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回想 終戦

 1945年、2月。日本海軍の組織的戦闘における最後の勝利と言われる北号作戦から10日後に発生した硫黄島の戦いにより、日本の戦況が圧倒的に落ち込んで来たのは最早兵士達にすら感じられるまでだった。山奥の村に篭って研究を続ける源一たちですら、配給の頻度が遠のきつつある事で否応にでも現実を直視せざるを得ない状況になっている。


「ついに、オマケで来ていた菓子類が消えたな」


「酒も来なくなったぞ。まぁ、申請が必要とは言え3日に1日は飲めていたのを考えると、色々異常だったのかも知れん」


「源一、俺たちはどうなるんだろうな」


「俺にも分からん。部隊解散となって、技術本部に全員戻るのが一番いいけどな」


 先月に行われた防空演習を最後に、クモ吉は1度も外へ出ていなかった。時折り外へ出たがるような仕草を見せるも、シャッターを開ける事で村人に姿を見られる可能性を考えると、易々と承諾出来なかった。


「クモ吉、外は危ないぞ。敵の航空機が来て撃たれちまうぞ」


 そう言われるとクモ吉は、渋々と従って大人しく床に寝そべるのだった。不満そうな感情が全身から滲み出ている。ここまでコミュニケーションが取れるクモ吉を、研究員たちは今更ながら恐れ始めていた。もしクモ吉を毒殺でもする事になったら、それを伝えた瞬間にコイツは暴れ出すんじゃないか。俺たちを食うんじゃないか。そんな事が次第に心を占拠していった。


 源一はこの頃、既にクモ吉の最後をどうやって迎えさせるか考えていた。苦しめるようなやり方はこっちも危険を伴う可能性が高い。とは言え、ここまで大きくなったクモ吉に、毒の類が容易に利くとも思えなかった。毎日夜遅くまでそんな事を考え、こんな状況を作り出してしまった自分たちを深く憎んだ。


 3月10日、後に東京大空襲と呼ばれるB-29による爆撃が発生。クモ吉も連日の空襲警報でその都度に防空戦闘へ参加したが、当然の如く戦果は無かった。しかしながら4月の頭に発生した防空戦闘の際、都市部への空襲を陽動に山地の奥深くへ入り込んだ敵偵察機を糸による奇襲的な迎撃で行動を阻害する事に成功。山間へ落ちていくのは確認出来たが、機体も敵兵士の遺体も探し出せる余力はなく、公式な戦果にも残らなかった。


「我が大日本帝国の勝利は間違いないのである!それは付け加え、我が百穂家が再びの繁栄を掴む時でもあり!」


「爺ちゃん静かにしてくれ!騒ぐな!」


 祖父の彦江門は戦況の悪化も何も受け入れる気はなく、毎日同じように叫んで家の中を歩き回っていた。家の警護をしていた歩兵分隊の兵士達も既に士気は下がり、座り込んで空を眺めたり縁側で昼寝をしたりと、散々な物だった。


 4月1日、壮絶な地上戦として後に広く知られる沖縄戦が始まった。4日後の菊水作戦発動により、戦艦大和以下の軽巡矢矧、駆逐艦冬月を始めとする第1遊撃部隊が出港。後に坊ノ岬沖海戦と呼ばれる日本海海軍最後の大型艦艇が参加した海戦となった。奮戦も空しく大和は沈没。僅かな艦艇が佐世保へと帰還している。


 これ以後、日本軍により組織的戦闘は成りを潜め、ゲリラ的攻撃や空襲への対処で満身創痍になっていった。

 

 1945年、5月。軽偵察飛行戦隊に所属していた加川賢吾兵長が陸軍特攻隊こと振武隊に志願。配置転換の一ヵ月後、知覧飛行場から飛び立ち帰らぬ人となった。


 月日は流れ8月15日。玉音放送により、日本国民は敗北を知る所となる。


『朕深く世界の大勢と、帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て、時局を収拾せんと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ』


 源一を始めとする研究員たち、残っている僅かな兵士、家の者たちがラジオを前に聞き入っている。


『朕は、帝国政府をして、米英支蘇四国に対し、其の共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり』


 戦争は終わった。日本は負けたのだ。この事実はどうあれ、源一と研究員たちは胸を撫で下ろしていた。兵士たちは沈痛な面持ちで俯き、家の者はラジオから流れる天皇陛下の声に向かって深く頭を下げている。


