大きな牢獄
「誰だその者は?」
ソニアの父でありアルマースの王、ヨア王がルイの姿を見てそう言った。
訝しげな顔であった。
自分の娘が乞食の子どもを連れて来たと思ったのだ。
無理もない、ルイは成長期に充分な栄養を与えられていなかったのであろう。
そのために背が低く、肉も付いていないので乞食と思ったのも仕方がなかった。
ソニアから良質な絹で編まれた衣服を給わったルイは、それを着用して王と拝謁した。
拝謁といっても、ソニアにゼハールと二人で随従してのことである。
ヨア王の私室で、ソニアが約一週間ぶりの親子の会話をしている間、その後ろに控えているだけの予定であったが、巨木のようなゼハールの隣に立っていたルイの事が眼に入ったのだ。
「ソニア、その子をどこで拾ってきたか」
訝しげな顔のまま、間を置かずにソニアに問いただした。
自分の娘が怪しげな者を家に連れて来たなら、どの父親だって不安や怪しく思うだろう。
ましてやソニアは姫である、高貴な者に仕えるにはそれ相応の信用や、それに代わる能力が必要だ。
ヨア王から見れば、ルイは明らかに怪しく見えるのであった。
「父上、彼はチャミ村の戦いで救出した奴隷の少年です」
「奴隷とな。だが、なぜ連れているのだ?」
「私の家来になりたいと申したので……」
「だから家来にしたと言うのか?」
「はい」
力強い返事であった。
確固たる眼差しで、父親を睨むようにして、見るのである。
この眼を向けられてしまうとヨア王は、何も言えなくなってしまう。
まるで、自分が何か間違った事をしているのか、と尋ねてきているように思えて仕方がない。
もしここで間違っている、と言っても絶対に聞き入れないであろうことは、よく分かっていた。
一度決めたことである。
父親であるヨア王が言っても、聞き入れないであろう。
スパイかもしれないと疑ったが、その気迫に押され、心配する必要は無いと悟ると、もう何も言わないようした。
「わかった。ソニアがそう言うのであればその子を家来にするのを許可する」
「父上、感謝します」
ソニアは軽く頭を下げた。
下向きで父の見えていない顔は、したり顔であったのは語るまでも無い。
顔を上げたころには表情を戻していた。
「それでだソニア、婚約のことだが……」
「それでは父上、長い帰路の疲れが残っていますのでこれにて失礼します」
ヨア王の言葉を聞き終わる前に、ソニアは立ち上がると足早に二人を連れて部屋から退出した。
父を避けようとするその背に、言葉をかけようとしたが、ゼハールの大きな背で遮られてしまい、何も言えなくなってしまった。
ルイを先に出し、最後に残ったゼハールがヨア王に頭を下げて言う。
「ヨア・ウッコ王さま、姫は少し気が立っておりまする。例の件は、しばし間を置いてから話してくだされ」
「う、うむ。心得た」
物腰柔らかな調子であるが、ヨア王は強気に物が言えなった。
彼の醸し出していた雰囲気に当てられてしまうと、王といえど身が強張ってしまう。
ゼハールは、知ってか知らずか口端を尖らせながら扉を閉めていった。
私室に向かっていたソニアとルイに追いつくと、何食わぬ顔で並列する。
「どうしたの、やけに嬉しそうね?」
ソニアが気になってか尋ねてきたので、ゼハールは片目を瞑り、懐から葉巻を取り出して言った。
「ソニアも言うようになったな、と思ってな」
「先生ほどじゃないわ」
ゼハールは、指先から火種ほどの熱を出して葉巻に火を付けようとする。
魔法は得意ではないが、指先から火を出す芸当ぐらいならばできた。
ほのかに赤らんだ指を、葉巻の先端にあてがっていると、眼の前から女性の一団が歩いて来ていることに気付いた。
広い廊下は二十人ほどならば横に広がって歩ける。
その一団は豪華なドレスと宝石をあしらったアクセサリーを身に着けた女性を先頭に、甲冑を身に着けた女だけの騎士団。
《王妃親衛隊》が横五列に広がり、行進するようにして、ヨア王の私室の方向へと向かっていた。
