七話
沈黙の道を辿り、私たちはようやく自宅の前へと立つことができた。
全体を改めて見ると、ひどいアパートだ。
街灯の明かりだけに照らされるボロアパートは、ひどく不気味。
コンクリート壁にはそこら中にヒビが入っており、灰色一色であろう壁は黒ずみ、心霊的な雰囲気を感じる。
二階まで上がる階段は錆つき変色しており、とてもじゃないが手すりを素手で触れたものではない。
「良い雰囲気ですねえ」
隣で桜がボソッとつぶやいた。
「悪趣味だね、一体どこが」
「私、廃墟とか少し好きなんですよね」
「廃墟、ねぇ」
確かに、廃墟と言われてもおかしくはない。ただでさえ暗く、重い雰囲気を醸し出すこのアパートに加え、人の気配は一切なく、外は妙に静か。住んでいる私でさえ、ここに人が住み着くとは思えない。
こんなところに住んでいると女の子にいうのが、今更になって少し恥ずかしくなった。
「とりあえず自宅に行こうか、二階の一番手前だ」
「はぁい」
桜は口の中で飴をコロコロと転がしながら、呑気に返事をした。
ぼうとしている桜を見ていると、変わらず心が落ち着いた。
この、ぼうとした心の持ちようがこの世界にとって良いものになるのだろうか、悪いものになるのだろうか、私自身わかったものではないのだが、しかし今は奴らもいない。何もないときに警戒をしていても、心に毒か。落着けるときに、落ち着いておこう。
私は鼻で一つ小さなため息をつきながら錆びついた階段で二階へ登り、自宅の鍵を差し込んだ。
ガチャリと音を立て、開場された扉のドアノブに手をかける。
「あ!」
振り返ると、ぱっと口を開け目を大きく見開きながら、桜は固まっていた。
「どうした」
私がそういうと、顔をそのままにしながら視線だけを私に向け、
「そういえば私、男の人の部屋に入るの初めてです」
と言った。
「そうか。初めての男の部屋がボロで悪いね」
「あ! いえいえ! ボロでも良いのですが、少し心の準備が」
ボロか。いや自分で言ったのだけれども。やっぱボロいか。
「何も準備することなんてないだろう。状況が状況なんだから」
「状況が状況だとしてもです! 女性にとって、これは大事な場面なのです!」
まるで女性を代表するかのような口ぶりであるが、私はあてにしない。
桜は胸に手を当て何度も大げさに深呼吸をし、最後に大きくふうと一息吐くと、
「オッケーです!」
と、真剣な表情で言った。ここにきて桜は、私に初めて真剣な表情を見せた。
「はいはい、じゃあ上がって」
「お邪魔します!」
私はバットを玄関に立てかけ、ぱちっと電気をつける。
今思うと、電気は通っているのか。そういえば街灯もしっかり灯っていたな。
国がそう言った対策はしっかりしていたのであろうか。理由はわからないがこれは助かった。暗いところは案外好きでもないんだ。
玄関でそそくさと靴を脱ぎ短い廊下を抜け、部屋の座布団に腰を下ろした。
持ってきたノートとペンをテーブルに置き、一度振り返る。
桜は視線を左右上下に動かし、部屋を舐め回すように見ていた。
「何もありませんねぇ」
「何もいらないからな」
テレビと冷蔵庫と時計、机と座布団。あとはゲーム機さえあれば、俺の一生は事足りる。
何か欲しいものなんて、ぼうと生きてきた私にはなく、この部屋に住むようになってから、部屋の見た目は一切変わっていない。
部屋を少し洒落た感じにしようと思った時期もあったが、すぐに誰も呼ぶことはないだろうと思い、辞めた。
しかし、なんだかんだ私の部屋に人が来てしまった。人生何が起こるかわかったものではないな。
「ゆっくりしてて。腹が減ったら台所にある段ボールにカップ麺があるから食べてて。俺はこれからについて少し考えるから」
「えっ、はい」
私は、自宅に置いてあった使っていないノートと先ほど拝借して来た大学ノートを開き、ボールペンをくるくる回しながら思考モードに入る。
そして、ノートの表紙にそれぞれ「ゾンビ白書」、「生還白書」と書いた。少しダサいか。
そしてまず、「生還白書」と書かれたノートを開いた。
これからどうするか。桜を生きて自宅に送り届けるには、何が必要か。
まず武器だ。生き抜くためには、これがなくては始まらない。ではどんな武器が状況を有利にするのか、どんな武器が色々な状況に利用できるのか。
私が今回使った金属バットはどうだろうか。重さは少しあるが、持ち運ぶには問題のない程の重さだ。
そしてなにより、中々の威力がある。実際に二体処理した時は、そこまで苦労することはなかった。
しかし、その処理した二体は、どちらも一対一だった。一対多人数の場合、対応できるだろうか。
これから、必ずそう行った場面が出てくるであろう、そう行った場合、あの金属バットで対応できるのだろうか。
例えば、十時、十二時、二時の方向にいたとして、同じ距離から詰め寄られ三体一気に戦わなくてはならなくなった場合、どうだろう。
仮に二時ゾンビから倒すとしよう、二時ゾンビの方向に寄り、振りかぶって、頭を叩き割る。
この間に、奴らも当然私に寄ってくる。次に来るのは十二時ゾンビか。二時ゾンビを倒した後、すぐさま体制を立て直し、振りかぶって十二時ゾンビを撃退。ここまでは良いのだ。
しかし、ここまでの時間で、同じ距離から迫って来ている、十時ゾンビが動かないわけがない。奴も当然私に迫って来ている。ここが問題なのだ。
仮にうまく二匹を倒せたとしても、一体一体にかかる時間は短くない。同じ距離から迫られて来ているのなら、私が一体ずつ倒している間に、かなりの隙ができる。もちろん使いこなしていけば、そう行った動作も最小限になるのだろうが今はダメだ。
