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下河原研究室

東京都 城洋大学

歴史民俗学科 第6講義室


 小さい講義室で10人ばかりの学生を前に教鞭を振るう彼は、この大学で歴史民俗学の教授を務める下河原昌樹だ。時代による政治背景や人々の生活、社会の成り行き等に関する事を専門としている。

 そして彼にはもう1つ、半ば「趣味・趣向」とも言える専門分野があった。古来より伝わる伝説や言い伝え、都市伝説等の成り立ちに関してを、単位の足りない学生を集めてディスカッションしレポートを提出させ、それで単位を与える道楽のような講義をしているのである。


「ではこの時、何故ここまで口裂け女の噂が広まったのか。誰か推論でも良いから言ってみようか」


 2人の学生が手を挙げる。1人ずつの発言を認め順番に喋らせた。

 下河原の行うこの講義は、意外にも好評だったりしている。単位の足りている学生は基本的に参加出来ないが、見学は認めているそうだ。ただ講義を受けるだけよりも自分の脳みそを使う事が学生たちの良い刺激になっているらしい。

 必修の専攻ばかり追いかけるより、俗世に幅広くアンテナを伸ばして欲しいと言う思いも少なからずあるのだろう。そんな所で講義時間の終了を知らせるチャイムが鳴った。


「じゃあ今日はここまで。来週までにネットでも何でも掻き集めていいから、自分なりの考えで組み上げたレポートの提出を待っているぞ」


 ある者は図書室へ、ある者は携帯端末を片手に情報を探り、またある者は映像からヒントを得るべくレンタルDVDショップへ向かった。

 昨今、自分で考えられない学生が多いと言われているが、それはこちらのやり方の問題でもあると言うのが下河原の考えだった。興味が湧く方へ上手く誘導するのも教職の役割と言う自負があるらしい。


「さてと、昼をどうするかな」


 施錠を済ませた下河原は学食へ向かった。時刻は既に夕方4時。閑散とした食堂で遅い昼食を済ませ、研究室まで戻る。

 研究室には講師の高橋が詰めており、下河原が研究のために買ったはいいが読まずに積み上たままの文献を仕分けしている所だった。相変わらず生理整頓に余念のない男だ。自分のようにいい加減な人間の手伝いをさせているのが恥ずかしくなる。


「お疲れ様です。今日は何を教えられたんですか」


「口裂け女について小1時間ほど喋ったよ。あれほど爆発的に広まった都市伝説は珍しいからね。お陰で知名度も高いから調べやすいだろ」


 講義に使った書籍を本棚に戻していく。彼の前でいい加減さを出すと小言を言われてしまうから、良い意味で自分を律する事が出来た。

 ふと、誰かがドアをノックする音に気付く。返事をする前にドアが開いて1人の男が入り込んで来た。


「ちょっと失礼しますよ、下河原教授の研究室はこちらで宜しいですかね」


 見た目からして既に「胡散臭い」と言う印象しか浮かばない男が現れた。ノーネクタイでヨレヨレのスーツ姿。無精髭。二重顎。図太そうな顔立ち。ボロボロの肩掛け鞄。目線を変えればベテラン刑事に見えなくもないが、いきなりやって来た事のせいで自分の中では悪い方の印象しか受けなかった。

