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取材開始

 朝靄の晴れない中、車は村役場の駐車場へと辿り着いた。職員用の方は既に満車状態だが、来客用はがらんどうで自分ら以外の車は見受けられない。


「先生、このサングラスをどうぞ。あとこれ、偽の名刺です」


 加川が取り出したのは、薄めのサングラスと名刺入れだった。思わぬ行動で反射的に手が動いて受け取ってしまう。


「何ですか急に」


「念のためです。よくあるでしょう。山奥の村を訪れた旅行者が、儀式のため生贄にされるなんてお話。もし村ぐるみで何かを未だに隠しているとした場合、本来の素性を名乗って行動するのは得策じゃありませんよ」


 そう言いながら、加川はマスクと黒縁の眼鏡を着けた。恐らく普段もこうして素性を偽った取材をしているのだろう。行動に一切の迷いが見られないのがその証拠だ。


「いいですか、センセイは北海道の大学で日本固有の昆虫について研究している学者さんです。たまたま古い文献を目にした時、ヒャクスイジグモの存在を知りました。既に絶滅していますが、どうにも興味が沸いて仕方なくなったセンセイは東京で昆虫科学に関する雑誌を書いている記者、つまりアタシですね。これにコンタクトを取りました。以上が我々に関する下地です」


 随分と即興的だが、意外に作り込まれた内容だ。名刺を取り出すと「北海道自然大学 応用生物学教授 下仁田巡」と書いてあった。下仁田なんて苗字は聴いた事もないが、探せば居るのだろうか。


「アタシは日本昆虫サイエンスと言う科学誌で記事を書いている横川です。設定としてですが、先生は学内でも有名な変人です。昆虫を見るとニヤニヤが止まりません。アタシはインフルの病み上がりなのにその変人と取材旅行する事になった可哀想なおじさんです。全体的に体調の悪そうな演技しますんで、口裏合わせて下さいよセンセイ」


 変装とお互いについての設定を確認した2人は、車を降りて役場の中へと足を踏み入れた。少なくとも10年前後には庁舎を建て替えたらしく、綺麗なロビーと建物が印象に残る。


「すいません、この村の歴史と言いますか、生き物なんかについて出来るだけ詳しいお話を聴きたいんですけれども、どちらへ行けば宜しいですかね」


 加川はロビーの受付へ如何にも具合が悪いと言った体で取り付いた。自分は変人を装うため、そんな加川を無視してロビーに張り出された村の年表を見始める。すると、村の固有種としてヒャクスイジグモの標本が飾ってあるのが目に飛び込んだ。


「……これがヒャクスイジグモ」


 全体的に筋肉質な、ガッシリとした体格だ。8本の足も力強いように見える。どちらかと言うと、タランチュラやアシダカグモに近いように思えた。食い入るように見つめていると、加川に肩を叩かれる。


「下仁田先生、詳しい方がいらっしゃるそうなんで、椅子に座って待ちましょう」


「ああ、失礼。美しいもんで思わず見とれていました」


 下手糞な演技だと思いつつ椅子に腰掛けた。ご自由にどうぞと書かれたお茶のサーバーから、加川が温かい緑茶を持って来たのでそれを啜りながら担当者を待つ。


「センセイ、意外にお上手で」


「何も言わんで下さい」


 数分後、初老の男性職員が姿を現した。場所を変え、2階に上がって小会議室へと通される。


「観光商工係の松林と申します。このような山奥まで来て頂きありがとうございます」


「日本昆虫サイエンスの横川です。こちら、北海道自然大学で教授をされています下仁田先生です」


「どうも、下仁田です」


 名刺交換が終わり、ヒャクスイジグモに関する話が始まった。最古の文献は飛鳥時代にまで遡り、その頃にはこの辺にもう人が住み始めていたそうだ。人間や家畜を襲わず、田畑を徘徊しては小動物や害虫を食べてくれるこの蜘蛛を、人々はいつしか守り神として崇め始め、大切にして来たらしい。


