八、峰さん
父が死んだのは、わたしが六歳になる頃だった。
一家心中を、しようとしたらしい。理由は、誰も教えてくれなかった。ただ親戚のみんなにわたしの両親は、お金を借りていたらしいから、たぶん、そういうことなのだろう。
運悪く、死んだのは父だけだった。わたしと母はなぜか生きていたのだ。いっそ死んでしまえばよかったと、わたしはいつも思ってた。
幼いわたしを自分の姉に預けて、母はどこかへ消えてしまった。
もう、母が生きているのか死んでいるのか、しらない。
母の姉、わたしの叔母に当たるその人は、わたしのことを一時的に預かってくれたが、わたしのことをひどく嫌っていた。たぶん、お金のことだろう。幼くても、その言葉の端々にある感情に、なんとなく気づいていた。そのころから、わたしは年に似合わぬ冷たさと察しの良さを身に着けていったのだ。
小学生になるとき、ついに母の姉はわたしを捨てた。丁度、父の一周忌のときだ。
寮のある学校とか、孤児院とかに送られると思っていた。わたしはむしろ、そっちのほうがよかった。
叔母がわたしを預かれないと言ったとき、ほかの親戚に「かわいそうに」と、何度も言われた。「引き取ろう」そう言ってくれる人もいた。でも、何人かが名乗りを上げると、決まってお互い譲り合う。わたしはそれが不思議だった。同時に、体の中が溶けて行くような虚しさが溢れて来た。のどの奥がひっついて、うまく言葉が出なかったのを覚えている。
たぶん、それはただの表向きの言葉で、本気でわたしを心配なんてしてくれなかったのだ、わたしは幼いながらにそう感じていた。
だから、そんな人たちの元で暮らすより、どこか、誰も自分を知らないところで暮らすほうが、楽だと思った。
「あの、もうやめませんか」
親戚がもめ始め、やはり施設に送ろうという意見が固まってきた、そのときだった。父の一周忌のため、周りは喪服に身を包んだ大人たちだらけだった。その真っ黒い群れの中から、一人の白髪のおばあさんがよく通る声でそう言った。
もう冬の開ける三月なのに、外では雪が降っていた。それにも関わらず、そのおばあさんは着物を着て、背中を丸める大人たちとは違い、しゃんと背筋を伸ばしていた。見たことのない人なのに、その顔はどこか懐かしい面影があった。
「先ほどから見ておりましたが……子どもが、いるんですよ」
強い目だった。わたしが小学生になる前だったのに、今もありありとその光景を思い出すことができる。
「わたしは、この子の父親の親戚です。この子が施設に入れられてしまうかもしれないと人づてに聞いて、今日伺いました」
わたしはおばあさんが話すのを、息をするのも忘れて聞いていた。ほかの親戚の人も、黙っておばあさんのほうを見ていた。
「誰も引き取らないのなら、この子は、わたしが育てます。この子が自分の足で生きていけるようになるまで、わたしが育てます」
親戚の人たちはざわめき、ぶつぶつと何かを言っていたが、やがて静かになり、じっとりとした目でおばあさんを見つめた。
はあっと息を吸ってわたしはおばあさんを見た。おばあさんは、やさしく、にっこりとほほ笑んだ。
「よろしくね、瑞穂ちゃん」
これが、わたしの育ての親である峰さんとの出会いだった。
峰さんと過ごした中学一年の冬になるまでは、幸せで仕方なかった。
でも、幸せはそう長く続かない。はっと目を覚ました時には、過ぎ去ってしまうものなのだ。
峰さんは、わたしが中学一年になるとき、体を壊してしまったんだ。
「峰さん、大丈夫? わたし、学校やめるよ。峰さんの看病するから」
枕もとで目を潤ませるわたしに、峰さんは厳しい声で言った。
「だめだよ、瑞穂。おまえは、学校に行きなさい。たくさんのことを学び、たくさんの知識を身につけなさい。賢く、強くなりなさい。……女の子でも、強くなきゃいけないんだよ」
体を壊し、床に伏しているのにもかかわらず、その声には凛とした響きがあった。
「でも、峰さん、看病が必要じゃないの?」
不安そうに聞くと、峰さんは微笑んだ。
「だいじょうぶ。すぐよくなるから。瑞穂は、自分のことだけを考えなさい」
その優しい声に、わたしは小さくうなずいて、「はい」と、震える声で返事をした。
だからね、わたしは頑張ったんだよ。
勉強はもちろん、学校で厳しいといわれていた器楽部に入り、必死に練習をした。
強くて賢くて、峰さんみたいな女の人になりたかった。
必死に頑張り続けるわたしを、峰さんは嬉しそうに見守っていてくれたんだ。