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冒険に出よう

いつ頃だったろうか、自分の家が監獄になったのは。

幼い頃は、家が城だと頼もしいと思っていたが、思い返したところで答えは出てこない。物心が付いた頃だった。ゼハールと出会ってからという事は覚えていた。


どうして家族がつまらないものとなったのか、それも分からない。

自分に勝手な理想を重ね、己の抱く価値観で物を言う。

それが嫌だったのだろうか。

本当にそうだろうか。

束縛してくるのが嫌だったのではないのか。

家族のことは嫌いではなかった。だが、自由になりたいという欲求が全てを変えてしまった。


城の物見塔から見た景色に心奪われた。

恋い焦がれてしまったのは、はるか彼方の地か、遠くまで伸びる道か、それとも旅の気ままさか、それは分からなかった。


両親には反発し、無礼な振る舞いもした。だが耐えた。

些細な出来事ながら、奴隷の少年を助けた時から深く考えてしまった。

今度は自分が自由になりたいと、強烈に思った。


「こんな生き方で終わりたくない」


のびのびと柵のない世界で生きたい。そしたらこの胸の息苦しさも取れるのではないか。

金などいらない。

権力などいらない。

尊敬などされたくない。

誰もが憧れる姫様になんてなりたくない。

自分の名を天下に知らしめたいとは思わなかった。

王家の血など欲しくなかった。

ここにある全てが気に入らない。


庭園には男がバラの花を愛でるようにして佇んでいた。


彼が教えてくれた。

世への憧れを、強くなくてはならないことを全て彼から教わった。

そんな彼は、今何を思っているのだろうか。


「自由ってなに?」


好奇心に溢れる、子どものような質問であった。

男は、その奇怪な質問に不思議な顔一つせず、ずかずかと歩き出した。

彼に付いていくと辿り着いたのは物見塔であった。ここからはビーウッコの町並みから、アルマースの隅々まで見渡せるような気がする。


男は、星々が輝く空を見上げて言った。


「この空が続く限り何処へでも行ける」


何処へでも、恋い焦がれてしまった、はるか彼方の地へ行ける。


「寝たい時は寝て、起きたい時は起きる。好きな時に好きなものを食い、好きなだけ酒が飲める」


何をしてもいい、柵から抜けた世界がそこにある。


「しかし、死んでも文句はいえない。いつ殺されるか分からない世だ。飢えて街道の端で誰にも埋葬されることもなく腐っていくか、些細な喧嘩で刺されて川に沈められるか、はたまた、何も存在しない荒野で息絶え、骸を獣についばまれ、肉を虫にしゃぶられ、骨となり風に吹かれて土に還るのも自由だ」