ソニアは、咄嗟に顔を背けた。
逆にゼハールは燻らせた葉巻をくわえながら、ホクホク、と笑みを浮かべてその一団を眺めるようにしていた。
好色の笑みである。
ルイは、その豪勢な一団に眼を奪われてソニアの行動が目に入っていない。
すれ違った瞬間、その一団が止まった。
その瞬間を狙ってソニアが一気に加速するが、先頭の女性が白い首をぐるりと回して、ソニアに向かって声をかけた。
「ソニア。帰って来たのなら一声かけるべきではないでしょうか?」
落ち着いた口調ではあったが、その芯にはとても固い物が凝縮されていた。
ソニアが、ピタリ、と止まった。
「は……母上」
ソニアの背筋がピンっと伸びると、恐る恐るといった風に後ろを振り返って、弱々しい声で返事する。
声をかけてきた女性は、少し陽に焼けたソニアと違って透き通るような白い肌で、ソニアに微笑みかけている。
その漂う雰囲気に、ソニアが押されている。
何を隠そう、ソニアを脅かしている彼女こそが彼女の母であり、ヨア王の妻であるエリミア・スヴィ・ヴァリマキ王妃であった。
白髪を後ろで束ね、冠で飾っている。
この白髪は歳のせいではなく、生まれながらの綺麗な白色である。
ソニアが白髪なのも、母の血を色濃く継いでいるからだろう。
「ゼハールもお久しぶりです」
エリミア妃は、ゼハールに向かって頭を深々と下げた。
まるで目上の上司に向かって挨拶する部下のように、深く長い。
「エリミア・スヴィ王妃さま。こちらこそ、今日もお美しいですな」
そんな相手にここまで頭を深々と下げられても、ゼハールは屈託とした態度で頭を下げ返す。
なんら驚きもしない。
国のナンバー2であるのにも関わらず、エリミア妃は誰に対してもこの態度なのである。
それは、ルイであっても変わらなかった。
ルイは、ソニアの傍で細い腕をソニアの脚に添わせながらエリミア妃を見ていた。
エリミア妃が頭を上げている途中、その姿に気が付いた。
子犬のように華奢で、触れてしまえば崩れてしまうような儚げな情緒をまとったルイに、エリミア妃は瞠目する。
「ソニア……この子は?」
思わず訊いていた。
「彼は先日の戦いで救出した奴隷だった者です。家来になりたいと申したので連れてきました」
「奴隷」その言葉を聞いたエリミア妃は、自愛に満ちた表情になると小さなルイに目線を合わせ、その瞳を覗き込んだ。
死んだ眼ではなく生き生きとしていて、ルイの瞳は光に満ちていた。
エミリア妃は知っていた。奴隷という人がどういう眼をしているか。
だが、ルイは違っていた。
奴隷だったという過去など忘れ去ったように、一種の清涼感さえあった。
こけた頬など知ったことではない、全身の傷が何だというのだ。
ルイの瞳は、エミリア妃にそう語っていた。
「元気な子ね」
エミリア妃は、口元に柔らかな微笑を浮かべ、目尻が下がった顔でルイに、温和な口調でそう言った。
それに、ルイがドキッとする。
エミリア妃の笑顔は、ソニアにとても良く似ていたのだ。
ソニアが歳を取ると、このような女性に成長するのだろう。
エミリア妃は、熟れた魅力にあふれる女性だった
「ソニア。彼にちゃんと食べさせてるのですか? 栄養バランスをちゃんと考えて野菜もきちんと食べないといけないのですよ? そもそも貴方は自分が食べたいものしか食べないのですから、それを彼に強要してはいけませんよ」
ぽんぽんぽん、と立て続けに言葉が出てくる。
ソニアは母のこういう所が苦手なのだ。
捲し立てる言葉が、耳にずかずかと入って来ると苦笑いするしかない。
「何を笑っているのですか? あとお給料はきちんと払うのですよ。貴方の初めての家来なのですから、その忠義に応えてあげなさい。お金を払うのも家来を愛することなのですよ」
「はい、母上」
「おこづかいは王より貰っているでしょう。その中から払うのですよ」
「はい、母上」
