姫と奴隷
人は自由を欲する。
自由とは、心のままで外的束縛がなく自分の意のままに振る舞う事である。自分勝手とは意味が異なる。
しかし、この言葉は人によって捉え方は変わってくるだろうが、誰もがこう言うだろう。
自由とは何にも縛られず、社会という柵から遠くに位置する事であると。
それとは逆に人は束縛を欲することもある、束縛があっての自由だと誰かは語った。
ここに、ルイという少年がいた。彼の身分は奴隷である。自由を他人から奪われた悲しき人生を送ってきた。
何年も暗い牢屋と主人の屋敷の中で暮らしてきた。歳は自分でも分からない。ルイの主人も知らないし、ルイが何歳かなんて彼には興味も無かった。
ルイは、自由が欲しかった。
心の奥底から欲していたことだろう。
主人のデモという男は、デオドランドという国に貴族として忠義を誓っていた。
彼は先日、隣国アルマースに攻め入る先遣隊の指揮官に任命されることとなった。
彼に課せられた任務は、国境近辺にあるチャミ村を占領して、陣地を築いて本隊が到着するのを待つこと。
しかし、その動きを事前に察知されていたことには気付かなかったのだ。
千の兵が国境を密かに越えて、チャミ村付近の草原にて陣形を組んで待機していた。
陽は昇ってからは暫く経っていた。兵士たちの顔には、軽い緊張の表情が浮かんでいるがただの村を襲うのだけである、抵抗らしい抵抗などないだろうと、全員がそう考えていたその側面をたった一騎、白馬に跨った一人の騎士が突入してきた。見事な横槍であった。
ルイは首に鎖を繋がれたまま、馬上のデモの傍らにて黒い物体が視界の端に入ってきたことに気がついたが、それが千切れて吹っ飛んできた腕とまでは分からなかった。
それが飛んできた方向を見ると、キラキラと光る槍を持つ、馬上の人を見た。
その者は、白馬に跨って何とも頑丈そうな白銀の鎧で身を堅め、小脇にかい込んだその槍の柄は、真白でダイヤモンドでも擦り込んでいるのだろう。陽に当たると何とも綺麗に輝くので、兵士たちの眼を引いた。
長い白髪を、翼の装飾が付いたヘルムで後ろに流してなびかせながら敵陣に突入したその勇者は、まさに白い一筋の光と化した。デオドランド兵の鎧は黒いためになおさらにそう見える。
大身の槍を風車のように振り回すと陣は割れ、さらにその割れた隙間に槍を突き刺して、馬でこじ開け進み続ける。
その者に目的があるのか分からないがただまっすぐに、邪魔な者は首が撥ねられるか、慄いて道をあけるしかできなかった。
すると、勇者が喚いた。
「おおぉぉーー!! 我こそはアルマース国ヨア王が娘、ソニア・クラーラ・ヴァリマキなり!! 死にたくなければ我が前から失せるがいい!!!」
みなが驚いたのは無理もない。この勇者は女のみならず、天下に名高きアルマースの姫騎士だったのだ。彼女の他に姫騎士と呼ばれる存在は少なからずいる。
陣頭指揮を執り、必要があれば剣を振るう。だが、ソニアは少し違った。
たった一騎で突撃する勇気、陣を四散させる武勇があるのだ。
デオドランドの兵士たちは、まさかアルマース軍がこうも早く救援に駆けつけてくるなど、思ってもいなかった。
槍を振るうと、首が飛び、甲冑が割れ、彼女に立ち向かう戦意が削がれてゆく。
「そこにいる者、将と見た!!」
我武者羅に突き進んでいたソニアは、兵どもひしめく最中、大将らしき男の姿を確かに捉えた。
騎馬隊の先頭に立つデモを目掛けて進路を変更すると、猛烈に突撃を続ける。
だが、たった一人相手にやられてばかりではない。
