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回想 終わり始める旅路

1943年 8月

百穂村研究室


 設営は到着から3日ほどで終了。残るは屋敷の地下を掘って、クモ吉を収めるための研究スペースを作る作業だけだ。随伴して来た工兵隊と後から到着した工作車両による連日の工事が始まる。


「かなりの振動を引き起こしますが、そちらの生活には可能な限り配慮します」


「とんでも御座いません。私どもは帝国の勝利を信じております。それを考えれば工事の音など」


 工兵隊の責任者と話をしているのは、源一の祖父こと百穂彦衛門だ。百穂家が江戸幕府や宮家と繋がりを持っていた時代を知る数少ない人間で、家業が成り立たなくなっていくのを誰よりも悲しんでいた人物である。

 源一は祖父の政治的な物の考え方や計算高い性格があまり好きではなく、村の自然を愛していた大叔父によく懐いていた。家業を仕切っていたのも大叔父であり、蜘蛛師は自分の代で終わりでいいと呟いていたのを覚えている。祖父はどちからと言えば販売ルートについてを取り仕切っていたため、各方面にパイプを構築する事で家が日本の政治的中枢へ食い込んでいくのを喜んでいたらしい。そんな祖父にとって今回のような事態はまたとないチャンスであり、喜ぶべき事だった。


「源一、よくやった。これで御家は再び日本の中枢と繋がりを持つ事が出来る。百穂家の再興は時間の問題だぞ」


 心底嬉しそうに話す祖父が、あの将校と重なって見えた。ふと、あの将校から予め渡されていた封筒があったのを思い出す。庭に出てその封筒を開けると、そこには辞令の通知書が収められており、大尉への昇進と研究室長を命じるとの内容が記されていた。


「…………俺の居場所は何所なんだろうな」


 思わずそう呟いた。ここはもう、自分の知っている静かで平和な場所ではない。それが何だかとても悲しかった。


 日々は瞬く間に過ぎ去り、地下には巨大な実験用の空間が作られた。そこでクモ吉の巨大化と連日の実験が繰り返される。数日毎に軍のトラックが栄養剤や強化剤を運んでくるため、必要な物資が尽きる事はなかった。

 優先配給により民間人や下っ端の兵士よりも比較的だが良い食事に恵まれ、希望を出せば酒を取り寄せる事も可能だった。この扱いが祖父の彦衛門を増長させ、自分たちは特別な存在であり、軍に必要とされているのは天皇陛下に必要とされている事と同義であると、家族が鬱陶しがるぐらい吹いて回っていた。


「御祖父さん凄いな、東京でもあれぐらい言い切れるのは中々居ないぞ」


「いい迷惑だ。俺としては早く死んでくれるか病院にでも閉じ込めたい気分だよ」


 数日後、夜中に用を足しに起きた源一は、祖父が使用人や兄弟を家の一室に集めて何かしているのを目撃した。下らない話でもしているんだろうと軽く考えるも、これが後の悲劇を生む事になるとはまだ思いもする筈がなかった。


1943年 10月


 クモ吉は2ヶ月の間に体長約40mにまで成長。足の長さを入れるとその大きさは100m近くにまで跳ね上がった。家族が時折り地下を覗きに来ては巨大化するクモ吉を恐れるも、源一を始めとする研究員たちはクモ吉への態度を変える事はなかった。


「クモ吉、立ってるのが辛かったら床に寝ていいぞ」


「デカくなったなぁお前。俺たちを食おうなんて考えないでくれよ」


 そう言うとクモ吉はその研究員から後ずさった。思わず笑いが起きる。


「不味そうだから嫌だってか?」


「クモ吉は正直だな」


「おい!掌に乗る頃から面倒看てやってたクセに失礼だなお前!」


 戦況の悪化。戦線の縮小。物資の枯渇。戦時下である事。その全てがここに居ると、不思議と感じ取れなくなっていた。クモ吉と居れる事なのか、同期の研究員たちと居れる事なのか、原因は分からない。穏やかに日々が過ぎ去っていくも、研究用資材の到着が少しずつ遅れ始めている事が、全てを物語っていた。


 翌年の1月。研究室のある百穂村防空直援を主任務とする第六十航空団軽偵察飛行戦隊が編成された。このパイロットたちの中に、加川の曽祖父である加川賢吾兵長が含まれているのは既に周知の事と思われる。


 軽偵察飛行戦隊が支援する前提で、ついにクモ吉へ防空演習への参加が達せられた。人目を憚るため実施時刻は明け方の4時とされ、寒空の下で近くにある一番大きい山へまず迅速に登る事が要求された。外へは反対側のシャッターが開放される事で出入りが可能となり、山と山の間にある谷へとまず躍り出る。ここで問題になったのは、クモ吉へどうやって指示を与えるのかと言う事だった。


「源一がクモ吉に乗るとか」


「無茶を言うな。掴まる場所なんか何所にも無いぞ」


「クモ吉に無線機を埋め込むか?」


「あの大きさの生物を眠らせるにはどれぐらいの麻酔が必要かなんて誰も分からんだろ」


 連日の会議により、最終的に局所麻酔の外科手術で航空機用無線機をクモ吉に埋め込む事が決まった。しかしクモ自体に耳がある筈もなく、幾度かの実験の後に何とか成功を収めるに至る。当時存在した最小のスピーカーをクモ吉の体に対して外向きに埋め込み、こちらからの声でクモ吉が過敏に音を感じて動かなくなるような事態を避けた。


「クモ吉、俺の声が聴こえていて、それを理解してるなら何か反応してくれるか」


 源一は家の外から無線機でクモ吉に呼び掛けた。地下では他の研究員が様子を窺っている。するとクモ吉は源一の声に反応し、一番前の両足を上げていつもの万歳をして見せた。これを確認した研究員が外に走り出して源一に成功を伝える。


「やったぞ。クモ吉は声を聴いていて完璧に理解してる」


「……分かった」


 物悲しい何かが源一を駆け抜けた。成功を喜ぶ反面、クモ吉をついに【軍】の兵器として運用しないといけない事実が心に暗い影を落とす。その数日後、軽偵察飛行戦隊が上空を周回する中で、第六十航空団昭和十九年百穂峠防空演習が行われた。この時に加川賢吾兵長が撮影した航空写真こそ、下河原が最初に見せられた写真そのものである。


 演習は追求点と言う落とし所となり、一応の成功を収めた。その後も演習は定期的に行われ、クモ吉は外に出てから山の上で防空戦闘態勢に入るまで最終的に10分を切る優秀さを見せ付ける。


 1944年、3月8日。無謀と言われたインパール作戦によって日本軍は3万人近い戦死者を出すに至る。3ヵ月後に発生したマリアナ沖海戦で旗艦大鳳以下空母3隻及び航空機を数百機失い、海軍は西太平洋から完全に撤退した。その後に発生したペリリュー島の激戦を経て、レイテ沖海戦で戦艦武蔵を喪失。更に空母瑞鶴を喪失した事で、日本海軍機動部隊は全滅した。


 この年の11月、マリアナ諸島を占領した米軍のB-29による初の東京空襲でクモ吉は初めて実戦配備に就いた。早期警戒網による空襲警報の度に山頂へ布陣するも、身軽になって高空へ逃れる爆撃機に糸が届く筈も無く、空しい日々が過ぎ去って行くだけだった。

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