「平安に入った頃でしょうか。当村の名前となっている百穂。これの開祖と申しますか、そう名乗り始めた人間が居たようです」


 百穂家を立ち上げた人間たちは、この蜘蛛をヒャクスイグモと名付け、蜘蛛師としての調教を始めたと言われている。時は流れ続け、調教された蜘蛛は日本各地に愛玩用や害虫害獣の駆除用として売れていった。需要が高まるに連れて大きい個体が激減し、成長中の個体も猪や猛禽類の標的となって次第に数を減らし、太平洋戦争の頃には絶滅したとされている。


「ヒャクスイジグモと言う学名が付いたのは明治に入った頃と言われております。この頃の東大、いわゆる旧東京大学の生物学部が作った日本固有生物年鑑と言う図鑑には、既にこの学名で記載があるのです」


 さすがに噂の総本山だ。一般に出回っていない情報がこれでもかと沸いて出て来る。


「私どもで把握しているのはこれぐらいでございます。もっと詳しいお話をご所望でしたら、百穂家の方へ直接お伺いして見ると宜しいかも知れません」


「お忙しい所をありがとうございました。どうしましょうか先生」


「そうですね、もし詳しい生態を記した文献でもあれば目を通して見たいです。所で代々の村長は、その百穂家の人間だと言うのを私が所持している文献で見かけたのですが、今は違うんですか?」


「私の家系は戦時中の疎開でここに来てそのまま居ついた一族ですので詳しくは知りませんが、第一次大戦が終結した頃に分家の人間へ村長職を託して、本家は身を引いたと言うのを聞いた事があります。何があったのかは残念ながら……」


 若干だがきな臭くなって来たのを、加川と下河原は感じていた。身を引いたのは恐らく、家業が殆ど衰退して村の中で以前のように振舞えなくなったからだろう。しかし村の名前を冠した学校や施設を数多く抱えていた事から、少なくとも収入は幾らかあったと思われる。

 この百穂家が村の中にどれだけ深く浸透しているのかは不明だが、何十年も村長の座にあった事を考えると、村の裏も表も司っていた可能性は高い。


「では百穂家へ行って見ましょうか先生。ああ松林さん、この村の飲食店はどの辺がオススメですかね。先週までインフルで寝込んでたもので、あんまり重たい物は胃が受け付けなくて」


「それでしたら道の駅の食堂がいいかと思います。混じり気なしの十割蕎麦がオススメですよ」


「じゃあ先生、そこで腹ごしらえしてから行きましょう。どうもお時間を頂きありがとうございました」


 役場を引き払った2人は、道の駅へ向けて車を走らせた。まだ変装はそのままである。


「どうですセンセイ、あの人は嘘を言っていないと思いますが」


「でしょうね。そもそもが余所者らしいですし、役場であの地位に居るとは言え深くまでは知らないでしょう」


 車を道の駅の駐車場へ入れた。そこまで大きくない駐車場だが、7割近くは車で埋め尽くされている。遠出しに来たライダーたちもチラホラと見受けられ、それなりに繁盛しているようだ。


「それじゃあ、何か食っていきましょうか」


 早めの昼食を済ませ、件の百穂家へ向け出発する。百穂家は村の中心部から北に位置し、段々畑が連なる最上部に大きな屋敷を構えていた。正に村の王として君臨するような光景である。屋敷の正門に車を停めた2人は、その大きさに圧倒された。


「でかい屋敷ですねこれは」


「はて、何所から声を掛けたらいいものやら」


 正門はピッチリと閉じており、開けられそうにはなかった。呼び鈴らしき物があったので車を降り、ボタンを押し込む。ブーっと言うブザー音が聴こえたような気がしたが、反応は無かった。


