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回想 太平洋戦争

1941年 12月8日

陸軍技術本部第九研究所


「臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日発表。帝国陸海軍は、本8日未明」


「臨時ニュースを申し上げます。帝国海軍はハワイ方面のアメリカ艦隊、並びに航空兵力に対して、決死の大空襲を敢行し」


 全員が沈痛な面持ちでラジオから流れる開戦の放送を聴いていた。源一もまた、その中の1人である。


「……クモ吉、もう村には帰れないかもな」


 机の上に置いたクモ吉の体を撫でる。クモ吉も、ラジオを聴いているように見えた。


「さぁ皆、仕事に戻ろう。こうなった以上、我々は我々の仕事を果たすだけだ。今までよりも生活に対する締め付けが厳しくなるかも知れんが、どうか一つよろしく頼む」


 研究主任がその場を収め、皆はそれぞれの持ち場へと戻って行った。この頃、源一は研究所の第四科に所属し、対空機銃の機関部開発に携わっていた。持ち前の装甲材質に関する知識を基に、耐久性に優れた長時間連射可能な発射機構の実現を目指している。


「百穂、済まんが本部の総務に出向いて新しい書類を貰って来てくれるか?郵送される筈だったんだが交通事故で車諸共に燃えちまったらしい」


「分かりました、ではこれから向かいます」


 研究所に所員の移動用として与えられている車に乗り、源一は技術本部へ向かおうとした。駐車場から出ようとした時、軍用の乗用車が入れ替わりに入って来るのを目撃する。車内に例の将校が乗っているのが少しだけ見えた。


「またあの将校どもか。どうせ、開戦にかこつけた意味のない激励でもしに来たんだろ」


 昼を報せる鐘を聴きつつ、車を技術本部へと向ける。1時間ほどの外出を終えて戻って来た源一は、クモ吉の入ったガラスケースが見当たらなくなっているのに気付いた。同期たちは気まずそうな顔で俯いている。


「か、科長、クモ吉は」


「済まん。昼休憩に餌をやっていて、何人かが話し掛けている所をあの将校に見られてしまってな」


 事務室の奥にある休憩室に、例の将校は居た。テーブルにはクモ吉が入るガラスケースが置かれている。


「百穂源一中尉、出頭しました」


「先日の件は不問としよう。それにしても中々面白そうな蜘蛛を飼っているな。どういう蜘蛛なんだ?コイツは」


 なるべく大昔の事は喋らず百穂村にしか居ない珍しい蜘蛛である事を伝えた。自分が代々村長の家系であり、その先祖が名付けた蜘蛛であるとやんわり教える。


「ほーう、コイツに基づいた伝説もあるのか。面白いじゃないか。もしかして、巨大化したりなんてするのか?」


「いえ、自分が見た事があるのは、最大でも掌ほどの大きさで、それ以上は成長しないと聴いています」


 将校はクモ吉を興味深そうに見つめている。何か良からぬ事を企んでいるようにも見えた。


「そうだ。貴様、この蜘蛛を使って軍医学校で新開発された特殊栄養剤の生物実験をして見る気はないか?これは正式化され次第、前線の兵士達へも配られる予定だ。ゆくゆくは軍用犬にも使う事を考えているから、それの実験第一号としてやってみないか」


 何をバカな事をと、源一は考えた。人間用の薬を動物、ましてや蜘蛛に使った所で、どんな結果が得られると言うのだろうか。


「……それは、危険な物ではないんですね?」


「大丈夫だ!我が大日本帝国と盟友ドイツの医学を織り交ぜて作られた栄養剤だぞ!危険な筈があるものか!」


 将校は乗り気で仕方ないようだ。こうなると、一旦でも了承しないと引き下がらないだろう。取りあえずやって見ますと伝えると、明日にでも薬を届けさせるから結果を教えてくれと意気込まれた。


 翌日になり、何を思ったのかその将校が直々に薬を持ってやって来た。クモ吉の餌に混ぜ込んで与える所までを見せろとはしゃいでいる。


(……ゴメンな、クモ吉)


 源一はこの餌を食べさせる事で、恐らくクモ吉は死んでしまうと考えていた。クモ吉は餌を平らげたが、特に変わった事もなく澄ましている。将校は嬉々として「変化があれば直ぐに教えろ」と言って研究所から出て行った。


 その翌日、登庁した源一は、クモ吉がケースから居なくなっている事に気付いた。施設中を探し回るが、その姿を見つける事が出来ない。


「クモ吉、どこ行ったんだ」


 すると、誰かの悲鳴が聞こえた。同時に騒ぐような話し声まで聞こえて来る。源一はその場に躍り出ると、体長1mほどにまで成長したクモ吉が佇んでいる光景を目にした。


「……こ、これは」


「おい源一!どうなってるんだ!コイツはクモ吉なのか!?」


「昨日まで小さかったのに、どうしてこんな急に大きく…」


 佇むクモ吉に、源一はそっと近付いた。どうやらクモ吉自身も、急に高くなった自分の目線に戸惑っているらしい。


「クモ吉、俺だ、分かるか?」


 目線を合わせる源一を、クモ吉は見つめるだけだった。しかしここまで大きくなると、さすがに恐怖心が沸いて来るものだ。もうこの蜘蛛は、自分たちの知っているクモ吉ではなくなった可能性も高い。


「クモ吉、万歳」


 そう言うと、クモ吉はいつもと同じように一番前の両足を上げて万歳を繰り返した。「伏せ」と言うと、これもいつものように全身を床にペタッとくっ付ける。


「クモ吉、握手だ。握手」


 差し出された源一の右手に、一番右の前足を乗せた。源一はそっと握り返し、この蜘蛛がまだ自分たちの知っているクモ吉である事を実感した。


「大丈夫だ。コイツは、まだクモ吉だ」


 しかし、このままではクモ吉を建物の中には置いておけない。何か対策が必要だった。同時に、こうなってしまってはあの将校に教えない訳にもいかなかった。連絡を受けると将校は大急ぎでやって来て、巨大化したクモ吉を見て興奮し始める。


「何という事だ!これは素晴らしいぞ!」


 興奮気味の将校に、研究員たちはクモ吉のため大きな倉庫か何かを用意して欲しいと嘆願した。将校は一も二もなく引き受け「今日中に工兵隊を呼び付けて小屋を建ててやろう!」と言い切る。同時に源一はクモ吉の生体調査専属となり、一時的に発足した実験科の科長となった。


 研究所の敷地内に、大して事情も知らない工兵隊がクモ吉のために大きめの小屋を建設。そこで、新たな研究が始まった。


 クモ吉は順調に巨大化を続け、翌年こと1942年の暮れには体長5mにまで成長。何に使うのかも分からないデータが蓄積されていく中、この年の6月に発生したミッドウェー海戦において日本軍は空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」を喪失。陸軍も共に初戦の勢いを失って次第に負け始めていく。


 年の明けた1943年、源一に新たな辞令が下った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 思わず蜘蛛の寿命検索してしまった。 普通なら現役ではないようだ
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