第十四節 「I creaeted a demon.《私は悪魔を作った》」
重いまぶたを開くと、薄暗い部屋の中で、ランプに照らされた煤だらけの天井が見えた。
「ーーーーあ、いっ……!!」
慌てて飛び起きようとして、左肩と腹に酷い激痛が走った。
「……ダメ、寝テテ!」
なまりの強い幼い声が聞こえる。走り寄ってきた肌の黒い少女が、心配した様子で凱を布団に寝かせた。
「君は、一体?」
喋るだけで軽く傷んだ。しかし、体を見ると粗悪なボロボロの包帯が何重にも巻かれていた。どうやら手当てしてくれたらしい。
「ミーシャ。ワタシ、ミーシャ」
「ミーシャ? じゃ、じゃあ……」
明らかにこの国の名前ではなかった。なまりも、方言というより慣れない外国語を喋っているように聞こえる。
「コノ国ノヒトジャナイ。イヤ?」
今にも泣き出しそうな顔をするミーシャ。凱は慌てて首を振る。
「嫌じゃない。むしろ、……ありがとう。俺を、助けてくれたんだろ?」
ミーシャはコクリとうなずき、得意げに笑う。
「アナタ、川ニイタ。チガナガレテタ、苦シソダッタ。ダカラ、ミーシャ、ナージャヤハハ呼ンデ運ンダ」
ミーシャの言葉は片言だったが、凱のために一生懸命口を動かすその姿に凱は温かい気持ちになった。
「ナージャっていうのは、君の家族?」
ハハというのは、母親のことだろうか。
「ウン。ナージャ、アニ。ナージャモハハモ、優シイ。ダイスキ」
くしゃりと笑うミーシャ。その笑顔だけで、愛し合っている家族なのだろうと分かった。
横になったまま軽く見回しただけで、ミーシャの家庭環境を窺い知ることができた。そのくらい、ミーシャの家は狭く、壁や天井、床に至るまでどこもかしこもささくれだったボロボロの木が剥き出しだった。照明はガラスにひびが入った安物のランプの火しかないようだ。
「ドウシタ?」
不思議そうな顔をするミーシャに、凱は笑いかける。
「いい家だな」
「ウン、イイイエ。ワタシ、ダイスキ」
その後、水汲みと山菜採りに行っていたナージャと母が帰り、四人は低い丸テーブルで食卓を囲んだ。ナージャも母親もミーシャによく似ていて、くしゃりと特徴的な笑顔をみせた。
母親は名をアレナと言い、紛争に巻き込まれて父を亡くした三人は、戦争のないこの国に移住してきたのだという。夕食は採ってきた山菜をお湯に浸したスープが主食で、三人の生活はお世辞にもいいものとは言えなかったが、アレナは不平を漏らすどころか、この国をいい国だと言って嬉しそうに笑った。
「ーーーーワタシ、コノ国、ダイスキ。コノ町モダイスキ。コノ町、イリーニ様ノ教会アル。イリーニ様、タクサン、戦争終ワラセテクレタ。イリーニ様、誰モ殺サナイ。イリーニ様、平和ノ神様。ワタシ信ジテル。イリーニ様、キットワタシタチノ国ノ戦争モ、終ワラセテクレル。イリーニ様、キット、誰モ悲シクナイ世界、作ッテクレル!」
曇りのない澄んだ瞳で語るアレナに、凱は何も言えなかった。
自分がイリーニを殺すために生きる悪魔であることも、イリーニを信仰する信徒や、何人もの罪のない人たちの命まで、奪ってきたことも。
それでも三人は何も言わなかったし、尋ねることさえしなかった。
そのまま、あっという間に何日もの日々が過ぎていった。
三人は怪我人だからと凱をいたわってくれ、精神的にも肉体的にも疲弊していた凱は、つい甘えてしまった。それでも、三人は嫌な顔一つしなかった。凱はすぐにミーシャやナージャに懐かれ、恩返しにとこの国の言葉や文化を教えてあげると、二人はくしゃりと笑って喜んだ。
アレナも凱が二人に勉強を教えてくれることを心から喜び、凱がいいなら、怪我が治ったあとも一緒に暮らしてほしいとさえ言った。
そして、ようやく動けるようになってきたある日の夕方、凱はまだ痛む体を引きずり、町の市場へ行った。川に浸かってダメになっていた財布の紙幣も乾いていたので、凱はそれとなく三人の好きな食べ物を聞き出し、買い出しに出かけたのだった。