バットの扱いに慣れていない私は簡単に隙が生じ、首元にはエグいキスマークがつけられてしまうだろう。
それに軽く叩いたようではきっと奴らもひるむだけで死にはしない。一回一回の動作に、スタミナも時間も消費する。
結果金属バットは、一対一の場合は非常に有効だが、多人数相手ではかなり苦戦を強いられるようだ。
しかし、持ち運びはしやすいので、とりあえずは金属バットを携帯するのだが、これだけでは足りない。
飛び道具が欲しい。ゾンビの世界において最強の武器は、やはり飛び道具。
拳銃、散弾銃、クロスボウ、一見日本で手に入らなさそうなものであるが、これがそうでもない。
例えば拳銃だ。拳銃は警官が持っている。警官ゾンビを見つけ次第、積極的に処理をし、手に入れたい。
しかし、拳銃は音が大きすぎる。それにこの世界は、特に静か。銃声が遠くまで響き渡って、一発撃とうものなら集合の合図だ。撃った場所がお祭りの会場になることだろう。
それに、当たる可能性が高くない。私は一度家族に連れられ海外旅行に行った時、「H&K USP」という自動拳銃を撃ったことがあるのだが、本当に難しい。
時間をかけて照準を的に当て撃っても、中々思ったところに当たらない。10m、20mの場合は数発当たるのだが、30mとなるともう難しい。
日本の回転式拳銃がどのようなものかはわからないが、結局当てるつもりなら、20m以内の的にしか使えない。
そして、当然弾薬の問題だ。尽きたら終わり。飛び道具はこの問題が必ず付いて回る。
警官から拝借しても、そう集まることはないだろう。集めるたびに一体処理をしなくてなならないのだから、リスクもでかい。
それを踏まえた上でも、やはり拳銃という存在は大きい。接近せずに処理ができるのだから。死のリスクがその時だけは大幅に下がる。
そして、生きている人間には、見せるだけで、有効だ。
こんな世界だ、きっと人間とのトラブルは必ずあるだろう。そんなとき、良くも悪くも拳銃があれば素早い解決ができるに違いない。
生きた人間にとって、拳銃ほど怖いものはない。頭を撃ち抜かれたら死ぬのは当然のこと、どこを撃ち抜かれても大怪我だ。
足を打たれたのなら移動に支障が出て、腕を撃ち抜かれたなら作業に支障が出る。どんな状況であっても、撃たれたくないものだ。
いや、撃たれたい状況は一つだけあるか。
散弾銃、クロスボウは狩猟用として今なお日本で使われている。しかしある場所を知らないから、却下。
そうなると考えられる飛び道具は、……パチンコ? ださいなぁ。そして、使える気がしない。
使って見たことがないからなんとも言えないのだが、まぁ一応候補として、残しておこう。敵が生きている人間であったのなら、怯みくらいはするかもしれない。
あぁ、あともう一つ。飛び道具と呼べるかはわからないが、動作も少なく、球がいくらでもある武器が一つあった。
ネイルガン、釘打ち機だ。
飛距離は期待できないだろうが、弾である釘はホームセンターに行けば腐るほどあるだろう。ネイルガン本体もホームセンターにあるに違いない。
ネイルガンはこの世界でとても有効だ。人差し指の動き一つで、釘が発射されるのだから、スタミナも動作もほとんどいらない。バットよりは確実に素早く処理できるだろう。場合によっては遠距離での発射もできるはずだ。
翌日朝一番、ホームセンターに行こう。ここから大体二十分ほどの場所にある。
桜の家はとても遠い。今の私の装備ではあまりにも頼りがなさすぎる。途中で力尽きてしまうだろう。
しかし、今日はよく動いたので疲れた。しっかり睡眠は取らなくてはならない。十時間は寝たいな。
「あの、カップ麺ごちそうさまでした」
突然桜が、声をかけてきた。
桜の足元には空になったカップ麺が、ポツンと置いてあった。いつの間に食ったんだ。
「何かな」
「ツカサさんの好きな食べ物ってなんですか?」
「何だい、突然」
「いえ、これからのこと、ツカサさんばかりに考えさせてしまうのは悪いと思って、……」
「それは嬉しいけど、好きな食べ物って、……」
「やっぱり将来的には作れないと、……」
なぜ桜が将来的に、私の好きなものを作れなくてはならないのだ?
これからのことを考えようとしてくれるのは嬉しいのだが、なぜ好きな食べ物になるのだろうか。
「よくわからないけど、カレーが好きかな」
「そうですか! 他は何かありますか?」
「他、か……。ラーメンとか焼きそば、とか」
「なるほど!」
「というより、なんでこんな話を」
「いいじゃないですか! 世間話の一つですよ!」
彼女は笑顔でそう言った。
まぁしかし退屈だよな。こんな世界で、汚ねえ男の部屋で、ぼうとしてはいられないか。話の一つや二つしないと、気が持たないか。
「わかりました! これから頑張ります」
「うぅん、よくわからんが頑張って。しかしもう十時だ。明日は9時頃から行動を始めるから、もう寝ようか」
「あ!」
「まだ何か?」
「いや、その布団、……一つしかないから」
「ああ、押入れにもう一つあるから、それ出すよ」
「なるほど、……なるほど」
桜は、なんとも言えない表情をしていた。怒っているのだろうか? 考えているのか?
しかし、私は今日疲れた。その表情について言及する気力はもう無い。
ささっと布団を敷いて明かりを消し布団に入った。
「あの、……おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
目を瞑ると、ものの数秒で意識がふっと消えた。




