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悪魔の咆哮(あくまのうた)  作者: 金川明
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第一節 「I was alone.《私は一人だった》」

 黒いロングマントのフードを深く被り、体のほとんどを覆い隠した男が、とある教会の前にふらりと現れた。

「ここか……」

 男が睨みあげる視線の先には、光り輝く心臓を模した金のエンブレムが掲げられていた。

 男が白い木製の扉をノックすると、すぐに神父と思わしき高齢の男が出てきた。高齢の男は、金のラインが入ったフードのない薄灰色のローブに身を包んでいた。全身を黒いロングマントに身を包んだ来訪者に、警戒心を露わにする。

「何の御用ですかな?」

 その問いに、黒いロングマントの男はフードを脱ぎ、口を開く。男にしては長い、癖の強い黒髪が揺れた。

「イリーニを……」

「はい?」

 聞き返す高齢の男に、黒いロングマントの男は淀んだ鋭い眼光で応じる。

「……イリーニを、信仰するか?」

「え、えぇ。イリーニ様は、私にとって救世主のような存在ですから」

 自らの信仰する神を呼び捨てにされ、眉をひそめながらも高齢の男は紳士的に答える。

 すると黒いロングマントの男は、うつむいて黙りこくった。

「礼拝をされに来たんですよね? 失礼ですが、お名前は?」

 高齢の男がそう質問した途端、黒いロングマントの男の、空気が変わった。

「……()()

 ぼそりとつぶやかれたその声は、怒気(どき)(はら)んでいた。

「はい?」

「……()()()()()()()ーーーー!!」

 突如激昂(げっこう)した黒いロングマントの男は、絶叫しながら高齢の男の胸ぐらを(ひね)り上げた。

 掴みかかられた高齢の男の足が浮き、扉に向かって弾き飛ばされる。尻餅をつきながら見上げた高齢の男の顔が、絶望に染まった。

「ーーーーああぁぁ……そ、そんな、馬鹿な……」

 高齢の男はあまりのことに腰が抜け、絶句する。先ほどまで黒いロングマントの男が立っていたその場所に、毛むくじゃらの、ーーーー悪魔がいた。

 二本足で立つその悪魔は、黒い体毛に全身を(おお)われ、不気味に発光する紫のタトゥーに身を包んでいた。

「イリーニ、様……」

 悪魔の、鋭い牙が並んだ禍々(まがまが)しい口が開く。

「ーーーー俺を祝福する神など、いないっ!!」

 悪魔がどこからか取り出したスマートフォンのようなものを左胸にかざすと、その全身が強烈な紫の光に包まれた。

Stabilize(スタビライズ)!!』

 スマートフォンのようなものが起動し、電子音声が流れ出す。

 光が晴れると、そこには銅色の鎧を身に纏った先ほどの悪魔がいた。

 高齢の男は口を金魚のように開閉させ、何事か発しようとする。しかし、あまりのことに舌がまわらず、言葉にならない。

 異変に気づいた他の信徒たちが教会の扉を開けると、鎧を身に纏った奇妙な悪魔の姿が目にとまり、あっという間に恐怖が波及(はきゅう)する。

 絶叫と悲鳴の渦に呑まれ、教会はたちまち大混乱となった。

 銅色の鎧を着た悪魔が、腰を抜かしたままの高齢の男の頭を片腕で掴む。高齢の男の痩せこけた体はあっさりと地面を離れた。

 次の瞬間、悪魔によって人形のように投げ出された高齢の男の体は信徒たちの頭上を(またた)く間に縦断し、平和の神イリーニが描かれたステンドグラスに激突した。

 阿鼻叫喚(あびきょうかん)の中、大量の破片が下にいた神父に降り注ぐ。

 悪魔はそれをまるで意に返さず、教会の中へゆっくりと侵入する。その右手に、赤紫の火球が宿った。悪魔がそれを背もたれのついたベンチに無造作に放つと、手のひらにおさまっていた火球のサイズからは想像もつかないような巨大な火柱が立ち、逃げ惑う信徒たちを一瞬で焼き殺していった。悪魔は、火球を続け様に二度三度と放つ。それだけで、教会の中は火の海と化した。それも、赤紫の地獄の炎にだ。

 神父がいる、比較的火の手の薄い中央最奥へと歩む悪魔。

 神父は、床一面に散らばったステンドグラスの破片の上で、膝をついて失禁していた。

 やがて、すぐ目の前に鎧を着た悪魔が到達する。

「ーーーーお前か……イリーニ様の教会を襲ってまわっているという悪魔は」

 震える声でなんとか言葉にする神父に、悪魔は無言でうなずく。

「なぜこんなことをする? こんなことをして、お前になんの得がある?」

「イリーニを……」

「は?」

「ーーーーイリーニを、殺したいんだ」

 神を殺す。地獄の炎を操るこの鎧を着た悪魔の前で、戯言(ざれごと)だと一笑に付すことなど、この場の誰にもできない。

 その上、平和の神イリーニは、人間がすべての創造神神王(じんおう)によって神格化され誕生した十三番目の神である。元が人間であったからか、イリーニは人を好んでおり、頻繁に人前に姿を現すことで知られている。ゆえに、この現代においてもその実在は確かなものとされており、それだけに、悪魔のイリーニを殺したいという発言は現実味をおびていた。

 それでも、神父の目は驚きに見開かれる。平和を(つかさど)り、人間を愛し、いくつもの戦争を終わらせてきたイリーニを、どうして(うら)む者がいようか。

「なぜだ? 何がお前を、そうさせる……?」

 思わず口を突いて出たその言葉に、悪魔の動きが止まる。

 その脳裏に、燃え盛る狭い教会の中の光景が浮かび上がり、膝をつき、目を見開いて涙を流す女の金切(かなき)り声が響いた。


『ーーーーお前なんて、生まれてこなければ良かったのに』


 不意に、神父の耳に指で貫かれたような感覚が広がり、その両の穴から、どろりと真っ赤な血が流れ落ちた。神父が、鼓膜が破れたのだと気づいたのは、空気を震わす感覚が肌に伝わったからだ。

 それは、悪魔の咆哮(ほうこう)だった。

 空気を地鳴りのように震わせる獣のような絶叫が、教会中に広がる。

 天を仰いでいた悪魔が、再び神父の目に視線をあわせると、神父は顔色を変えた。

「……お前、泣いているのか?」

 神父に、慈悲の感情が芽生える。悪魔に同情する人間など、かつていただろうか。それでも、神父は悪魔に、泣きじゃくる子どもの幻影を見た。

「ーーーーそうか、辛かったんだな。イリーニ様を、神を、怨んでしまうほどに」

 一人納得した神父は、両腕を悪魔に向けて広げる。

「私の命など、惜しくない。殺せ。お前がこの、地獄の道を歩んだ先に、イリーニ様はいるだろう。イリーニ様は、きっとそなたを救ってくださる。あの方は、そういうお方だ」

 神父に歩み寄った悪魔は、神父の左胸に右手を突き立てた。すると、右手は神父の服も肌もすり抜け、心臓だけを鷲掴みにした。

 苦悶の表情を浮かべる神父。その心臓が、体の外に引きずり出される。

 悪魔は、右手で心臓を握り潰した。

 神父は、床に崩れ落ちる。

 その表情は殺されたとは思えないほど、穏やかで、温かかった。

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