 どう見ても部外者であるその存在に、高橋が嫌悪感を隠さない表情で私と彼の間に立ちはだかる。元々が勤勉な男だ。この類の人間とは反りが合わないだろう。


「何の御用ですか。研究室棟に関係者以外が立ち入る場合は許可証が必要な事ぐらいお分かりと思いますが」


「不躾で大変申し訳ないんですが、ちょっとばかりお話させて欲しいんです。宜しいですか」


「守衛を呼びます。今すぐに立ち去って下さい」


「高橋君、あまり事を荒立てない方が良い。この手の人間はちょっとやそっとじゃ退かない事は分かるだろう」


「ですが」


「さっすが教授、お話が分かるようで助かります。どっこいせっと」


 進めもしない内に来客用のソファへ勝手に腰掛けた。懐からクシャクシャの煙草を取り出すが、それを高橋が取り上げる。


「学内は全面禁煙です」


「いや失礼、癖でして。コーヒーなんかは結構ですよ。あたしは日本茶の方が好きなんでさぁ」


 遠回しに出せと言っているのだろうか。悪びれない態度が逆撫でするだけなので、高橋には部屋の外で待つよう伝え出て貰った。ご要望の日本茶を用意して自分もソファに座る。


「それで、お名前からよろしいですかな」


「週刊発掘ミステリーで主に都市伝説に関する記事を書かせて貰っている加川と言います」


 そう喋りながらポケット中を漁り、薄汚れた名刺を取り出してテーブルに置いた。煙草のヤニで変色したのだろう。文字も少し掠れていてはっきりと読めない。


「……加川さんね。ご用件は?」


「下河原さん、あんたもし本当に都市伝説が例え一部だとしても実在したとしたら、どうしますか?」


 質問を質問で返された。しかし、さっきまでの態度がガラリと変わり、昨今は消え去った所謂「ブン屋」のような鋭い目付きが私を貫く。


「実在したと言うのは、噂から生まれた結果として実在したって事ですか?それとも最初から存在してたと言う事ですか?」


 この手の話で多いのは、全体像がぼやけていて輪郭がはっきりしない物が殆どだ。人伝に聞いた、そういう風に見えた、風の噂。そんな物が時を重ねるに連れ、想像が混ざり合ってよく分からない物へと変貌していく。彼が言いたいのは例えば、本当に河童が居たとか言う次元の話なのだろうか。


「いえ、この日本中に存在するありとあらゆる伝説は少なくとも現在に至るまで、痕跡を残すだけで何かに正確には記録されていません。それを記録したのがもし、当時の時代背景があるとは言え一部の機密に触れられる立場の人間だったとしたら、どう思います」


 中心が見えて来ない会話が続いた。さっきからお互いに質問し合っている。どうにかして流れを変えたい所だ。


「それに信憑性があるかどうか、私には判断出来ませんな」


「ご安心下さい。その人間は実を言うとあたしの曾祖父みたいなんですよ」


 何を言っているのかよく理解出来ないが、そんな事はお構いなしに鞄を開け、その鞄以上にボロボロの封筒を取り出した。紐で開けるタイプの古い封筒である。そこから数枚の白黒写真が出て来た。どうも航空写真のように見える。


「これがもし本当だったとしたら、えらい事だと思いませんか」


 興奮気味に写真の中央を指差す。そこには山の上に居る蜘蛛のような何かが真上から写っていた。だが白黒な上にどうにも被写体と距離があってよく分からない。怪訝な表情をしていると写真を裏返し、そこに書かれた文字をなぞって見せる。


大日本帝国陸軍 第六十航空団 昭和十九年百穂峠防空演習


「横に書かれている操縦士の名前、加川研吾兵長、読めますか?これあたしの曾祖父なんですよ」


 だから何だ、と言えばそれまでだった。しかし彼は私に「あんたなら言わなくても分かりますよね」と信じて疑わない視線を注いでいる。この世界に居る人間として、知らない伝説ではない。だがそれも他と同じように実像は見えない物だった。


「……百穂ひゃくすいノ大蜘蛛、ですか」


 我が意を得たり。そんな表現を体で表すかのように彼は喜んだ。心の底から嬉しそうに話し始める。


「やっぱりここに来て正解でしたよ!何せ都内じゃこの手の学問を教えてるのはここぐらいですからね!」


「本来の専門は民俗学です。私が別でやっているのはそういった生活に根差している噂話等の成り立ちを、道楽に近い形で教えているに過ぎません」


「まぁあたしにゃ何でも構いませんがね。で、どうです?信憑性は高いと思いませんか」


 その写真が本物であれば、だ。裏付ける証拠はまだ無い。読ませた文字だって自分で書く事も出来る。それにこれがもし本物だとしたらそれこそあり得ない。直感だが、これでは蜘蛛がゆうに数十m近い大きさである事を意味している。


「…………日を改めて頂けますか、もし興味が湧いたらこちらからご連絡します」


「待ってますよセンセイ、次はあたしの会社の方でお話しましょう」


 改めて名刺を交換してその場を納めた。意気揚々と鼻歌を口ずさみながら研究室を出て行き、入れ替わりに相変わらず険しい表情の高橋が戻って来る。


「どうされるつもりですか」


「まだ分からん。取りあえず今日はお開きにしよう」


 そう言いつつ、百穂ノ大蜘蛛に関する文献を本棚の中から取り出した。高橋を先に帰して自分は研究室に1人残り、夕日が差し込み始めた部屋で文献に目を走らせて行く。

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