十三、清夏の恋
涙が止まらなかった。彼女の唇は冷たくて、震えていて、しょっぱかった。僕の涙と彼女の涙が混ざって、甘く、しょっぱい味がした。
校舎の中に白い光が満ちていた。
朝早くに来た先生が女子生徒が一人屋上へ向かっていったという話をしているのを聞いて、僕は胸騒ぎを覚えた。
瑞穂が。まさかと思った。
あの言葉は、だいすきといったあの瞳は、最期だからなのか。笑顔の奥に隠した哀しみは、僕じゃ抱えてやれないものなのか。
どうして、どうして……。
喉が焼けるように熱い。走っているからだろうか。僕と彼女の命が、一心不乱に輝いているからだろうか。
汗が吹きだしているのに、頬はピリピリと痛く、冷たい。
熱い意志を持った命が、叫んでいた。生きたい、生きたい。今日で消えるはずの僕の命がそう、必死に叫んでいる。
なあ、お前もそうだろ、瑞穂。
どーだろね、青木。どーだろね。
へらり、まるで走る僕を楽しむように、哀しむように、瑞穂は笑っているような気がした。それでも僕は走る。
一緒に生きよう、瑞穂。哀しいことも苦しいことも、一緒に抱いて行こうよ。生きていればどうにかなるんだよ。
そう心の中で呼びかけたとき、瑞穂の声が聞こえた気がした。
「どうしようもないことも、この瞬間だけは、どうにかなりそうな気がするよ」
あのとき。星を見て泣いてしまったあの時には、もう死ぬことを瑞穂は決めていたのだろうか。
奇跡は、一瞬しか起きない。一瞬だからこそ、綺麗なんだ。
瑞穂はこんなことも言っていた。
でも、一瞬でない、綺麗な奇跡だってあるはずだ。瑞穂、なあ、君こそ、僕の奇跡だったよ。出会えたことが奇跡だと思うんだ。それは永遠の奇跡じゃないのかな。君は、そう思わないのかな。
薄暗い屋上への階段に差し掛かる。あの扉さえ、扉さえ開ければ、そこは心地よい風の吹く僕たちの秘密基地だ。
ばーか、青木のばーか。そう言って笑ってよ。そばに来て、おかしそうに顔をくしゃくしゃにして、笑ってよ。
突然、喉からどろりとした何かがせり上がり、僕はそれを吐き出した。
「血……」
それは、真っ黒な血だった。
黒い血を吐血したら……。医者の言葉を思い出す。僕はふっと笑う。血の味が、口の中に広がる。
ほら、見たか、瑞穂。とうめい人間は僕のほうだ。君じゃない。……そうだろ。
扉に手をかけ、開く。
甘い香りがした。甘ったるい、恐ろしい香り。青葉の爽やかな香りはしない。
そこに、瑞穂の姿はなかった。
瑞穂は、青い空に魅かれ、溶けてしまった。僕は一人、瑞穂が落としたであろう五枚花弁の白い花の髪留めを持ち、吸い込まれそうな青に、染められていた。
七月九日。僕らの奇跡が、永遠が、終わった日。