「それと前から言っていることですが、そんな派手な服装なんて辞めなさい。年頃の女の子が台無しです」
「はい、母上」
「この子の名前は何て言うのですか?」
「はい、母上」
「……」
エリミア妃は怖い顔になった。
「ルイです」
先ほどから同じことしか言わないソニアに代わって、ルイ本人が代わりに答えた。
ソニアは、はっとしてルイの方を見た。
自信満々の笑みで、母に名乗ったルイはどこか誇らしげに見えた。
自分がただ単にそう思っただけかもしれないが、母親相手にここまで何も言えない自分が、情けなく思えてきた。
「そう、ルイ君ね。これで美味しいものでも食べなさい」
と、エリミア妃がルイに金貨を渡そうとしていたのを、ソニアが手を割り込ませて止める。
「母上。私の家来に勝手に物を与えないでもらいたい」
ソニアの強気な態度に、エミリア妃が意外そうな顔をした。
「ふふ、ごめんなさいねソニア。ルイ君がカワイイから、おこづかいをあげたくなってしまったの」
目尻にしわを寄せて笑うその姿は、まるで自分の孫に、何の理由も無いのにおこづかいを与えてしまう祖母のようであった。
立ちはだかったソニアの脇をするりと抜け、何事も無かったようにエミリア妃は、ルイのポケットに金貨を一枚入れてあげる。
「ありがとうございます、王妃さま」
「いいえ、娘の初めての家来ですもの。何かあったら私の事を頼ってくださいね」
「母上! ルイを甘やかさないでください!!」
「良いではないですか。貴方の家来は私の家来も同然です」
「違います!! ルイは私だけの家来です!!」
そこには王妃も姫も家来も何もない、家族のような団欒とした姿があった。
母親に強くものを言えない年頃の娘というのも可笑しなものである。
何かが引っかかっていた物が取れたように、気持ちよさがソニアの胸に芽生えた。
母親と久しぶりに話せた気がしたからだ。
何とも温かな空気中、はばかるように王妃親衛隊の一人がエミリア妃に耳打ちする。
エミリア妃がはっとして、年甲斐もなくはしゃいでしまったことを恥ずかしげにしながら、ドレスに付いたしわを伸ばして、三人に向かって軽く頭を下げた。
「王を待たせていましたわ。ではこれで……」
頭を上げると、さっさとエミリア妃は王妃親衛隊を連れて去っていった。
あっという間の出来事であったが、ソニアはどっと疲れた。
母親が去っていった途端に、肩に重りを乗せられたような気分になる。
「姫のお母さん、楽しい人ですね」
「そうでもないわよ」
「いや、しかし二人のあんな楽しいそうな光景を見たのは久しぶりだ」
今まで隅で控えていたゼハールが、先ほどの光景を思い返していた。
ソニアは、母のことを嫌っている訳ではない。
団欒と会話することもあったが、歳を取るごとにその機会は減っていった。
気ままに振る舞いたいソニアを、抑えようと捲し立ててくるのが、彼女には何とも歯痒かったのだ。
やがて、それが窮屈に拍車をかけることになった。
親と子の確執は着実に出来上がり、最終的にソニアの家出騒動として、その確執は表に現れた。
「ルイよ、その金貨大事にしろよ。王妃さまから直々に貰うなんて光栄なことであるぞ」
「そうなんですか?」
「そうだとも。いやいや、今日はめでたい日だ。部屋で茶でも飲もうかよ」
「今はそういう気分では……」
ソニアが披露した顔で言うが、ゼハールは知らん顔で二人の手を握った。
「よしよし、分かったみなまで言うなソニア。とびっきりの茶葉を使ってやろう」
二人を引きずるようにゼハールは廊下を急いだ。
ソニアの部屋はそう遠くない、廊下の行き止まりにある扉を潜れば到着である。
ゼハールは二人をイスに投げると、タンスから茶葉を取り出して一方的に話を進めた。
「何が良い? ルイは飲むのは初めてであろう。あまり癖のある物は止めておこうか」
「先生」
イスに倒れ込んでいたソニアが、顔だけ起こして喚いた。
「今は、茶などより酒が飲みたい」