生きるも自由、死ぬも自由。堪らない、それこそが夢にまで見た自由そのものだ。


「あとは自分で見つけるといい、自由とは自分なりの生き方を見つけることでもある」


決意を露わにした眼光鋭いソニアに、彼は微笑みかけた。

いつもの表情ではなかった。妙に吹っ切れたような、晴々とした顔であった。


「先生はどうする?」


「俺は……」


今思ってみると、本当に長い日々であった。

神々から生を受けてから、この城に仕えるまでゼハールは自由を体現したかのように生き続けた。

左に行っていたと思うと右に戻っていたりと、大陸を旅しながら色々な土地に赴いた。

その土地の風土を見て、そこに住まう人々を見て、アルマースでは見かけない亜人たちとも出会い、彼らと一緒の物を食い、酒を飲み、服を着て、喧嘩をした。

戦があると耳にすれば、馬に乗ってその場所に押しかけた。

危ない目には数えきれないほど会った。命を落とすと本当に思ったことは一度や二度だけではなかったが、ゼハールは楽しかった。

彼は生きながらにして死んでいた。生への執着が無いゆえに、常人では考えられないような命懸けの生活を生き抜いて来たのだ。

自由な身には命の柵さえ無い、そこで死ねばそれまでの運命だったと割り切れる。だが、その全てに生き延びてきた。


そんな中で出合ったのが、ヨア王であった。


彼は捕らえられ、首を撥ねられそうになったゼハールを助けた。

ゼハールはそれを恩義に思い、いつか必ず返すと誓って彼の前から去っていった。

それから少し時が経ったころ、ヨア王がゼハールを教育係に雇い入れ、二人は出合った。


ゼハールは姫の教育などする柄ではなかった。

だが、ヨア王が言うのだ。

強い娘に育ててくれと、嫌であったが何も言えなかった。恩を返すために当初は耐えていた。


だが、ソニアという少女にゼハールは心惹かれていった。

恋にも似た感情であった。こうなったらこの男は止まらない。教えられる全てをソニアに教え込んだ。

だが、ときおり昔のことを思うと胸が圧迫されるのだ。

もうあの自由な日々は無いと思うと、こんな堅牢で豪華な城など荒寥なものにしか過ぎなかった。


ゼハールは耐えた。十一年間耐えた。

結果はどうだ。

ソニアは立派に育った。自分の意地も継いで、天下に名が通る立派な女に成長した。


ゼハールの胸がすっと軽くなった気がした。息苦しさが多少は楽になった。


(ああそうか、もう恩は返していたのか……)


隣を見てみるとソニアがこちらを見ていた。その心が表情にありありと現れていた。


「あの子はどうする?」


いずれにせよ、もう一日もここには留まってられない。


「母上に頼むわ。母上は面倒見のいい人だ。きっとルイのことを大切にしてくれる」


「だが、黙って出て行くことはできぬぞ。最後に挨拶回りをせねばなるまい」


「ええ、今から行く?」


「当たり前だ。この滾る身体をどうすればいい」


「私も一緒よ。もう我慢ならない」


そう言うと、二人は別れた。

次に出合ったのは、30分後の正門前であった。

この城には、二人しか知らないような抜け道がある、そこを通れば誰にも見られることもなく城から抜け出せた。

ソニアは先に城を出て、ゼハールが来るのを待っていた。


格好はパンクというかゴスロリというか、そのどちらも間違っているような黒一色の服装であった。真赤な口紅がダークな雰囲気を漂わせていた。

少し遅れて、ゼハールが現れたがその姿はソニアも驚く見事なものであった。


歩いてくるその風体は、一軍を預かる将軍の如く。

大きな肩で風巻くようして歩いてくるその姿は、まるで異風を身にまとっていた。


まず、踝まである緋色のマントが眼に付いた。外が暖色で内が寒色のリバーシブルとして使用可能な異国のマントであった。

更に眼を引いたのは、模様鮮やかな花を散りばめた服である。

一般的な貴族が身に着ける礼をわきまえた形ではあるが、地の色が真赤の長袖で、袖の先まで金の花が描かれている。

下は真白な革製のズボンであったが、腰に虎柄の毛皮を巻いていた。


圧巻の極みであった。ソニアは開いた口が閉まらなかった。


「では行くか」


「若作りしても歳は誤魔化せないわよ」


「関係あるかよ。俺が何を着ようが自由だ」


「武器は持った?」


ソニアは、スカートの中からレイピアを取り出しながら言うが、ゼハールは首を振り、そのレイピアを取り上げて城の堀に投げ捨てた。


「ちょっと、あれ高いのよ」


「あんな細い物で人が殺せるか、これを使え」


そう言って差し出してきたのは、とてつもなく大きく湾曲を描く剣であった。

昔、ゼハールから教えられたことがあった。

これは東方の地で作られている刀と呼ばれる品だと、ここらではまずお目にかかれない一品である。

アルマースがある西方では両刃が主流である、分厚い鎧ごと相手を叩き潰すのが一般的であるが、東方の片刃は切れ味を追求したもので、刃先に停まった蜻蛉が二つに切れたと聞いたことがある。

