異世界で好き勝手暴れたい
少し近づいた気がする。楽しんでる人の意見が一番分かりやすい。ただ上手く言語化出来てないってのが多いのが問題で。いろいろ見てて、ああこれかも?って気がついたのは、好き勝手暴れたいこれじゃないかな?と思う。これなら攻撃衝動も組み入れられる。他にも一杯アルト思うけど、それらすべて複合的な感情が好き勝手振舞うで統合されると思う。
なるほどこれはヒーローじゃない。これはかなりピカレスクロマンの主人公に近い。以前からなろう主人公は、相手が明確な落ち度があり反撃としての攻撃が多いように作られてる。意図して悪人主人公を創らないようにはしてると見てる。悪を徹底させるのは難しいんだ。強いてやりたいなんてのは異常者なんだ。
それゆえサイコパスは盛んにこれらの事で使われる事になる。悪事が楽しいわけじゃない。悪事をしてもなんら心の負担にならないってマイナス点がない。強いてやりたくないのは普通は愉快より不快の方が強くなるからだ。
ややピカレスクロマンっぽさがあるゲーテが最後に残すのがファウスト。これがまあなんというかなろうそのもの。根本の部分で悪徳の誘惑とか書こうとしてるわけじゃない。既存の枠組みの制約縛りなどを越えた人間の欲求と向き合うようなテーマだと見ている。
扱いにくいのだが自由がかなり大きなテーマになってると思うが、これ現代と違って抑圧された中世を経ての欧州って流れが重要になる。その視点で見ないとシンプルな利己的な欲求の発露にしか見えないから。
そうなるとなろうに自由もあるのか?と言うと多分ある。ただ好き勝手振舞うに内包されてしまうので、何か決め手となるもう一言出るまではあまり強く言いたくない。その理由は、じゃなろうは自由が大事なのか?と言うとそれに縛られてしまうから。いくつかに分散したほうが好き勝手振舞うにふさわしい。
なろうの主人公は傍若無人を徹底した迷惑者になりたいわけじゃない。これが難しい。だからゲーテっぽいと思うんだろうな。ゲーテもピカレスクロマンを重視してたわけじゃない。
多分現代社会でやれば単純なものになると思う。でもそれがうそ臭いことにしかならないのを多くの人は知っている。なろうの作者はレベル低いって決め付けられてるけど、現代物の胡散臭さに対して意外と敏感なんじゃないかな?と思ってる。異世界でやるから、こんなややこしいことを考えないといけなくなる。
根本の部分で最も重視される点を純粋シンプルにするとピカレスクロマンが分かりやすいってだけなんだ。似て非なるものだが、全く別の物ではない。ピカレスクロマンの根底にある悪としてみる以外の爽快感を感じる部分がこれになる。ピカレスクロマンは好き勝手で利己的な感情の発露だけじゃないと思う。
キャラの立った悪役を主人公にしてみるって客観的視点でのキャラ性の魅力ってのがあると思ってる。ピカレスクロマンは実は純粋じゃない。見る側の観客視点が強い。自と他の分離、そして他から見た悪人としてのキャラクター性などがどうしても付きまとう。
攻撃衝動、自由、いろいろな感情の解消の結果の爽快感。などなど内面を無視して、それらを統括する好き勝手振舞う主人公への自己投影。でも観客を意識したヒーローや悪人としてのキャラクター性などの計算はない。そこが根本的になろうの外の面白いとされる俺TUEEEと違うとなる。
すぐ見ればなろうの構造はブラックジャックとそう変わらない。でも片方は評価されるのになろうは何故されないのか?やっぱりそれは同じ俺TUEEEの構造を持っていても違うからである。ヒーローは確実に違うが、かといってピカレスクロマンもまるで違う。描写として他を意識した魅力的な悪のキャラクター像を作り上げる必要が無いからになる。
ヒーローよりはピカレスクロマンに近い。それでもやっぱり違うのは観客の目を意識した行動を取らないからになる。
なろう主人公は基本普通の人でサイコパスじゃない。こういった病理は程度が全然違うんだ。桁違いに常人から外れた人だから病理とされる。その基準で書けば多分なろうファンタジーもピカレスクロマンに勝手になると思う。そういった平均から外れる事のない内面から描かれるのものがピカレスクロマンになりようがないんだ。
おそらく俺TUEEEは好き勝手振舞うって事で分かりやすい形なのと、やっぱり攻撃衝動のようもののとの絡みがあると思う。何故その形なのか?はそういうったものとの絡みじゃないか?と。分かりやすさは爽快感と繋がりやすいし。その自由は俺TUEEEの独特さを語るにはやっぱり弱いって感じてしまう。
さて後は外うちに分かれる点だが、外=なろう以外の人達は平均的におそらくなろう重視される点をあまり重視してないって事になる。外は特徴がない。だからこそ、物語として俺TUEEEの刺激が強くなるヒーロー主人公を中心に組み立てられた流れが重要となる。
さて内はどうなのか?なんらかの理由で好き勝手振舞う事で暴力に結びつく事の比重がおそらく高い。物語の展開の刺激などが比重が低くなるのがポイントだと見ている。後重要なのは、暴力関係の刺激は分かりやすい言って点になる。
ここで注意するのはこれは私には決めかねるって書くけど、あまり頭を使わないから分かりやすい暴力関係の刺激が求められるのか?または暴力関係に特化して刺激を求めてるからなのか?は分からない。この2つのどっちか?は分からない。ただはっきり分かるのは、分かりやすい刺激と暴力関係の刺激が重視されてるって2点。前者の場合分かりやすいって1つにまとまってしまうので。
それは性的な刺激とかもあるのじゃない?そうでもないんだ。ハーレムって言われるけど、所詮あっちは恋愛を軸にした作品でもない限りおまけなんだ。それと言うのも今の刺激の先端からするとなろうは弱すぎるんだ。それはなろうがレム以外でBDが異性キャラクターで売れた作品が無いからだ。
リゼロはある意味恋愛が軸だと言える。恋愛が軸のループ物と言えば君の名はだけど、確かに似てるんだ。ループに付随する恋愛があるとするとそっちがシュタゲになる。シュタゲはキャラクターとの恋愛が軸ではないと思う。
なろうは異常者なのか?まず無いと思う。誰でも彼でも心当たりはあるからだ。そもそも大半の作品がその他の要素で埋め尽くされてるんだ。いざそういった分かりやすい作品探そうと思うとまるで見つからないんだ。面白いもので、自分が見たいものを探してると、違和感がある作品が大量に見つかる気持ちになるのに、逆に探そうと思うとまるで見つからないんだ。
多分書き忘れたけど、賢者の孫もその系統なんだ。でもあれ何故なろうではやめたけど、アニメは全部見たか?と言うと、コメディ部分がアニメとすごく相性が良いんだ。これはリトライもその系統だと思う。リトライストーリーがその後面白いらしいけど、読む気がし無い。あの独特のコメディの空気は多分アニメと原作の奇跡のコラボでしか創れないと思うから。
その他の部分で見てしまうから純粋な作品が無いと私の様にそれに対して刺激が薄い人間は分からないんだよな。