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とうめいな恋  作者: 春野
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五、星まつり

次の日、僕が屋上に行くと瑞穂はまだいなかったが、しばらく待っていると、扉の向こうからひょっこり現れた。嬉しくて自然と微笑んでしまう。


「ごめん、ちょっと遅れた」


 そう言って少し笑顔になった瑞穂は、こちらに駆け寄ってきた。

 同じクラスなのだから一緒に来ればいいのだが、瑞穂は何か言われるのが嫌だったからか、それを許さなかった。


「瑞穂は……」


瑞穂、とその名を呼ぶたびに、僕は心の中をくすぐられるような気分になる。友達なんだから名前で呼んだよと瑞穂に言われたからそう呼んでいるが、昨日の今日ではまだ慣れなかった。


「その髪留め、いつもつけてるんだね」


僕はくすぐったい気持ちを抑えながら、瑞穂がいつもつけている五枚花弁の白い花の髪留めを指差しながら言った。


「ああ、この髪留めね。綺麗でしょ。小学生の時の夏祭りで、おばあちゃんに買って貰ったんだ」


瑞穂は照れくさそうに笑ってそう言った。

 白い五枚花弁の花は光沢があり、本物の白い花を何かで包んであるように見える。

瑞穂は髪留めに愛おしそうに触れながら俯いた。その顔が哀しげに歪んでいるのに、この時の僕はまだ気がつかなかった。その話で、何かを思いついたように瑞穂は言った。


「そういえば、明日星祭りがあるんだよ。知ってた?」


 星祭り。一年で一番、星が綺麗に見えると言われている日だ。知っているが行ったことはなかった。


「明日なのか、行ったことないな」


 闇の中に揺れる屋台の光を思い出す。なまあたたかい風とか、かき氷の甘酸っぱさとかが蘇る。そういえば、小学生以来夏祭りに入ってなかった。


「わたしもないよ」


 ばちっと目が合う。しばらく無言の時間が続いた。静かだった屋上に、蝉がのんきに鳴き始めた。


 どうしよう、僕の頭はその言葉で埋め尽くされた。でも。


「瑞穂……行くか?星祭り」


 下を向きながら、もごもごしゃべる。


「いいけど」


 瑞穂は小さく頷いた。蝉はまだのんきに鳴いている。それがありがたくて、そう思う自分が情けない気もした。瑞穂はぼそりと言った。


「明日休みだよね、土曜だし」

「うわ、そうだった。どうする、やめとくか」


 僕はあわてて頭をかいた。

 明日は運よく母さんの都合で通院は日曜日になっていた。日曜日だと普段病院は休みだが、わざわざ都合を合わせてくれた医者に、僕は心から感謝した。でも土曜日ということは、会えない。学校帰りに行くか、みたいなことはできないのだ。

 あわてる僕に、瑞穂は言った。


「いや、いいよ。行こうよ。……待ち合わせ、決めよう」


 照れているのか、瑞穂は目を合わせてくれない。

 今日も空はよく晴れている。これなら明日の空も綺麗だろう。

 気を取り直して、僕は言った。


「じゃあ、明日六時に裏の神社にしよう」


 友だち二日目。まさか祭りに一緒にいけるなんて思ってもいなかった。

 もしかすると、少し打ち解けられたのかな、なんて考えた。もしそうなら、嬉しい。

 でも僕が、彼女にとってのこの一週間の意味を知るのは、ずっと後のことだった。



 母さんは、祭りに行くと言ったとき、少し涙ぐんで頷いてくれた。僕の、もうすぐ死んでしまうかもしれないのに、今を生きようとする姿が嬉しかったのかもしれない。でも、もしかすると、もうすぐ死ぬかもしれないのに誰かと付き合おうとする僕のことが、哀しかったのかもしれない。

 次の病院で僕は検査を受ける。いま、どこまで体力が落ちているかとか、どんな病気になるかもしれないとか。それによって余命は変わるかもしれない。宣告を受けたのは、四月八日だから、七月八日でぴったり三か月だ。


 そのぴったり三か月が、瑞穂と約束した一週間だった。

 もしかしたら、これが最期の祭り、最期の友だちとの約束かもしれない。そう思うと、冷たい手がゆっくりとこちらに伸びて、その手に心臓をつかまれたような気分になる。


 そういえば、瑞穂と僕って友だちなんだよな。一緒にお祭り行くって言っても、その関係は変わらない。でも僕は、きっと彼女を友だちとして見ていない。


 まあ、いいか。どうせ消えちゃうし。


 別に僕の瑞穂への生ぬるい思いを伝えるわけでもないし、彼女は僕のことを何とも見ていないのだから、哀しむこともないだろう。一週間で終わる関係を大事には、きっとしない。……してほしくない。