しかしその帰り、食べ物でいっぱいになった紙袋を持って凱が戻ると、家に人だかりができていた。
嫌な予感がして、凱は紙袋を放り出して人だかりをかき分けていった。
そうしてようやく視界が開けたとき、凱は驚愕する。
「…………は?」
家に火がついていたのだ。遠目で気がつかなかったのは、まだほとんど火の手が回っておらず、煙も料理と区別がつかない程度だったからだ。
「ミーシャ? ナージャ?」
制止する声を振り切り、凱は火の中に飛び込んだ。ただの火事なら、まだ助けられる。この程度の火ならとっくに逃げ出しているに違いないとは思ったが、火を消そうともせずただ立っているだけの人だかりを見て、凱は胸騒ぎがした。
予感は、的中した。
ナージャもアレナも、まだ家の中にいた。
そして、すでに手遅れだった。
凱は膝から崩れ落ちる。そのほほをいくつもの大粒の涙が伝った。
「ーーーーなんで、なんでだよ……なんで、こんな……なんでだよっ!!」
絶叫する凱。
目の前に横たわるナージャの鼻はグズグズに潰れていて、手の爪がすべて剥がされていた。アレナは服を脱がされ、身体中切り傷でずたずたになっている。
「ミーシャ?」
リビングの方から、ミーシャの細い足が見えた。
慌てて駆け寄り、後悔する。
凱は激しく嘔吐した。
立ち込める独特な悪臭。剥き出しにされた鼠蹊部から、元凶である血が混じった白濁液が流れ出ている。
ミーシャに大きな怪我は見当たらなかったが、裸にされたその幼い少女は、目を異常なほど見開いて、折れた歯を見せ、力なく笑っていた。
「兄ちゃん、危ねぇって! 早く出な」
人だかりの中の中年の男が入り口から顔を出し、心配そうに声をかける。
その位置からはナージャやアレナの無惨な遺体が見えているはずだったが、その表情に悲しみの色はない。
凱は男につかみかかり、地面に押し倒す。
「ーーーーなんでぇぇ!! どうして助けなかったぁ!!?? どうしてお前は、そんな顔してられるんだよっっ!!」
中年の男は息のかかる距離で怒鳴られ、萎縮しながら答える。
「……アンタ、見ない顔だな。なら無理もないか……。コイツら、悪魔を匿ってたんだよ」
「ーーーーは?」
中年の男は曖昧な笑みでこそあったが、それでも確かに、ーーーー笑っていた。
「前々から胡散臭い家族だとは思ってたんだ。片言で何言ってのかわかんないし、いっつも外国語で喋っててさ。迷惑してたんだ。でも、さっき教会の人たちがこの家に入ってって、火をつけ始めたんだ。聞いたら、コイツら何人も殺してる凶悪な悪魔を匿ってたんだそうだ。正直、やっぱりなって思ったよ。いい気味ーーーー」
男が言い終わらないうちに、凱は男の顔を殴り飛ばした。
男の体が吹き飛び、人混みが避ける。
集まった野次馬たちは男を心配する素振りを見せたが、凱を恐れてか、遠巻きに見るだけで、誰一人駆け寄る者はいなかった。
偽善だと思った。気持ち悪いと思った。
ミーシャたちなら、こんな男だろうと心配して寄り添い、凱に怒るはずだと、思った。
「ーーーーああああぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっ!!!!」
燃え盛る家の前で、凱だけが、ミーシャやナージャ、アレナたちを思い、泣きじゃくった。
*
「なんだお前はっーーーー!」
扉の外の見張りの声が不自然に途切れる。
教会の中で雑談に興じていたイリーニの救世主たちは笑うのを止め、身構えた。
直後、教会の分厚い扉が紙切れのように蹴破られ、吹き飛ぶ。
「誰だ?」
口にこそしたが、聞くまでもなかった。
扉のあった場所から現れたのは、光る紫のタトゥーを全身に掘り込んだ黒い毛むくじゃらの悪魔だった。