「留守でしょうか」


「こんな大きな屋敷なら使用人の1人や2人は居るでしょう。誰も居ないって事はないと思いますよセンセイ」


 二度三度と呼び鈴を鳴らす。すると、正門の向こうから声がした。


「どちら様で御座いましょう」


「ああすいません。東京から参りました横川と申しますが、こちら百穂様のご自宅で宜しいでしょうか」


「御当主様は床に臥せっておられます。どのようなご用件でしょうか」


「北海道で昆虫の研究をしている学者さんが、ヒャクスイジグモを研究するため上京されています。御当主様でなくとも、どなたかお詳しい方がいらっしゃいましたらお話を伺いたいのですが」


 少し黙った後に「お待ち下さい」と言って気配が消えた。20分ばかり待ちぼうけを食らい、また門を挟んでのやり取りが始まる。


「当家には既に資料や文献は御座いません。戦後に全てを手放してしまいましたので、話を出来る者も居りません。御当主様もお話が出来るような状態ではありませんので、遠路来て頂いて申し訳ありませんが、お引取り願わしゅう存じます」


 加川と下河原は顔を見合わせた。役場の松林さんは、直接行って見るといいと発言していた。この事から考えるに、当主が病気で床に臥せているのを知らないと言うのは考え難い。狭い村のネットワークなら噂話程度でも1日で広まる筈だ。


「分かりました、突然押し掛けてしまい申し訳ありません。替わりと言っては何ですが、村の中でヒャクスイジグモに関する文献を見る事の出来る施設は御座いますでしょうか」


「役場の方へ行かれると宜しいかと存じます。家の事が御座います故、失礼させて頂きます」


 遠回しに「帰れ」と言われているように感じた。それに我々が先に役場へ行っているのを知らない事から、松林さんか役場の人間からは何も連絡がいっていないのが分かる。

 加川はやり取りが終わると、屋敷の各所に目線を振り始めた。どうやら監視カメラの類がないかを確認しているようだ。


「センセイ、ちょっとこのまま道を進んで見ましょう」


「え、この先は山に入る道だと思いますけど」


「もしかすると、屋敷の中を上から見れるかも知れません。もし何か言われたら、てっきり村に戻れる道かととか適当に言えばいいですよ」


 車は屋敷を通り過ぎ、山の中へと続く道へ入って行った。しかしこの道は上へ向かう事はなく、真っ直ぐと続くだけである。少しずつ不安が増して来た2人の前に、1人の女性が歩いて来るのが視界に入った。車を停めた2人はその女性の元へと足早に近付く。


「すみません、ちょっと道をお尋ねしたいのですが」


「ここは私どもの土地です。どのようなご用でしょうか」


 その発言に下河原は違和感を覚えた。【私ども】とは即ち、百穂家を現すだろう。そこに入り込んだ人間に何の用か尋ねると言う事は、この女性も恐らく百穂家の人間であるに違いない。


「あなた、百穂家の方ですか?」


「はい。現当主の孫娘、百穂茜と申します」


「せ、先生」


「加川さん。向こうがダメならこっちでもいいでしょう。もしかすると、もしかするかも知れませんよ」


 2人の会話に首を傾げる彼女に対して、下河原はまず時間を貰う承諾を得た。事の発端、自分たちの目的、最終的な着地点。全てを包み隠さず彼女に伝えた。


「……そこまでお分かりになっているのなら、私も知っている限りの真実をお伝えしようと思います」


「それでは」


「はい。この道の奥に、私が寝起きしている離れがございます。詳しい事は、そちらでお話しましょう」


 車は更に道を進み、彼女が寝起きしていると言う離れに到着した。離れと言うが古めの一軒家そのものであり、彼女1人が住んでいるには大きく思える。車は裏手に停めさせて貰い、彼女に連れられて家にお邪魔した。


 それから数時間。加川と下河原は、自分達がどれほどの闇へ首を突っ込んでいたか、思い知る事となった。

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