しかし、その刀はそのどれとも一致してしなかった。


ソニアは、彼の手からそれを受け取った。

ずしりと来るものがあった。いつも扱っている槍よりは軽かったが、いつもぶら下げていると話が違ってくる。

慎重に鞘から抜いてみると、ソニアは冷汗を垂らした。


刃渡りおよそ1m強、柄も入れると1m30cmは楽にあった。

長さだけなら、これを超す物がたくさんある。だが注目するのはその身の厚さだ。

恐ろしいことに拳ほど分厚い。

家畜を解体する時に使用される包丁が思い浮かんだ。見事な逸品であった。

これならばどんな物だって叩き斬れる気がした。


「先生は?」


すっ。

ゼハールが見せたのは大きな握りこぶしであった。

ソニアの顔面を覆い隠してしまう大きさである、こんな塊に殴られれば死ぬこともあるだろう。拳に付いた細かな傷がそれを物語っていた。


もう会話は必要なかった。二人は互いに頷く、夜の街に消えていった―――――




朝、眼が覚めたルイは胸がざわついた。嫌な予感がして、居ても立っても居られない。

部屋から飛び出すと、ソニアを探し始めた。


この時、ソニアたちはまだ城には帰っていなかった。二人が戻って来たのは昼頃である。

戻って来て早々に、正式な手順を踏んでヨア王に謁見の願いを出していた。

その事に、ヨア王含めた側近たちが不振がったのも無理はない。いつもなら何か言いたいことがあれば、父親に直接言いに来るはずだった。

しかし、今日はどうしたことなのだろうか。玉座の間にてヨア王や重鎮ら、家来の者たちが二人の到着を待った。

予定ではそろそろ来るはずなのだが、少し遅れている。


「ソニアはまだ来ないのか?」


ヨア王は、玉座に腰掛けながら近くにいた甲冑姿の男に訊ねた。

口ひげを伸ばした威厳溢れるその男性は、腰を低くしてヨア王の傍に寄ると丁寧に言う。


「もうしばらくかと、先ほどこちらに向かってきているのを見た者がおります」


第三騎士団の団長、ブルブフォン・オディ・マクミランは名高い武家の出だ。

戦場での功績のみで、団長の座に上るほどの根っからの戦士で、ゼハールとは友の間柄であった。互いに命を懸けられる仲で、心を通じ合わせた数少ない人物である。

第三騎士団を勝手に連れて行ったことにも腹も立てず、心中では二人のことを密かに心配していた。胸がざわつくのである。

戦場に赴くときでさえ緊張しないこの男がどういう訳か、この場にいる事が耐えられなくなってきた。


それから、すぐに二人は現れた。


ヨア王は、二人の姿を見て戦慄いた。

ソニアのおかしな衣服は所々が破けており、返り血らしき物がちらほら付いているその身体に、馬鹿にデカい剣をぶら下げていた。

ゼハールの体格に合わせられた長大な剣は、本来ベルトで腰に巻くものであるが、大きすぎる為に肩から掛けるようにして携えている。

胸が凍った。

自分が殺されるのではないかと思う中で、浮かんできたのはソニアが誰かを相手に大暴れしていた光景だった。

ゼハールにいたっては拳から血を滴り落とし、入り口から玉座まで続く赤いカーペットを鮮血で染めながら歩いている。すると無性にいまいまいさがつのった。


二人は熱かった。

熱くて堪らず、今すぐに服を投げ捨てたいほど身体が火照って汗もかいている。

一暴れした後だ。だが、妙に清々しい。


「ソニア・クラーラ・ヴァリマキ。ただいま参じました。遅れたことをお詫びすると共に今回は王に謁見の機会を頂いたこと、ありがたく存じ上げます」


顔の調子が変わっていた。

以前までの知る顔と言えば、いつも不服そうでむくれた仏頂面であったのが、親しみを覚えるさっぱりとした好青年、淑女の面構えであった。


そんな顔で跪いて、その物言いがふてぶてしい。

