伝説に関する所見
あの加川と言う男が持って来た写真の事は取りあえず頭の中から消し去り、まずこの伝説について紐解いて行こうと思う。
そもそもの始まりは15世紀頃。室町時代の頃に発生した飢饉に端を発している。全国的に農作物の実りが悪い状態が続き、それに加えて鼠による被害も急増。後の〈長禄・寛正の飢饉〉へと発展し、江戸周囲の諸藩でも餓死者が続出した。
しかしこの伝説の名前にもなっている百穂村と言う地区を治めていた藩だけは、この飢饉に際しても安定した年貢米を確保していた事が判明。この百穂村は山奥にある農村で、水はけの良い広大な土地で豊かな農耕を行っていたと知られている。土地の者以外は足が竦みそうになるほど危険な峠を越え、幾つもの米俵を藩主の元へ運び続けたそうだ。
それを不思議に思った藩の勘定方が、年貢を収めに来た百穂村の人間へ何の気になしに尋ねた。
「其方らは安定した量の年貢を納めておるが、各地で起きている飢餓を知らぬ訳ではあるまい。何故にそのような事が出来るのだ」
「手前どもの土地は大蜘蛛様が守って下さります。大蜘蛛様が居る限り、村の農作物は安泰でございます」
当然、勘定方はこの言葉を本気にはしていなかった。てっきり村の守り神か何かだろうと頭の中で変換して納得したが、驚く事に別の文献ではこれを裏付ける文章が見受けられる。
遥か昔よりこの地には【蜘蛛師】と呼ばれる一種の調教師が存在した。彼らが調教するのは〈ヒャクスイジグモ〉と言うこの地の固有種である。大きい物では体長30cmにまで成長し、このぐらいの時代にはそんなサイズの蜘蛛が何匹も森の中に棲み、野生動物から村を守っているとされていた。
飢餓や干ばつ、異常気象に強い強靭さに加え、毒を持たない上に性格は温厚。繁殖期を除いて特定の巣は持たず、1日に何度も居場所を変える徘徊性の蜘蛛である。その辺をよく歩き回り、行動半径が重なる個体同士で稀に共同の狩りを行う事から、それに田畑が含まれていたせいでそこだけ鼠や虫の被害が少なかったと予想される。
調教された蜘蛛は諸大名や幕府の重役に売られて愛玩されたり、家の中のネズミや害虫を積極的に食べる等して家々を守っていたそうだ。
「その後、百穂家は安土桃山・江戸・明治と中央の交流が続くも戊辰戦争の煽りを食らって家業は廃退。日清戦争の直前までは宮家との付き合いも年に数回あったらしいが、現在は音信不通に至る……と」
以上が【百穂家没落史】と嫌がらせみたいな題名の本に書かれた内容だ。著者は我妻丈二とされており、元々は百穂家使用人夫婦の子供だったらしい。家業に陰りが出始めた頃、両親共に出奔して茨城に移り住んだそうだ。何とも恩知らずと言うか何とか言うか……
「……要はこんな蜘蛛がウロチョロしてたお陰で飢饉を乗り越えられた所から伝説が生まれた訳だ」
しかし日本にこんな大きく育つ蜘蛛が居たとは驚きである。このヒャクスイジグモ自体はそのサイズが影響して猛禽類や猪なんかに狙われやすく、そもそもが個体数のそこまで多くない固有種だった事もあってか現在は絶滅したとされていた。レッドリストが作られる前の時代であり、日本でも余程の昆虫学者でない限りその存在は知られていなかったらしい。
「とは言え、この蜘蛛の描き方は完全に土蜘蛛の類が混じってるよなぁ」
別の文献【百穂大蜘蛛絵巻】には、殆ど土蜘蛛を模して描かれたであろう大蜘蛛の画が載っている。そもそも土蜘蛛は【平家物語】まで遡るほどの古い伝説だ。噂好きの者たちが土蜘蛛の伝説を交えて後から勝手に仕立て上げた事が伺える。
しかしこの【百穂ノ大蜘蛛】に関して他の伝説や狐狸妖怪と異なるのは、畏怖の対象ではなく守り神として存在している事だった。おまけにこの絵巻に描かれた大蜘蛛の顔は土蜘蛛と違って慈愛に満ちており、山の上から大蜘蛛が村人を眺めている穏やかな情景も描き込まれていた。村人が大蜘蛛様と呼ぶ所以を裏付ける証拠としては十分と考えていいだろう。
「どーしたもんかね」
正直、かなり興味の湧いている自分が居た。その先にあるのがテレビなんかでお決まりの「正体までは掴めなかった」だとしても、実在するかも知れない都市伝説にギリギリまで近付ける人間は限られる。自分が今その立場にあるのだとしたら、一研究者としてやらない訳にはいかないだろう。
(高橋君は連れてかない方がいいな)
これはあくまで個人的趣味と欲求に基づいた行動だ。大学から経費なんて出ないだろうし、研究のためと上申した所で却下されるに決まってる。全て自腹を切る事になるのは百も承知だ。
「であれば、残る手段は一つか」
今年はまだ有給を使っていないから、逆に良い機会かも知れない。4日ばかり使って、あるかどうかも分からない都市伝説を追いかけて見るのもいいだろう。そうと決まれば善は急げだ。文献と書類を整理し、事務の方へ出向いて有給の申請書を貰う事にしよう。
研究室は高橋が居れば取りあえず問題ないし、人手が必要なら滅多に顔を出さないゼミ生連中を引っ張ってくればいい。我ながら、こういう時だけは頭の回転が速いものだと苦笑いしつつ準備を進めていった。