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俺の趣味は彼女の盗撮

作者: 榛李梓

 彼女との距離はおよそ20メートル。トイレから出てきた彼女は、こちらには気づかない様子で、傍に立つ古いガス灯を見上げた。

 ここ博物館明治村は、広い敷地内に明治期を中心とした古い建造物が多数移築・保存されており、ちょっとした時間旅行の気分が味わえる場所だ。彼女だけでなく周囲の観光客も皆、近くのクラシカルな建物を物珍しそうに眺めたり、大きなカメラを構えて撮影したりしている。ここではカメラを持っているのは全く不自然ではないし、誰もそれを気に留めたりしない。

 俺は気づかれる前にカメラのレンズを人ごみの中の彼女へ向け、シャッターを切った。

 俺の趣味は彼女を盗撮することだ。




 瓦屋根に白い壁とベランダのある和洋折衷な建物の前で、彼女は自分のカメラで写真を撮り始めた。パンフレットによると、この大きな建物は三重県庁舎らしい。壁と同じく真っ白な柱は古代ギリシャ風だ。

 彼女はよほどこの建物が気に入ったのか、デジカメの画面を確認しながら、移動して色々な角度から撮影している。そういえば、さっきから彼女が熱心に見ている建物には、どれもベランダやバルコニーがあった。将来家を建てる時は、絶対にベランダを付けよう。

 俺がそんなことを考えている間も、彼女は撮った写真をデジカメの画面で確認してはまた撮って、と繰り返していた。

 真剣な表情も綺麗だ。

 彼女が集中している今がチャンスだ。俺は少し離れた場所から、カメラを構える彼女の横顔を撮った。




 その後も広い村内をあちこち歩き回り、彼女と俺は立派な教会にやって来た。聖ザビエル天主堂だ。

 入口を入ってすぐの所にタキシードとドレスを着たマネキンが立ち、添えられた看板にはここで結婚式を挙げることが出来る旨が書いてある。天井の高い教会内は昼間でも薄暗く、たくさんある窓のステンドグラスが、外の光を透かして色鮮やかに浮かび上がっている。左右に並んだ長椅子にぽつりぽつりと座る人たちは、誰も大声を立てること無く、静かに歴史ある荘厳な教会の雰囲気を楽しんでいた。教会の中央に伸びるバージンロードを歩く純白のドレス姿の彼女を想像すると、こういう所で結婚式を挙げるのも悪くないように思える。

 教会の中に入った彼女は、椅子に腰を下ろすと目を閉じた。歩き疲れたのだろう。

 ほのかな明かりに照らされた彼女の姿は、宗教画のような神々しさをたたえている。乙女の祈り。そんなタイトルを思い浮かべた俺は、その神聖な姿をカメラに収めた。


「ねえ、今撮ってなかった?」


 目を開けた彼女が、カメラを向ける俺に気づいてこちらに視線を向けた。村内に入ってからずっとこっそり撮影していたのが、とうとうバレてしまったようだ。


「撮ってないよ」

「嘘。盗撮は犯罪ですー」


 誤魔化す俺に、彼女が頬を膨らませる。

 彼女は写真に写るのが好きではない。自分の容姿にコンプレックスがあるらしい。奥二重の目が、人によっては目つきが悪く感じるようで、そのせいで昔軽くいじめにもあっていたのだそうだ。彼女はそのことをあまり話したがらないので、詳しくは知らない。ただ俺にとっては、その眼差しはミステリアスで魅力的にしか思えなかった。


「じゃあ堂々と撮るよ。こっち向いて」

「やだ。絶対だめ」


 改めてカメラを向けると、彼女は両手で顔を隠してしまった。ごくまれにポーズをとってくれる事もあるが、大体いつもこうして撮らせてはくれない。



  ◇



 以前、彼女が撮った写真を見せてもらったことがある。建物や紅葉といった風景の写真、友人や家族の写真は何枚もあったが、彼女自身が写ったものは数えるほどだった。今どき皆、自撮り棒みたいな物を使ってまで自分の写真を撮りたがるというのに。


「自分の写真は撮らないの? 旅行の記念写真的なやつとか」

「記念写真ならあるよ。ほら」


 彼女が指した数枚の写真は、彼女どころか人物は誰も写っていない、ただの風景写真に見えた。


「誰もいないけど」

「影が写ってるでしょ。私の」


 言われてもう一度写真に目を落とすと、神社の赤い鳥居を写した物も、桜並木の遊歩道も、確かに下の方から人型の影が伸びている。


「ね、ちゃんと私いるでしょ?」


 彼女は満足げな笑みを浮かべるが、それが俺を余計に寂しくさせた。



 ◇

 


「あ、この前の写真だ。見せて」


 俺が自分の部屋で先日の旅行で撮った写真を見ていると、後ろから彼女がカメラの画面を覗き込んできた。


「わ、こういう服好きだなー。はいからさん? こっちのドレスもかわいい。スカートぶわって膨らんでて」


 画面には明治風の衣装に身を包んだ見知らぬ若い女性たちが映っている。貸衣装のコーナーで撮ったものだ。


「着れば良かったじゃん」

「見るのが好きなの。私じゃ着ても似合わないし」

「似合うと思うけど」


 明治村でも彼女は目を輝かせながらそういう衣装を着た人たちを見ていて、その時も俺は着てみたらと勧めたのだが、反応は同じだった。

 画面を送ると、今度は日本家屋が現れた。これは幸田露伴が住んでいた蝸牛庵か。白い灯台、茶色いレンガ造りの建物、蒸気機関車。次々と画面を変えていくと、教会で隠し撮りした『乙女の祈り』が映し出された。


「ちょっと、なに勝手に撮ってるの。もう、消しておいてよね」


 彼女はやっぱり自分の写真を見たくないらしく、ふいっと俺から離れてベッドに寝転がるとスマホを触り始めた。


 写真なんて無くても思い出は自分の中にある。写真に自分が写っていなくても、風景を見ればその時のことは思い出せる。でも、過去の自分を見て「今よりちょっと太ってるな」とか「そうそうこの服気に入ってたんだ」とか、そんな風に昔を懐かしむのも楽しいものだ。それに写真に写る笑顔を見れば、その時楽しかったと、過去の自分は幸せだったのだ、自分の人生も悪いものではないと再確認できる。

 彼女の写真と結びつく苦い記憶を、楽しい思い出に塗り変えたい。

 いつか俺が撮った彼女の写真を見て、二人で笑いながら思い出話ができたらいい。そんな日が来ると、俺は信じている。

 いや、俺がきっとそうしてみせる。

 彼女が自分を撮りたがらないなら、俺が代わりに彼女の思い出を写真に残そう。


 俺は写真を見ている振りをしながら、こっそりカメラを撮影モードに切り替えて彼女を撮った。

 いつか来るその時のために、俺はこれからも彼女をこっそり撮影し続ける。



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― 新着の感想 ―
[良い点] とても気持ちの分かるエッセイです。
[一言] ストーカー話かと思ったらノロケでしたか。まぁ確かに女性は中々写真を撮らせてくれません。集合写真とかは気にしないのに何ででしょう? コンプレックスは本人でないと中々理解できないものかも知れませ…
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