今さら畏まって何を企んでいるのか、頭で考えるがよく分からない。心までパンクしそうになる。

二人に何と声をかければいいのか、見当も付かない。

周りの家来たちは瞠目している、彼らも思考が追い付いていないのだ。

こうなれば当てにならないのは知っていた。一服間を置き、ヨア王は覚悟したように応対した。


「遅れたこと、悪くは言わん。だがお前がこうも礼儀通りに私に会おうと思ったのはどういう風の吹き回しだ?」


「ええ、不貞な輩を退治してきた報告をと」


「不貞な輩とな」


「はい。昨晩、私の家来から金貨を巻き上げた輩でして、腹が立ったので叩っ斬てまいりました。少し手間取りましたが」


人を斬っておいてちょっと照れたような、乙女のはにかみの微笑だった。

斬った数はおそらく一人ではない。不貞の輩というのだから、何かしらの徒党を組んでいるはずである。

ヨア王は血の気が引いた。顔が真っ青になるが自分でも分かった。


「そういうことは警邏の者たちに頼めばよいであろう!!」


黙っていられない。

ヨア王がそう喚くのも当然だ。


「家来の尻を拭うのは主人の務めでしょう。責任はとります」


しれっとそう答える。自分が悪いとは思っていない口振りであった。


「どういうつもりだ!?」


ヨア王は、その態度に玉座から転げ落ちそうなほど、前のめりになって喚いた。


「その事は私からお話ししましょう」


ゼハールがマントで拳を拭きながら立ち上がった。

ぎょろりとした大きな眼で見られると、身が強張る。固唾を飲んで見守っていた家来たちにも緊張が走った。

ヨア王は姿勢を正すと、玉座に深く腰掛け直した。


「私は王に命を助けられたこと今でも感謝しておりまする。貴方さまが私に姫の教育係を命じた際も、恩義を返すためと奮起いたしました」


野太いがよく通った声だ。気持ちよく玉座の間に響く。

王は聞き入った。ときおり、その通りと頷く。


「姫は立派に成長なされた。私の恩義は果たしたことになりまする」


「待て!」


それから先を聞きたくはなかった。

手を突き出して話を中断させようとするが、彼は止まらない。


「お暇を頂戴したく思います」


「だ、駄目だ。今はデオドランドとの緊張が強まっている、そんな中でお前を失うのは我が国にとっては大きな痛手だ」


「恩義は立て申した。それ以上、私を縛るとなると考えがございます」


それは明らさまな殺気であった。

瞬時に周りの家来たちが剣の柄に手をかけたが、ブルブフォンが止めに入る。


「待てゼハール、本気か?」


親友であるブルブフォンには、ゼハールの気持ちが痛いほど分かった。

だが友としての手前、騎士の一人である。王に危害をくわえるのは黙っては見られない。

もしもの時は、自らこの男を斬らなくてはならなかった。それが友としての義であるとブルブフォンは考える。


「待て……」


ゼハールは低く囁いた。

彼に言った訳ではない、隣にいたソニアの肩を抑えながら言った。

ソニアが長大な柄に手をかけている、それを止めていたのだ。


「父上、悪く思わないでください。自分の気持ちに嘘をつきたくないのです!」


察しは付いていた。

いずれタガが外れるとは思っていたが、こうも早いとは思ってもみなかった。

自分の育て方は間違っていたわけではない、ゼハールの教育の賜物なのである。

だが、彼を恨まない。

きっと誰が教育を施しても同じ結果となったことだろう。

神も悪戯が過ぎるな、とヨア王は眼を覆って暫く考えた。


場を、静寂が支配した。一触即発の雰囲気だったのが、ヨア王が考え込むだけで覆ったのだ。王の決断を待つように、その場の全員は殺気を抑え、一声を待った。


