情報屋は怨念を込めて厚底のブーツですねを蹴り上げる。勢いが強すぎてテーブルががたりと音を立て、タピオカジュースの水面が揺れた。
「痛いじゃないか。何をそんなに怒ってるんだ」
「わかんない? リアルでアユッピに会って惚れちゃったのかな〜なんて思いながらウッキウキで勝負服着込んで一時間以上前からスタンバってた女の子の気持ちがわかんないわけぇ?」
コロコロと表情を変えながら身振り手振りを交えつつ早口でまくしたてる情報屋。凱は今までのやりとりから、このままでは機嫌が治るまで情報が引き出せなくなるとわかっていたが、ただでさえ傍若無人なこの男に異性の気持ちを理解しろというのは無理な相談だった。
「すまない、女心はわからない。何か気に触るようなことをしたのなら謝る。この安定器の解析も、なんとかして他をあたってみる」
あまりにも申し訳なさそうな顔で謝罪され、やるせない心境になった情報屋はばつが悪い様子で仕舞おうとする凱の腕を掴む。
「……いいよ、知り合いに頼んであげる。た・だ・し! 紹介はしてあげない。その代わりお金ももらわない。それでいいでしょ? まったく……」
情報屋はその後もアヒル口で何事かぶつぶつとつぶやきながら、安定器をバッグに突っ込んだ。
「感謝する」
「じゃあタピオカ奢って」
「いいだろう。お前にはそれくらいの恩はある」
「ーーーー店員さ〜ん!! トロピカルレインボータピオカ十個ね。テイクアウトしたいから帰りに渡して。保冷剤付きで」
情報屋はむくりと身を起こし、大声で店の奥の店員に声をかける。
「……多いな」
「悪い?」
「いや、構わない」
じろりと睨まれ、凱はそう返すしかなかった。
「ありがと〜♡ ついでに今日のために新しく買ったこの洋服と厚底ブーツの代金も払ってくれると、アユッピ嬉しいなぁ〜惚れなおしちゃうかもなぁ〜」
声を作って可愛げに手をほほに当ててこそいたが、目が笑っていなかった。
「そうか、お前も何かと大変だな。わかった、あとでメールで請求してくれ。いつもの口座に振り込んでおく」
機嫌を取るために凱が了承すると、情報屋は突然真顔になる。
「は? マジ?」
また声を作るのを忘れていた。というか、口調すら素が出ていた。
「マジだ。金ならある。それに、お前や俺の身の安全のために揃えたんだろう? 必要経費だと思えば安いものだ」
凱は情報屋の奇抜な格好を変装かなにかだと思っているに違いなかったが、情報屋はもはや考えるのをやめた。
「……あっそう。ありがと〜ガイッピってばイッケメ〜ン」
「気にするな」
完全に棒読みだったが、凱は情報屋の言動にいちいち取り合う気はなかった。
「そろそろ本題に戻ろう。救世主のことで、わかったことがある。お前の助言通り力の弱い単独行動をする救世主で検証してみて正解だった」
「へぇ。その口ぶりだと、少しは苦戦したんだ。なんともなさそうに見えるけど。……腕とか取れとけっ」
毒舌を吐く情報屋を無視し、凱は続ける。
「お前の読み通り、救世主はイリーニの力と似たような能力を持っていた。獄炎を浴びても無傷だったし、救世主を包んだ炎は操れなかった。おそらく、お前の言う通り銃弾や刃物でも傷つかないだろう。ハートブレイクも通用した。だが奴の能力は防御系だけじゃなかった。光の筋を地面に走らせて、俺を攻撃してきた。当たった箇所からは煙が上がった」
「へぇ。痛かった?」
情報屋は頬杖をついて適当に聞き流す。
「いや、鎧にかすっただけだ。しかしどういうことだ? 奴は間違いなくイリーニの信徒だった。平和の神が、なぜ攻撃的な力を信徒に授けた?」
「イリーニ様から力を授かった救世主が、その能力で人を攻撃したなんて情報はない。多分だけど、ガイッピみたいな悪魔にしか効かないんじゃない?」
あごに手を当てて少し思案した後、凱は腑に落ちた様子で口を開く。
「……なるほどな。対悪魔専用の能力ということか。それなら納得だ。だが、これでイリーニ討伐は一気に遠のいたな。俺が救世主を殺したことはすでに広まっているだろうし、今仮にイリーニを呼び出せる救世主の居所がわかったところで、対悪魔専用の能力で袋叩きにされるのがオチだ。人間を巻き込むことがないなら、肉壁も使えない」
「もう一つ、悪いニュース」
情報屋は天井に向けてぴんと人差し指を立てる。
「なんだ?」
「イリーニ様を呼び出せる救世主は確かにいる。ならどうして誰も名前さえ知らないのか、調べてみたの。答えは簡単だった。イリーニ様を呼び出せる救世主は、みんな相当な権力者みたい。そして、自分が神様を呼び出せることも、そもそも救世主であることすら、他の信徒たちには隠してる。権力者の中では流石に共有されてるみたいだけど、社会的な地位が高すぎて、私の情報網には引っかからない。多分私じゃ一生かかってもファーストネームすら暴けないでしょうね」
「そうか。お前ほどの情報屋でもわからないなら、強硬手段に出るしかないな」
「うん。権力者を拉致って直接吐かせるしかないと思う。でも、ガイッピ一人じゃ返り討ちに遭うのがオチ」
「手詰まりだな」
背もたれに深くもたれかかってため息をつく凱。情報屋はしかし、首を横に振った。
「方法はある。拉致や尋問に長けた悪魔を雇えばいい。かなりの大金を積めば、向こうも商売だから、そう簡単に裏切るようなことはないはずだよ」
「大金か……確かにそうかもしれないな。利害関係が一致するだけの金を積めば、悪魔とて裏切らないか。神側に寝返るとも考え難いしな」
「そういうこと」
「……また守銭奴でも襲うか。ハートブレイクで願いを叶えて、死体から金を巻き上げればいい」
凱は顔色一つ変えず、当たり前のようにつぶやく。
「あー怖い怖い。悪魔って、元は人間のくせに慈悲はないのかしら」
「どうでもいい他人の命だ、知ったことじゃない。それより、俺は他の悪魔と交流なんてないぞ? あてはあるのか」
「ある」
短くそう答え、情報屋はスマホを取り出す。