第十五節 「I made the wish on the devil.《私は悪魔に願いを託した》」
凱は山道のそばに設置された公衆電話から電話をかけていた。
永遠にも感じられるような長い長いコール音のあと、ようやく繋がった相手は無言だった。
「ーーーー酒川」
『いたずら電話ですか?』
凱には、その男の声が懐かしく感じられた。
『獄炎の悪魔は神器を授かった神童に殺されたそうじゃないですか。信徒も悪魔も、その話題で持ち切りですよ? 声こそ良く似ていますが、見え透いた嘘ほど退屈なものはない。こんな下らない冗談はこれっきりにすることですね』
ガチャリと電話が切れる。
凱は再び硬貨を入れるはめになった。今度はワンコールで出た。
「酒川」
『……またあなたですか。獄炎の悪魔に憧れる気持ちは分かりますが、生憎あなたと遊んでいられるほど私は暇じゃない。ネットの掲示板にでも書き込んだらどうですか?』
また一方的に電話を切られた。
凱は硬貨を入れ、かけ直す。
『しつこいですね。知り合いでもないあなたを構ってやるほど私の心は広くない。次は出ませんよ?』
「ーーーー酒川っ、何のつもりだ。いい加減にしろ!!」
凱が声を荒げると、大きなため息をついて酒川は答える。
『……それはこっちの台詞です。あなたは事を急ぎすぎた。自分ならどんな困難もたやすく乗り越えられるとでも思っていたんですか? 滑稽ですね。確かに獄炎の悪魔は強かった。イリーニの加護すら打ち破ったその力に、憧れた時期もありました。ですが、獄炎の悪魔は死んだ。仲間の忠告も聞かず、あろうことか仲間を操って情報を引き出し、単身で敵の本拠地に乗り込んでね。おかげで、私がやっとのことで手に入れた情報も無駄になった。犬死の方がまだマシです。喜劇の主人公を演じるのは勝手ですが、巻き込まれるこっちは悲劇でしかないっ!!』
激昂する酒川に、凱はやるせない気持ちで謝ることしかできない。
「……すまなかった。お前の言う通りだ」
『なぜあなたが謝るんです? 私はただ、名前も知らないいたずら電話をするガキに、理不尽にやつあたりしているだけです』
「何が言いたい?」
『何も言いたくありません。でもあえて言うことがあるとすれば……私の仲間を知りませんか? あなたにそっくりな声をした、二十代前半くらいの若造でね。大切な人を取り戻すために命をかけた盟友なんですが、このところ連絡がつかなくて。あの時の誓いを、忘れていなければいいんですが』
「忘れてない。俺はまだ諦めてなんかいないっ! この命にかえても、歩美を取り戻す!!」
『いたずら電話をするクソガキのくせに、随分と知ったような口を聞きますね。ーーーーあなたは、誰ですか?』
凱は、ようやく酒川の意図がわかった。
「……麻倉凱だ」
『そうですか。どこかで聞いたような名前ですが、まぁ気のせいでしょうね。はじめまして、私は戸川隆一と言います。あなたとは仲良くなれそうだ』
「戸川隆一……? それがお前の本名なのか?」
『何を驚いているんです? はじめて知り合ったんですから、名前を言い合うのは当然でしょう? それで、麻倉凱さん。獄炎の悪魔は死にました。私が手に入れた情報ももう意味をなさないでしょう。ですが、まだ希望はあります』
「ーーーーなんだと!?」
『教典が百年ぶりに更新されました。あなたはいなくなった私の盟友に似て馬鹿そうなので簡単に説明すると、すべての創造神神王の代わりに信徒が書いた日記のようなものです。更新された第十五節のタイトルにはこうあります。……I made the wish on the devil.』
「……どういう意味だ?」
『《私は悪魔に願いを託した》という意味です。それまでの文脈から察するに、争いのない理想郷を作ることが神王の願いです。それを悪魔に託したということは、悪魔の中に、神王の力を授かった者がいる可能性が高い。それも今、この現代に!』
「ーーーー悪魔の力と、神の力を併せ持った奴がいるってことか?」
『そういうことです。そしてその悪魔は理想郷のために力を使うでしょう。教会の性根が腐った権力者たちは間違いなく一掃される。その混乱に乗じて運良く味方につけることができれば、神器を授かった救世主とも容易に渡り合えるでしょう』
「イリーニの神器とも、神王の力だけで渡り合えるのか?」
『神王はすべての創造神です。今でこそ全知全能ではありませんが、その力は神王以外のすべての神の力を引いて余りある。神器は単なる力より遥かに強い。ですがそれが神王の力となれば、話はまったく違います。ーーーー渡り合えるどころか、圧倒できるでしょう』
不意に、安定器を入れたズボンのポケットがずんと重くなった。
不思議に思った凱が安定器を取り出すと、スマートフォンのようなシンプルなデザインをしていたはずのそれに、白金の、無数に枝分かれした木の根のエンブレムが描かれていた。
『どうしました?』
反応がなくなり、声をかけてくる戸川に、凱は尋ねる。
「ーーーーなぁ酒川。神王のエンブレムって……」