やがて、背筋を伸ばしさっぱりとした顔付きになったヨア王は大きく口を広げ、はきはきとした調子で話し出した。


「分かった! ゼハール、お前には暇を与える。ソニアを立派に育ててくれたのだ。恩は充分返してもらった。好きにするといい」


「はっ」


「ソニア。お前の言いたいことは分かる。だが、ダメだ」


「……」


ソニアは反論しない。

さすがは父親だと思う、娘のことなど何でもお見通しなのだ。


「言いたいことはあるか?」


ただ言える事は、もうここには居られないということ。

ならばやることは一つだけだった。


「この城で私を止められる者がおりますか?」


ソニアの顔が変わっていた。隙のない戦士の面構えだ。


「そこのブルブフォンなどはどうだろう、ゼハールと並ぶ剛の者だぞ」


「ダメですね。彼は私を殺す気にはなれないでしょう」


「確かに、となれば城を守る兵士たちを全て集めてはどうだろうか」


「その間に私は遠い所にいるだろう」


「そうか。ならば策は尽きたか」


「そうか? 私一人なら何ともなる気もするが……」


ソニアの口調が言葉を交わす度に本性を出してきた。最後の言葉にはもう父に対する敬意などこもっていなかった。

ヨア王は、激昂せず淡々と言葉を繋いでいく。そうして子に対する情を残しながらも、こう言った。


「ゼハールと共に行くのであろう。ゼハールはお前を守る為ならば私だって殺すだろうからな」


これにはゼハールも苦笑いした。

もしも話がこじれたのなら、ヨア王を人質にしてでも逃げるつもりであったのは間違いなかったからだ。


「お前の豪胆は認める。だが、お前はヴァリマキ家の娘なのだ。国の象徴がいなくなったら、国民はどう思う」


「どうにでも……」


もう何を言う気にならなかった。


「誰か、二人を止められるものはおるか?」


低く凄みのある声だった。

尊敬のできない父親ではあったが、王としては最高の男だ。

一同はこうなっては仕方ない、と言いたげに首を縦に振った。


「ならば王が命じる。二人を捕らえよ」


王の命である、ここで二人を逃がしても家来たちに責任はない。全てヨア王の責任となる。


「「「おおう!!」」」


その意を理解して、家来一同、剣を抜いた。

すでに年老いた重鎮さえ剣を抜いる。久しぶりに血が燃え上がってしまい、無意識の行動である。だが、この二人に剣を振れると思うと、恍惚としてしまう。

例え、ソニアに斬られようとゼハールに殴られて死のうが、恨む気持ちはない。

勝算はないのだが、この気持ちを抑えてくれるのはこの場にはこの二人しかいなかった。


彼らは二人を取り囲み、一斉に飛びかかった。




ルイはソニアを探して廊下を駆けまわっていた。胸のざわつきがまだ静まらないのである。

玉座の間付近に来ると、ソニアがゼハールを連れて現れた。


「姫!」


「お、ルイ。ちょうど良かった。これをやる」


一方的気にそう言って、ソニアが取り出したのは一枚の金貨だった。

エミリア妃から頂き、ゴロツキに取られたはずだった。

なぜソニアが持っていたかなんて疑問にも思わなかった。

今はどうしてそんなに楽しそうにしているのかが気になって仕方がなかった。


「それは私からお前への退職金だ。短い間だったが、よく私に仕えてくれた。おっと!」


金貨を大切にルイの手に握らせながら、ソニアは騎士の攻撃を避けた。

その騎士は、チャミ村に来ていた第三騎士団の一員だ。

その男が、笑いながら本気でソニアに剣を振るっている。

見覚えがあったからなおさらに不思議であった。

ルイは、玉座の間の一件を知らないから無理もない。


「何で戦ってるんですか?」


「気にするな。それより、付いてくる気はあるか?」