五十余の騎士がソニアを取り囲むと、一斉に槍を突き出した。
徴収された兵ではない、鍛えに鍛え抜かれた先鋭騎兵隊である。必勝の陣形を組んでおり、逃れる術などない。
「うおおぉぉーー!!!」
辺りを雄叫びが包み込むと、ソニアは次の瞬間翔んだ。五十余の槍衾は空を突いた。
一瞬にして飛び越えられた騎兵たちは、彼女の乗っていた白馬がペガサスか何かの神獣だったのではないか、と思ったに違いない。
五十余の騎士も数多の歩兵も将のデモでさえ、頭上高くに飛翔するソニアに見惚れてしまっただろう、鎖に繋がれていたルイもその一人であった。
その姿は美しくて激しい、著名な画家が描く芸術作品に似ている。
それはソニアが率いてきた騎士団も同様であったが、ソニアが突入した方向にある森の中に伏した第三騎士団の面々も、木々の隙間から宙を駆ける我が姫を覗き、驚嘆の表情を浮かべている。
ソニアが笑っているのだ。ヘルムに覆われていない頬の部分には、筋肉のえくぼができていた。
あの状況で笑っていられる我が姫に釘付けになり、誰も動けなかったが、ある男の一声が状況を変えた。
「姫に続け! 彼女を無駄死にさせる者は俺が許さん!!」
先頭にて、馬に跨る巨漢の男が後方の騎士たちに吠えると、我先にと馬を駆けさせた。
呆気にとられた第三騎士団の百人は、ワンテンポ遅れてその巨漢の男に続いた。
待ち伏せていた森の中から抜け出すと、デオドランド兵は目と鼻の先である。
ソニアに見とれていた兵士の背を、馬の勢いを利用してのランスチャージで甲冑をぶち抜き一人突き刺しては、二人、三人と串刺しにしてでき上がった串団子を、膂力任せに天へと掲げながら、巨漢は陣中に躍り込んでいく。
その背を騎士団が必死に追いすがった。
「さぁ、潔く私と戦え!」
ソニアが落下地点の兵を蹴散らし、穂先を敵将に向かって喚くように言った。
女とは思えない凄みの利いた叫声に、デモは心を凍らせた。
決して自分が敵う相手ではない、一合も打ち合わずにそう悟るとは、指揮官としては情けないと思われるかもしれないが、ソニアに血の付いた穂先を向けられただけで死を避けたい、と本能的に思ったのだ。
そこからは怒涛の勢いであった。
ソニアの一騎掛けに慄いたデモは、僅かばかりの近衛騎兵を連れて逃げ去るその背を、ソニアが追いかける。
迫って来るソニアからデモを守ろうとして、近衛の半数が馬首を返して立ちはだかるが、槍で穿ち、叩き払い、横薙ぎの一閃で彼らは無に帰した。圧倒的な力の差であった。
一人、二人とデモの傍から離れてソニアに挑む者たちは、まるで小枝のように振り回される大身の白槍で馬上から叩き落される。
最後の一人が潔く、槍を振り上げて大きく吠えたが、見かけだけの威嚇は彼女には何の意味も無い。
その兵に向かって槍を放り投げると、腹に大きな穴を空けて馬上で串刺しとなった。呆気ない。ソニアは、通り過ぎざまに槍を引き抜くと頭上で回した。
血煙が霧のように広がった。デモの周りにはもう誰もいなかった。
ああ、嘘だ。嘘だと言ってくれ神様。どの神でもいい、誰でもいい、この夢を覚まさせてくれ―――――
「敵将! アルマース国第二王女にて、ヨア・ウッコ・ヴァリマキ王が娘、ソニア・クラーラ・ヴァリマキが討ち取ったぁ!!」
剣を抜く間もなく首を器用に撥ねられた。噴水のように勢いよく血が吹き上がる。
宙に舞った首を、ソニアが矛先で受け止めるように突き刺して、それを天へと掲げると、後ろでまだ戦っていた者たちに聴こえるよう、声を張り上げた。
千と百が一斉に動きを止め、ソニアの方に振り返った。