「源一、終わったな」


「ああ……だが、後始末が残っている」


 この足元に居る存在。クモ吉をその役目から解き放ち、戦後に待っているであろう衆人の目に晒されるような事態からも守るため、源一たちは地下へ向かった。


「クモ吉。よーく聴いてくれ」


 源一が話し始めると、クモ吉は源一の目の前まで近付いた。その巨体を床にペタリと着けて寝そべり、何かを待つような仕草を見せた。


「戦争が終わった。もう戦いに参加しなくていいんだ。ご苦労だったな」


 言葉を選びながら、子供に言い聞かせるようにゆっくり話していく。しかしクモ吉は、源一たちが思っているよりも遥に高い知能を持っていたらしく、源一が結論を言う前に行動を起こした。一番前の右足で地下空間に置いてあるドラム缶を突く。それは、源一が密かに調合していた特殊麻酔が詰まったドラム缶なのだ。


「……お前、あれが何だか知ってるのか」


 クモ吉は頭を源一に押し付けた。自分の役目が終わったと同時に、これ以上ここに存在していてはいけない事を、クモ吉は分かっていたらしい。


「源一、ありゃ何だ。2~3週間前からあるとは思ってたが」


「……あれは麻酔だ。クモ吉を眠らせるためのな」


「眠らせてどうすんだよ」


「あの分量なら、クモ吉の大きさでも一ヶ月は眠り続ける。その間に、体の機能を鈍くする薬をゆっくり投与して臓器の動きを次第に落とし込み、クモ吉を眠ったまま衰弱死させるつもりだった」


 その言葉に同期の研究員たちは驚いた。しかしクモ吉はその言葉を聞いても暴れはせず、源一に頭を押し付けたまま動かなかった。そんなクモ吉の頭を源一は撫でつつ、涙を流して喋り始めた。


「ゴメンな、俺がお前を東京に連れてったりしなけりゃ、こんな事には……」


「……源一」


「勝手に大きくして、要らなくなったら殺すなんて、最低だな俺は」


「止せ源一。俺らじゃなくても、何れどっかの部隊がやったんだ。それに、お前は一斉射撃で苦しむクモ吉なんて見たくないだろ。俺らだってそんなのは見たくない」


 せめて苦しまずに眠らせてやりたい。そんな思いは全員同じだった。誰もが名残惜しそうにクモ吉を囲み、別れを告げ始めた。同時に麻酔を投与する準備も始まり、その時が迫り出す。


「お前注射嫌いだったろ。何でそんな大人しいんだよ」


「もう話すな。クモ吉の覚悟を踏みにじるんじゃない」


 クモ吉の体へチューブから伸びる針を刺していく。一瞬だけ身震いするのが、5~6mぐらいだった頃から変わらない反応だった。


「いいかクモ吉、段々と眠くなるから、そのまま寝ていいぞ。もうゆっくり休んでいいからな」


 麻酔の投与が始まった。クモ吉は次第に動きが緩慢になり、小刻みに動いていた足先も時間の経過と共に動かなくなっていった。そんな所に、祖父の彦江門が姿を現す。


「源一、これがお前の研究成果か」


「これは俺だけじゃない。皆の成果だ。だけど、もう必要じゃない」


「そうでもない。後のために役立てて貰うぞ」


 彦江門は懐から玄翁を取り出し、源一の頭へ目掛けて振り下ろした。同時に地下へ押し入る使用人や家の者たちが研究員を襲っていく。その手には兵士から奪ったらしき歩兵銃や拳銃が携えられており、抵抗する術を持たない研究員たちは次々に撃たれていった。


 クモ吉は薄れいく意識の中、目の前で殴殺される源一を見続けた。同時に、見知った顔の研究員たちが無残に殺されていく様子も見えている。

 どうしてそんな事をするのか。何が目的なのか。それは分からなかった。しかし、自分がその原因の一端を担っているのは何となく理解していた。もう眠れる。何もしなくていい筈だ。源一たちが自分を楽にしてくれる。それなのに襲い掛かる一抹の不安を感じながら、クモ吉は長い眠りについた。

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