「どういうことですか?」


単純に意味が分からなかった。


「姫ではなくなった。これからは流浪の身だ、そんな私に付いてくる気があるかと訊いた」


「は、はい。どこまでも」


ルイはそう答えたが、ソニアは彼を連れていく気はさらさら無かった。

明日がどうなるかも分からない、そんな過酷な旅に貧弱な彼を連れて、無駄に命を散らさせたくはない。

行くのはゼハールと二人だけでいい。

二人とも死を覚悟している生粋の戦士であるし、気楽だ。

ルイはきっと無駄に気を遣ってしまうだろう。そんな窮屈な旅は望まないのだ。


「なら私の部屋に槍があるの知ってる? それを持ってきて」


ソニアの言った槍とは、デオドランド軍との一戦で使用していた白柄の大身槍のことである。

ダイヤモンドを磨り潰して塗料と混ぜて着色したとにかく戦場では目立つ武器であった。

だが、派手好きなソニアはそれを好んで使い、誘き寄せられた者たちを討ち取っていた。

それを持ってきて欲しいと言うのだ。


ソニアの槍は特殊な作り方をしている。

馬の突進力を利用して甲冑を貫くランスとは違い、振り回すために鉄板を何枚にも重ねて丸めて伸ばし、その中にも鉄筋を入れた重量感たっぷりの槍である。

殴るだけで人の首は簡単にへし折れるのだ。そんな重い物をルイのような小柄な者が持てるはずがなかった。


武器は、ゼハールの圧重ねの剛刀がある。

だから困っていなかったが、これはルイを突き放すための方便である。


「分かりました」


「先に行っているわ」


一途な男であった。ソニアもさすがに堪えた。

良い男である、こんな男を家来にしてられないことが惜しくて悔しい。

背後で騎士の頭を押さえていたゼハールが、早く逃げるように急かしてくる。

スピードが命だ。早く逃げなければ大勢集まって来る、そうすれば忽ち押さえつけられて終わるだろう。


ルイの方には二度と振り返らず、二人は駆けた。


城の外に飛び出すと、馬小屋に繋いでいたそれぞれの馬に鞍を載せて飛び乗る。

頭の良い馬たちだ。主人の心を見抜いているかのように、任せろ、と前足を上げて猛獣のような頼もしい嘶きを上げた。


もう振り返らない。

最後に母に会えなかった後ろめたさがあったが、未練はこの城に置いていくと決めた。

これからは無縁の身となり、生きるだけ生きる人生だ。

隣に頼もしい友人がいる、彼は活き活きと笑っていた。釣られて笑ってしまう。

城門を抜け、堀にかけられた橋を渡ると城下町がすぐにある。

向かうは南の関所だ。

そこはビーウッコで一番厳しい警備体制を敷いている。

胸の息苦しさは無くなっていたが、できれば派手に、痛快に行きたい。だからそこを通る。

それだけのことだ。


二人は城下町を一直線に駆け抜けた。抵抗らしい抵抗は無い。

まだ城下町まで伝わってきていないのだろう。これならば簡単に突破できそうだと思った矢先、二人は手綱を引いた。


関所には風変わりな一団が待ち構えていた。

王妃親衛隊(ウーメンオナー)の連中だ。完全装備で二人のことを見ていた。

何故だか馬には乗っておらず、その隣に立って手綱を握りながらじっと構えている。


「待っていましたよ」


凛とした声が聞こえた。

一団が割れると、その中央にエミリア妃が、輿に座って粛然たるさまで構えていた。

敵意が無い、そう勘付いた。

エミリア妃が革袋を持って輿から立ち上がると、馬上のソニア見上げた。

ソニアは馬から降りようともしない、ただギラギラとした眼差しで自分の母を見下ろす。

いつもなら捲し立てるように何を言ってくるはずのエミリア妃は、厳しくずっしりと重い顔付きで、眼だけが潤んでいた。

悲しいのか嬉しいのか判らなかったが、ソニアは泣きたくなった。