救世主たちは一斉に安定器を構え、変身する。各々装いは違ったが、金の蔦の刺繍を施した薄灰色のローブだけは共通していた。
「探したぞ。お前、獄炎の悪魔だな? まさかそっちからのこのこやってくるとは」
一番手前にいるひょろ長い男が笑う。
「ーーーーなんで、ミーシャたちを殺したっ!?」
悪魔が叫ぶと、救世主たちはきょとんとした顔をした後、遅れて気づいて笑い出す。
「……あの家族たちのことか。お前を匿ったんだ。当然だろ?」
「爪を剥がしたり、服を脱がしたり、あんな幼い少女を傷つける必要がどこにあるっっ!?」
「何一丁前にキレてんだよ、悪魔のくせに」
奥の大柄な男がふざけた様子で言うと、救世主たちはまた笑った。
気を良くした大柄の男は、さらに続ける。
「母親はガバガバだったけど、ミーナとかいうあの子供のキツマンは最高だったなぁ」
ドッと大きな笑いが起きた。
悪魔は、口を開く。
「ーーーーハートフリーズ」
突然、仲間の笑い声が止み、一人で笑い続けていた大柄な男の、顔色が変わる。
「なんだ? どうし……」
言いかけた大柄の男に、影が落ちる。
「お前、……何をしたぁ!?」
一瞬のうちに目の前に現れた悪魔に、大柄の男は声を荒げる。
悪魔は、その怪力だけで男の左胸を抉り、あばら骨をへし折って引き抜く。
「ーーーーああああぁぁ、痛い、痛いぃぃ!!!!」
想像を絶する痛みに悶え、大柄な男は床を赤く汚しながらのたうちまわった。
「何一丁前に痛がってんだよ、人でなしのくせに」
返事をすることさえままならず、男はそれでもなんとか体を引きずって逃げようとする。
男の過呼吸気味の吐息が、静まりかえった教会の中に反響する。
悪魔はゆっくりと男に歩み寄ったが、左胸の臓器を剥き出しにされた男が逃げ切れるはずもなく、あっという間に追いついた。
悪魔は、わざと急所を外して男のあばら骨を腹に突き刺す。
「ーーーーぎゃああああぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!」
力任せに突き立てられたあばら骨の先が、背中から顔を出した。
男は、もはや意識を保っているのが奇跡のような状態だった。しかし、その朦朧とした意識が、不意に霧が晴れるようにクリアになる。
「……えぇ?」
悪魔の瞳が妖しく光っていた。この獄炎の悪魔が、何かしたに違いなかった。
「お前は、死のその瞬間まで、痛みを味わい続けろ」
悪魔がしゃがみ込み、大柄な男の腹に刺さったあばら骨を掴む。
「ーーーー何を、する気だ……?」
男の顔が絶望に染まる。
悪魔は、それでもまだ足りないと思った。
ミーシャの、目を見開き、折れた歯をのぞかせて力なく笑うその顔が脳裏を過ぎる。
「死ねぇぇぇぇっっーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
悪魔は、その怪力で腹に刺さったあばら骨を左肩に向けて引き上げ、大柄な男の胴体を裂いた。
男はもはや叫び声を上げることさえできなかったが、絶命する瞬間まで、鮮明に意識を保っていた。
悪魔はゆらりと立ち上がり、心臓を見えない手に鷲掴みにされて一歩も動くことができない救世主たちの左胸を怪力で抉り取り、心臓を物理的に引きずり出して殺していった。
最後の一人を殺し終えたあと、教会の壁にかかげられた、大きな絵画が目に留まる。
そこには、イリーニの姿がある。
平和の神に、心臓があるなら。
平和の神が、アレナたちのように、平和な世界を望むなら。
人を殺すためだけに使ってきた、この悪魔の力で。
誰モ悲シクナイ世界を、生み出せるかもしれない。
「ーーーーイリーニ。俺は必ず、お前を殺す。もう、やつあたりでも、生きてていいんだって思うためでもない。何の罪もない優しい人たちの、平和のためだ!!」
それは返り血に染まった悪魔の、喉が焼けるような魂の咆哮だった。




