九、無関心
あのとき、峰さんはいつまでもいつまでも、わたしの手を握ってくれていた。名残惜しそうに、何度も手をさすりながら。
今思えば、峰さんは自分の死を悟っていたのかもしれない。
峰さんが死んだのは、その三日後だった。
そのあと、わたしは母がたの親戚をたらい回しにされた。峰さんの死を悲しむ間もなく、日常はめまぐるしく変わっていった。最終的に引き取ってくれたのは、母がたの親戚の仲の悪い夫婦だった。
初めて会ったとき、男の人は優しく笑って、わたしを受け入れてくれた。でも、わたしはその男の笑顔の裏に気づかぬほど、幼くはない。
何度も暴力を振るわれた。ひどいことを言われて、されて、でも私には何の感情もわかなかった。
部活をやめたのもこのころだった。
嫌がらせをしていた先輩は、悲しそうな顔をして、「やめないで」と言ってきた。
「もったいないよ。瑞穂ちゃん、頑張ってたのに」
「将来だめになるよ」
わたしは笑った。
「中学の部活で人生がだめになるなら、ここにいる先生や親たちや大人たちは、だめな人だらけですね」
顧問は特に止めてきた。
「こんないい先輩たちがいるのに、お前は幸せ者だぞ。おばあさんのことは、つらいだろうが……」
「やめます。ごめんなさい、お世話になりました」
何も知らない人たちが、憎くて仕方なかった。自分を知られたくないと思う反面、知ってほしいと思う自分の幼さに、心底あきれていた。
そのやめ方が悪かったのか、器楽部の子達中心に、無視されたりすることが多くなった。
給食の時間、わたしの机にだけ給食が置かれていないなんてしょっちゅうだったし、しまいには机を離される。みんな机を寄せ合って食べている中、わたしだけぽつん、と独り。
冷めた給食はまずくて、まずくて。でも、給食は大事なご飯だったから、わたしはいっぱい食べた。
独り、机を離されて食べるわたしを、担任は扱いづらそうに見つめていた。
「森沢さん、大丈夫ですか?」
大学を出た、もう三十過ぎた男の先生が担任の先生だった。先生は、心配そうにでも、面倒くさそうにこちらを見ている。
「何がです?」
誰もいない教室で、わたしは担任の先生と向かい合って座っていた。しんとした教室に流れる空気が、みょうに気持ち悪い。
「おばあさんのこととか、クラスのこととか……」
ご家族の、こととか?
「ごめん、先生力になれなくて」
「…………」
何もしていないくせに。
見て見ぬふりをするくせに、あなたは、謝るんですね。
「……謝るなら、何か行動を起こしたからにしてください。何もしていないのに、謝らないで!」
わたしは教室を飛び出した。そのあと、担任の先生が構うことはなくなった。
嫌がらせはエスカレートして、それでも私は妙に冷めていた。
嫌がらせをしていたのは、由美だったか瑠未だったか、そんなような名前の二人組で、階段から突き落とされそうになることもしょっちゅうだ。
ふっと後ろに気配を感じても、振り返らずにいると、どん! と押されて落ちそうになったこともある。後ろから聞こえてきた小さな笑い声が、ねっとりと首に絡みつくようだった。
なにより、そんなことをどこか他人事で思っている自分が、わたしは一番恐ろしかった。
家に帰れば優しい顔をした男が待っていて、女のほうはほとんど帰ってこない。女が返ってくると、男との言い合いになり、かんしゃくを起こした男が、わたしを殴ったりけられたりを繰り返す。と思えば、やさしい言葉をかけられた。
「ごめんな、瑞穂。おれつかれているんだ、あたっちゃってごめんな。愛してるんだよ、本当に」
そういわれるたびに、心が冷えた。わたしは何も言わず、ただ男にしたいようにさせていた。どんなことをされても、泣きもせず怒りもしない。ただ痛みに顔をしかめるだけだ。
もう、どうでもよかった。
だから高校に入っても、人に対する無関心は変わらずにいた。
運がいいのか悪いのか、引き取り手の仲の悪い夫婦は、峰さんと家がそう離れていなかったから、同じ中学の人が高校にもたくさんいた。彼らが何かを言ったらしく、わたしはまた独りになった。