 夜眠りにつくとき、いつも頭に浮かぶのは瑞穂の姿だ。今日、髪留めに触れたときの愛おしそうな表情。祭りに行きたいと言ったときの、伏せたまつ毛の長さ。

 一緒にいればいるほど、僕は彼女に惹かれていくだろう。それがたまらなく怖い。


 雨が降り出したらしく、屋根をうつ雨音が聞こえてきた。

 いつか、抑えられない思いが溢れ出たとき、僕は死にたくない、そう思うかもしれない。あの日から、抑えていた願いを消すために人への感情を捨てたはずなのに。その思いが溢れることが、本当に恐ろしかった。


 雨は、一晩中降り続けた。



 夕暮れ時の空は鮮やかな赤から薄青い闇に変わりつつあった。

 学校の裏にある神社に続く道をゆっくりと歩いていると、なまあたたかい夏風と共に祭囃子や、人のざわめきが聞こえてきた。薄暗い神社の前に、藍色の浴衣を着た瑞穂の姿が見えた。それだけで、僕の鼓動は早くなる。


「……浴衣なんだな」

とつぶやくと、照れくさそうに瑞穂は笑った。


 黒い髪はうなじの部分でまとめてあり、あの髪留めはやはりつけていた。藍色の浴衣は白い肌に映えて、その生地には赤みがかった紫や、目の覚めるような鮮やかな青などの朝顔が咲いている。


「これ、自分で着付けたんだ」


 茜色の帯は藍色の生地によく合っている。いつもと違う香りが、彼女からする気がした。


「結構時間かかると思ったんだけど、早くできたの」


 ふふっと笑う笑顔も、やっぱりいつもと違う。


「……青木、聞いてる?」


 僕があまりにもぼうっとしていたせいか、瑞穂はむっとした顔でこちらを睨んだ。


「聞いてるよ、ごめんごめん」


 そう謝れば、


「別にいいけど」


 瑞穂はすぐに楽しそうに笑いながら、僕の傍らに来て、僕のシャツを引っ張った。


「早く行こうよ」


 浴衣のせいか、いつもより動作が美しく見える。艶っぽいとでも言うのだろうか。何だか悔しくて、僕は彼女に手を差し出した。


「はい」


 差し出された手を見て、僕の顔を見る。それを何度も繰り返す。


「ん」


 でも、おずおずと、僕の手を握ってくれた。その手の温もりに、なぜか涙が出そうになる。


「星祭りって言っても、普通のお祭りだよね」


 つないだ手を振りながら、瑞穂は言った。その動作にもいちいち心がむず痒くなる。


「そうだな。でもいろいろ屋台とかも出るし。食べたいものとかほしいものがあったら言って。……知り合いに会うかもしれないけど、大丈夫?」


 僕がぽつりというと、瑞穂は巾着を持った手を軽く振りながら苦笑した。


「いいよ、わたしは。どうせなにしても、ねえ。だったら好きなことしてやるわ」


 そして少し不安な顔になって、


「青木は? 大丈夫?」


 僕も同じように苦笑した。


「いいよ、特に何か言われても困らないから」


 瑞穂は嬉しそうに微笑んで、つないだ手を振った。あまりにも手をふらふらと振るので、僕がぎゅっと強く握ると、ぴくっと震えておとなしくなった。


 祭りの雑踏に流されるように歩いていく。辺りは薄青い闇に包まれ、屋台の光が水の中にあるみたいに、ぼんやりと揺れていた。星がきらめき、夏風がやさしく頬を撫でる。


 すべて、夢のようだった。隣に瑞穂がいることも、全部。


 でも、繋がれた手の温もりだけが、これは本当なんだと教えてくれた。


「綺麗だね」


 瑞穂が笑う。屋台の灯の影が頬に踊り、輝く瞳には、たくさんの光が吸い込まれ、やわらかなまなざしに変わっていた。


「そうだな」


 そう言うのが精いっぱいだった。手を伸ばして、彼女を引き寄せたい。でも、僕にはそれが出来ない。それがとてももどかしかった。もどかしさをなるべく見せないように歩いていると、瑞穂は僕の手を握ったまま立ち止まった。つん、と僕がつんのめると、瑞穂はおかしそうに顔を歪めながら言った。


「あそこの屋台見たい」


 瑞穂が指をさす方向には、何やらガラス球のようなものがたれ下がっていて、それが暖簾のようになっている屋台があった。何を売っているのか遠くて見えないが、ガラス球に沢山の灯が反射して綺麗だった。