彼らの視線が、掲げられている大将の首に注がれる。首から下が槍と連なっていた。
デオドランドの兵どもは、唖然として血まみれになっている馬上の女を見ている。
その血は全て返り血である、ソニア本人は大した傷一つも負わず、ヘルムを脱ぎ捨て清々しい顔をしていた。
戦いなんて無かったかのように、涼しげな眼差しである。
この奇襲でソニア以下百一人、誰一人として死んでいなかった。
まさかこんな小競り合いで自分が死ぬなんて、デモは思ってもいなかっただろう。それが敗因であった。
デオドランド軍は、勝利に喜ぶアルマース軍を見て、自分らが敗北したのをようやく知った。
たった百人ばかりに負けたなんて信じられない様子である、実感が無かった。殺された兵士の数は少ない、デモとその近衛が主だ。
最高の電撃戦であった。
戦後処理は迅速に行われた。
千余りのデオドランド兵は武装解除され、下着一枚にされるとデオドランドまで走って帰ることになった。善意ある処置であった。
捕虜など取る余裕など彼女らには無い、いつ敵本隊が到着するか分からないため、危険分子を出来るだけ近くには置いておきたくなった。
かくして、アルマース軍は初戦を勝利に収めた。
「おいお前」
戦後、ソニアは馬上から少年に話しかけた。
声をかけられたその少年は、地に膝を付いて項垂れている。
デオドランド軍と共に逃げずにたった一人だけ残っていたのを不思議に思い、首が刺さったままの槍を肩に担いだままその少年に話しかけたのだが、様子がおかしいことに気付いた。
少年は戦場にいたのにも関わらず、来ていた衣服は腐ったようにボロボロで首には鎖が繋がっていた。
身体も酷く痩せこけていたので、奴隷だとすぐに察しが付いた。
「奴隷か、お前?」
アルマースは奴隷の売買を王が禁じている。
奴隷を国に入れたり、作ったりすると罰せられる法があった。
デオドランドは逆に、奴隷に対して何の法も無い。
奴隷は商品であり、財産であり、労働力としてこき使われている。その甲斐あって、デオドランドはアルマースと違って大きく繁栄していた。
ソニアは、奴隷の少年が反応しないのに頭に来たのか、下馬するとその小さな肩を、何食わぬ顔で蹴り飛ばした。
「うっ」
少年は地面に顔を埋めた。
周りの第三騎士団の面々が、何事だ、と集まって来るがソニアは意に介さず。
倒れ込んだ少年の反応を伺うが、どうやら今ので気絶してしまったようだ。
「先生、この子村に運んでくれる?」
彼女の呼び声に応じて、周りの男たちの中から頭二つ分抜き出た大男が輪の中に入って来る。
姫を助けるために駆けだした巨漢の男であった。
背は190cmを軽く超えているだろう、樹木のように太い腕で気絶した少年を、落し物を拾い上げるように軽々と担ぎ上げた。
「姫、かような者を手荒く扱ってはならん」
「す、すまん」
先生と呼ばれたこの男はソニアの教育係を務め親しい間柄である、彼女を叱るその声には深い親しみが籠っていた。
どうやらソニアは、姫でありながらこの男に頭が上がらないらしい、素直に悪びれた。
「みなの者、今は村に戻るぞ。いつまた敵が押し寄せてくるか分からん。油断するでないぞ」
姫が周りの騎士たちに喚くように言うと、村に向かって歩き出した。
百人の男たちは軽い疲労感を覚えつつ楽しそうに村に戻っていく。
巨漢の男はソニアの馬の手綱を引きながら、気絶した少年を肩に乗せてソニアに付いて村へと歩き出した。
ルイは、遠のいていく意識の中で感じたことのない、温もりを憶えた。