第十節 「I aimed for the ideal world again.《私は再び理想郷を目指した》」
日曜日。凱は結局誘いを断れず、歩美と遊園地にいた。歩美は凱から会えないかと打診したタピオカ屋のときのようにツートンカラーのロリータ服に涙袋を強調する赤紫のアイシャドウをしていて、楽しみにしてくれていたことは鈍感な凱にもはっきりとわかった。
最初は酒川に言われた言葉が頭の片隅に残っていたが、歩美に連れられて最初のアトラクションであるジェットコースターに人生で初めて乗った時点で、凱はそんなことなどすっかり忘れ、歩美とともに心の底から楽しんだ。
大して高くないジェットコースターや、お化け屋敷のありがちな仕掛けにいちいち驚く凱を歩美は笑ったが、凱は馬鹿にされたように感じたりはしなかった。むしろ楽しそうに笑う歩美を見て、自分も嬉しくなったくらいだった。
しかし、その後もいくつものアトラクションを回り、徐々に日が傾き始めると、凱はいよいよ、切り出さなければならなかった。
「ーーーーなぁ、歩美」
「何?」
人がすっぽり入るコーヒーカップのアトラクションを全力で回しながら、歩美が凱の方を向く。その眩しい笑顔を見て凱は萎縮してしまったが、それでも、けじめはつけなければならなかった。
「……世の中には、大切な人ができると、強くなる奴と、弱くなる奴がいるらしい。酒川に言わせれば、俺は後者なんだそうだ」
「いきなり何?」
歩美はクスリと笑いながらも、凱の話に耳を傾ける。
「俺は悪魔だ。何の罪もない人間たちを、何の感慨もなく殺してきた。イリーニを殺すためにどうしても必要だったかと言われれば、そんなことはないと断言できる」
「もぁ、何が言いたいの? せっかちなガイッピらしくないぞ〜」
コーヒーカップが回る。それにあわせて風景も、ぐるぐると回る。凱の頭の中でも、感情がぐるぐると回っていた。
「歩美、今日は楽しかった。でも、今日みたいなことは、ーーーー今回だけにしよう」
「え?」
歩美の表情が曇る。痛いほど胸が苦しかった。それでも、凱は続ける。
「俺は、歩美と一緒にいたら弱くなる。歩美は、俺と一緒にいたら不幸になる。お互いのためにならない。会うのも控えよう。これからは、たまに電話でも繋げてーーーー」
「ーーーーどうして、そんなこと言うの?」
涙目になった歩美に遮られる。
凱は叫びたい気分だった。人目なんか気にせず、歩美を抱きしめたいと思った。もっと一緒にいたかった。それでも、口にしてしまった以上、後戻りはできない。
「…………そんな顔、しないでよ。馬鹿っ」
*
「酒川」
『今度は何ですか。私はあなたの友達じゃない。恋愛相談でも金を取りますよ』
面倒臭そうに振る舞う酒川。
「構わない。それに、ーーーー今回は依頼になりそうだ」
『なんですって?』
不穏な気配を感じとり、酒川はいつもの真剣な空気に戻る。
「遊園地に行った日から、歩美と連絡がつかないんだ」
『そうですか、やはり行ったんですね。……単に振られたんじゃないんですか?』
「確かに喧嘩別れのようなことにはなった。それは認める。だが、どうも胸騒ぎがするんだ。こんなことは初めてだ。それに、もうあの日から一週間以上経つんだぞ?」
『……実は、私も歩美さんと連絡が取れません』
「ーーーーなんだと!? なぜそれを先に言わないっ!!」
『あなたと喧嘩して塞ぎ込んでいるのだと思っていました。ですが、そうですか、あなたもなんですね』
「お前も、なのか?」
『はい。私は一度でも依頼を受けた人間に何かあると、なんとなくわかるんですよ。野生の勘とでも言うんでしょうかね。それが今、うるさいくらい騒ぐんですよ』
「……そうか。歩美の家に行ってみる。追い返されるだけならそれでいい。でももし、誰もいなかったらーーーー」
『ーーーー私も行きます』
「何?」
『私の能力をお忘れですか? 歩美さんの自宅に行けば、DNAをかき集められるかもしれない』
「そうか、そうだったな。助かる」
『何を勘違いしているんですか? 歩美さんほどの情報屋を利用できないのは私にとっても損失です。代金も入りません。無料であなたほどの用心棒を雇えるのだと思えば安いものだ。偶然外出しているだけだったら、ーーーー一緒に怒られてくださいね』
「……ありがとう」
凱は酒川を利己的な悪魔らしい男だと思っていたが、彼もまた、変わりつつあるのかもしれなかった。