 綺麗なもの、好きなんだな。


 人の流れに逆らいながら屋台の前まで行って、ガラス球の暖簾をくぐると、中は薄暗く、一人のおばあさんが座っていた。その後ろにはいくつもの棚があり、その棚の取っ手が光沢のある石のようなもので出来ていて、淡く光っていた。


「いらっしゃい」


 低い、静かな声だった。でもその人から冷たさとか、底意地の悪さは感じられない。寡黙な人が醸し出す知性や落ち着きがあった。


「こんばんは。あの、ここは何を売っているお店ですか?」


 瑞穂のきらきらとした瞳が薄暗い屋台の中ではいっそう綺麗に見えた。手は握ったまま、僕はおばあさんを見つめた。


「ここはね、ブレスレットを扱ってるんですよ。ここにある石から選ぶの」


 そう言っておばあさんは後ろの棚からいくつかの石を出してきた。


「どうですか? お値段はそんなかかりませんよ」


 その言葉に、瑞穂は顔を赤くしながら頷いて、取り出された石たちを眺めた。ガラス球の暖簾がからんからんと、乾いた音を出しながらぶつかり合う。その音が心地よかった。


 黒い石、青い石、紅い石……同じ色でも沢山の種類があって、光沢も違っていた。透き通るような石もあれば、薄暗い闇の中で鈍い光を放つ石もある。

 それらを熱心に見つめ吟味している瑞穂は、眉間にしわを寄せ、いくつかの石を取っては置く、を繰り返していた。


「あ、これがいい」


 しばらくして、そっと手に取った石は、黒い鈍く光る石と、滑らかな、まるで海の中から太陽を眺めた時のような明るさのある、青い石だった。


「いいものを選びましたね、こちらの黒いものは、ヘマタイト。青っぽいものは、ラブラドライトです。……きっと似合うわ」


 おばあさんは優しく微笑み、頷いた。


「この二つの石を使ったブレスレットを作っておきます。お祭りの最後によってください。お渡しします」


 瑞穂は小さくありがとうございます、と頭を下げた。


「お連れの方もどうぞ」

「うえっ」


 いきなり話を振られた僕は声が裏返ってしまった。そんな姿を見た瑞穂がくすくす笑う。


「……笑うなよ」


 でも、僕もおかしくて、ふっと笑ってしまう。くすくすと笑いあう僕たちをおばあさんは穏やかな笑みを浮かべながら見ていた。

 たくさんの石がある。似ているのもあるが、輝き方とか色とかが少しずつ違う。


「あ、これ……」


 しばらく悩んだすえ、一番僕の目に留まったのは、夏の鮮やかな夕焼けのような石だった。あたたかな色のそれは、見ているだけで心が安らいだ。


「ああ、それは慈愛、誠実という石の言葉をもつ、パパラチアと呼ばれる石ですね。綺麗でしょう」


 おばあさんはそっとその石を手に取り、明かりを持ってきてその明かりに石を透かして見せた。

 すると夕焼けのような色に見えていたそれは、淡い春の月に薫る桜色になった。


「光にかざすとね、色の雰囲気も変わって別の顔も見えてくるのよ」


 これもブレスレットにしましょう。おばあさんは微笑み、祭りから帰るときにまたよりなさいと言った。


「はい」


 僕たちは頷き、おばあさんにお礼を言って暖簾をくぐって外に出た。


「不思議な場所だったね」


 瑞穂がつぶやくように言った。僕は頷きながら、流れて行く時間を止められぬものかと考えていた。


 今あるこの幸せを、手放したくない。ここに、ずっととどまり続けたい。そんな思いがむくむくと膨れ上がり、僕を支配する。そんな僕の心なんて知らないで、瑞穂はのんびりとした声で言った。


「星、みたいな。せっかくの星祭りだしさ」


 僕は空を仰いでため息をつくように笑った。星が瞬いて、その眩しさに目を細める。


「そうだな。星のよく見える綺麗な場所があるよ」


 ちらっと瑞穂を見る。瑞穂は何度もうなずきながら、行きたいと笑った。


「じゃあ、行こう」


 手を再び掴み歩き続ける。ざわめきの中を縫うようにして歩くうちに、胸にたとえようもない物悲しさが広がっていった。


「瑞穂」

「ん、なに?」


 この会話を何度できるんだろう。僕はあとどれくらいここにいられるのだろう。


「なんでもない」


 ずっと一緒にはいられない。そんなこと、わかっていたのに。


「へんなの」


 そう言って笑う君を見ていたいと思ってしまう。

こみ上げてきた何かをこらえるため、僕は何度も唇をかんでいた。



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