ゼハールの溜まらず破顔して、ぷっと吹き出した。
ヨア王の私室にて、エミリア妃は彼と向かい合って昼過ぎの茶を楽しんでいた。
柑橘系の酸味と甘いが口一杯に広がり、香りが鼻を通り抜けると気分が落ち着く。
ヨア王は、不機嫌な顔をしていた。
エミリア妃は、何かあったかとは訊かない。
向こうが話し出すまで静かに茶を飲んでいると、ヨア王が唸り始めた。
う~~、と赤子がぐずり出す一歩手前のような声を出す。
「ソニアには困ったものだ」
終わるとそう言った。
「クリスティーナには姫としての教育をちゃんと施した。次女であるソニアは姫騎士として育て、いずれは軍を預けようと思っていたがあれではな……」
第一王女である、クリスティーナ・ロヴィ・パラリエーナはソニアより5歳年上であった。
現在は、他国の王子と結婚してアルマースにはいないが、二人の他にもう一人兄がいる。
その兄は、次期王として教育を施されて、今はアルマースにいる五人の将軍の一人として活躍している。
いずれは兄が王を継ぎ、その穴をソニアが埋める、という算段が出来上がっていた。
「まだ何もしていないではないですか」
「まだではない。その内だ、その内何かをするかもしれない」
ソニアの名は国を超えて、天下に広まっている。
武のみならず、流行り歌から古今の踊りにも通じ、歴史書や亜人の書く字を意訳する教養を併せ持った「風雅の花」としてソニアの知勇と美麗は、知る人ぞ知るものとして名高い地位を得ていた。
戦場では命を惜しまない戦士と化し、平安な日々では花を愛で茶を楽しむ一面を見せるも、親であるヨア王に反発する。
「やはりゼハールの影響なのか。私はやつのことは嫌いではないが、人に何かを教えるのが下手なやつだった」
「彼のことをそう言わないでください。彼は、貴方に恩を返すために、ソニアをあそこまで立派に育ててくれたではありませんか」
ゼハールは、ヨア王に多大なる恩義があった。
物にも変えられない、彼が一生を懸けて返すべき恩である。
いわばその恩を利用して、ゼハールをほぼ無給でソニアの教育係に付けていた。
思う、彼はアルマースにとても良く貢献してくれた。
だが、娘に関しては別だ。
どこに出しても恥ずかしくないように育ててもらいたかったが、あの姫らしからぬ態度は何ともやり切れない。
「あのような性格では生涯夫は持てんな、良い婿どのと思ったのだが」
「そう言わないでください。ソニアは立派に成長いたしましたわ」
「確かに立派に成長したが、あやつは自分が王家の娘という自覚が足りておらん」
「私の方でもきちんと言ってきたつもりでしたが……」
エミリア妃は、そうは言いながらも心の中ではヨア王よりソニア贔屓であった。
娘のことを酷く不憫に思う。ソニアが王家の娘でなければ、と何度思ったことだろうか。
長女のクリスティーナは姫として威厳ある美しい女性であった。
母であるエミリア妃の生き写しと言われ、他国に行くことに嫌とも言わず好き好んで自ら嫁ぎに行った。
クリスティーナはそれで良かった。自分でもそれが自分にはあっていると分かっていたからだ。
だが、ソニアはどうだろうか?
この堅牢な城が牢屋のように思っていないだろうか、彼女の姿を見るたびに胸が締め付けられてしまうのだ。
せめてソニアだけは、王家というものに囚われず自由に生きてほしい。
それが母の願いであった。
「わが家が、みなあのような無礼な者と思われるかもしれんだろう。そうすれば外交に不利となる」
「いつか、更生するはずです」
「ダメだダメだ。ソニアも18になったのだ。これからは厳しくしよう、教育係のゼハールは惜しいが、どこか他に飛ばして別の付き人を探してこなければな」
ヨア王は、きつく言い放った。
「王の好きなようにしてください」
エミリア妃でも、夫の前では一歩引いて口数を抑えていた。
決して心の内は語らないのである、それが王の妻としての正しき姿であると決まっていたからだ。