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回想 陸軍登戸研究所

1940年 大日本帝国

陸軍登戸研究所


 ここに、1人の陸軍士官が居た。名を百穂源一と言う。階級は中尉で、この研究所で主に特殊鋼材や新素材を用いた装甲に関する研究をしていた。

 世界情勢のきな臭くなって来たこの年、源一は数年ぶりの帰省で百穂村の実家に帰り、一ヶ月ばかりを過ごして東京に戻って来た所である。羽を伸ばして来いと言われた特別な長期休暇。恐らく最後の休暇だろうと言うのは何となく分かっていた。

 予断を許さなくなって来た日本と欧米の関係。開戦が秒読みなのは誰の目にも明らかであり、密かなる国力増強に国を挙げて励んでいる真っ最中だ。


「おはようございます、主任」


「おはようさん。どうだ、久しぶりの実家は」


「何も変わりません。いい所ですよ。一ヶ月も休みを頂いてありがとうございました」


「いいんだ。遠方隣県、山間部の出身者には早く休みを取らせて家元に帰せとのお達しが来ている。俺はこの辺の人間だから一週間ぐらいしか貰えなさそうだがな」


「やはり、開戦は時間の問題ですか」


「海軍さんはまだ判断を急がない方針らしいが、陸軍省はもうその気だ。新兵器を早く考えろとせっつかれてる。だが、満足に予算もない状態では何も造り出せんよ」


 源一は机に置いた鞄から、小さい穴が幾つか開けられた箱を取り出した。


「何だそれは」


「実家で飼い慣らされた蜘蛛です。頭のいいヤツでしてね、言葉を幾つか覚えるんですよ」


 箱を開けると、体長8cmほどの蜘蛛がコソコソと出て来た。机の上に降り立ち、あちこちをキョロキョロと見ている。


「クモ吉、万歳」


 前足を上げた。二度三度と同じ動作を繰り返す。


「伏せ」


 全身をペタッと机に着けて足も伸ばした。


「凄いもんだな、どれぐらいの言葉を覚えるんだ」


「20近くは覚えてる筈です。江戸時代ぐらいの話ですけど、こうやって言葉を覚えさせて調教した蜘蛛を、諸藩や幕府の人間に売っていたらしいです」


 源一は雑貨屋で購入していた小さいガラスケースにクモ吉を収め、この研究所で飼育を始めた。語り掛ければ何かしらの反応を見せてくれるこの存在を所員たちが一種の清涼剤として受け入れた事で、クモ吉は彼らの仕事風景に馴染んでいった。


 1940年、9月27日。ベルリンにおいて日独伊三国同盟が締結される。これにより、日本は開戦への道をひた走り始めた。


 1941年、6月。この年の陸軍科学研究所廃止を受け、陸軍技術本部第九研究所へと改編された、


「辞令を与える。本日付を持って当研究所は陸軍技術本部第九研究所へと改編された。これを受け、篠田鐐少将閣下を新たな所長として迎え入れる。部署は一新され、新たに第一から第四までの研究科を備える事となった。来るべき日米の開戦に備え、一日でも早い新兵器の開発に勤しんで貰いたい。以上だ」


 同じ陸軍士官学校を出た割にはどうも自分と違う生き物のように見えるその将校を、源一は怪訝な目で見つめていた。士官と言う存在は下の兵に対して模範足るべき存在であり、威張り散らしていい訳ではないと言うのが源一の自論だった。当時の世相からすれば源一のような考えの持ち主は少ないが、同期の中には同じ考えの者も僅かながら居た。


「ん?何だこのガラス箱は」


 将校はクモ吉の収まるガラスケースに興味を示した。近付いてを中を覗き込む。


「見た事のない蜘蛛だな。誰が飼育している」


「あ、自分であります」


 ケースを指先で突くと、クモ吉はガラス越しに前足を合わせた。更に指を動かすと、その動きを見つめるような仕草を見せる。


「ほぅ、面白い習性だ。それに賢そうな面構えだな。何か特技はないのか?」


 源一は「人の言葉が一部だけ分かる」とは口が裂けても言えなかった。言ってしまえば、何かに利用される可能性を恐れたのだ。頭の中で必死に言葉を繋ごうとする。


「い、いえ。動く物に機敏に反応するだけで、それ以外は普通の蜘蛛と変わらないと思います」


「何だつまらん。こんな物を可愛がっている暇などないぞ。いいな」


 ギリギリでこの場を凌いだ。クモ吉を知っている誰もが、危うい瞬間だったのを理解していた。既に1年近くをこの研究所で過ごして来た事で、クモ吉は彼らにとって必要な存在となっていたのだ。


 1941年、10月16日。第3次近衛内閣が総辞職。2日後の18日、東条英機を首相とする東条内閣が発足。翌月11月23日、択捉島単冠湾に南雲忠一中将の指揮する第一航空艦隊を基幹とした南雲機動艦隊が集結。3日後、26日。米国よりハルノートの提出。同日、南雲機動艦隊が単冠湾を出港。


 日米開戦の火蓋は、切って落とされようとしていた。

諸事情により投稿を急ぎます。

回想を早く終わらせて本来の時間軸に戻りますので、ご了承下さい。

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