もしも、ここで馬を降りてしまっていたら城に帰ることになるだろう。

だからエミリア妃は、多くを言わないのであろう。

最後にその顔を間近で見たいと思っても口には出さずに、馬の鞍に括られていた荷物袋を無言で開けると、持っていた革袋の中身をじゃらじゃらと流し込んだ。

中身は金銀の塊や宝石の類であった。

屋敷を建てるのであれば、お釣りが返って来るほどの量である。


「元気に生きなさい」


「ありがたく……」


「ゼハール。この子を頼みましたよ」


律儀に後ろのゼハールに頭を下げた。


「王妃さま。心配は御無用でしょう、ソニアは独りでも生きていけますよ」


「本当に、頼もしく育ちました……」


堪えるようにそう言うと、振り返った。

もう娘の顔を見ようとしない、情が湧いてしまえば涙が止まらなくなる。

王妃親衛隊(ウーメンオナー)に道を開けさせ、自らも彼女らに混ざって、横に控えた。

関所に兵士はいなかった。彼女たちが何処かへと追い払ってくれたのだろう。

二人は彼女らが空けたその道を駆けた。

両側に壁のように立つ王妃親衛隊(ウーメンオナー)は、馬上の二人を見送りながら、剣を一斉に抜いた。


「お二人に神々の幸あれ!」


隊長が天に向かって謡う、それに隊員たちが続く。


「「「神々の幸あれ!!」」」


エミリア妃は、右手を掲げていた。

その顔は伏せていて良く見えなかったが、キラリと目元が光っている。


門の彼方へと駆けていくその姿を、エミリア妃は最後まで見送ることが出来なかった。

王妃親衛隊(ウーメンオナー)の面々も、しくしくと静かに涙を流す者がいれば、わんわんと泣き喚く者をいる。

二人のことが好きだったのだ。ゼハールに恋をしていた者もいたのだろう。


その姿が完全に見えなくなった頃、ひょっこりの彼女らの前に姿を現した者がいた。


「あら、ルイ君。どうしたの?」


ルイが、その小柄な身と不釣り合いの大きな槍を抱えていた。

持ちきれなかったのだろう、彼が通って来た道筋には槍の石突きを引きずった跡が城の方から続いていた。


「あ、王妃さま。姫さまを知りませんか?」


少し息遣いが荒かった。

だが、無理をしている素振りは見せずに、エミリア妃に訊ねた。


「ソニアなら、もう行ってしまいましたよ」


「そうですか。どっちに行きましたか?」


落胆の様子はない。

置いてきぼりを食らったとは、思ってもいないのだろう。今でもソニアの命令に対し、忠実に従っていた。


「ついていくのですか?」


「当たり前ですよ。僕は姫さまの一の家来なんですから。姫さまについていくと決めたからには、どこまでも共に」


なんて一途な子なのだろう。

堪えていた涙が零れた。もうソニアは流浪の身なのだ。

そんな彼女に家来を持つ余裕はない、いくら説得したところでルイは聞かないだろう。

彼を止めることは出来なかった。


「ソニアならこの道を通って行きました。きっとこの先にある村で、今夜は泊まるはずです。今からならまだ間に合いますよ」


「ありがとうございます、王妃さま。おじゃましました」


ルイは頭をぺこりと下げると、槍を重そうに引きずりながら門を潜っていった。

その背中は何とも頼もしく思えた。元奴隷だなんて思えない、力強い歩みだ。

エミリア妃も王妃親衛隊も一人の男としてルイを見送った。




天涯孤独の身の上なれど、自由を愛する心は誰もより強い。

困難が立ちはだかろうと、歯牙にもかけない。

憂き世往来、楽しければそれで良い。


かくしてソニアは念願であった自由な世界へと飛び出した。

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