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「ただいまぁ~。」
自室に着くと、俺は再び猫を被る。
とあるアクシデントで、ここから先の光景は絶対に隊員達には知られてはいけない。
隊員達には一人部屋だと嘘を吐いて何とか誤魔化しているけど、もしこの事がバレたら自分の身を滅ぼす事になるだろう。
「おかえりー!縁ーーー!!!」
「ぅわぁ!」
中に入るなり俺の名前を気安く呼んで、勢い良く飛び付いてくる人物…。それは親衛隊にとって、憎き宿敵とも言える存在。
名を“千草雅”
…そう、こいつはあの転校生だ。
どう見てもカツラで、どう見てもツッコミ待ちとしか思えない瓶底メガネをしていて、そんなナリで上手く変装出来てる気になってる転校生はまさかのまさかで生徒会親衛隊隊長である俺と相部屋だ。
……何故かは知らないけど、理事長の決めた事ならしい。
「ふふ…離せよ殺すぞ?」
「えー?今なんてー?」
「ううん!ただいまっ、雅!」
あまりに鈍感ならしい転校生…もとい雅に、俺はストレス発散としてバレないように本音を口にする遊びを1人考案して実行していた。
今まで幾度となく笑顔で罵声を浴びせたが、面白いくらい雅は気付かない。
「今日は遅かったな!心配したんだぞっ!」
「ごめんねー?仕事があったんだぁ。……お前を生かすか殺すか決める仕事がな」
「へ?」
俺は雅に腕を引かれながら中に入る。
本当に、部屋に帰ってもぶりっこしなくちゃ行けないなんて腹正しいけど…まだこの馬鹿が相部屋で良かったと思ってる。
だって、どんなに本音を言ってもまるで人の話を聞いていないから。
「ま、暇だったから友達連れて来たんだ~」
「え?友達~?そんなのお前に居たの?」
「うん、友達~!ほら!」
今にもスキップしだしそうなくらい嬉しそうに笑いながら、雅はリビングに通じてる扉を開けた。
親衛隊からは雅に友達が居るなんて報告一切なかったし、もしかしたらぬいぐるみを友達と言って話しかけちゃう小さい子供にありがちな現象かと思いながら中を見てみると、俺はもちろん、リビングに居たそいつも時が止まったみたいに固まってしまった。
そんな俺達を空気を読めない雅が、ニコニコと交互に見つめている。
「…ッ、雅離れろ!」
「は?!」
────…先に動いたのは向こうだった。
俺をまるで暴漢でも見るかのような目で睨み付けて、雅を自分の方へと引き寄せる。雅は突然の事に、目を見開いて驚いていた。
「どうしたんだよ大夢?!」
そう、大夢…。
こいつは“龍川大夢”だ。
この学園でそいつを知らない奴は居ない。何故なら、この男はサピエンス学園一の金持ちで、人気投票も堂々の一位に君臨する…俺達親衛隊が憧れ慕う存在。
────────…高等部の生徒会長を勤める男……。
凛々しい眉を寄せ険しい顔をしていても、遺伝子レベルで普通とは違う、圧倒的なオーラ。
自分が王だと生まれた頃から知っているような、傲慢なナルシスト野郎だ…。
「雅、こいつと同室だったのかよ…!」
「へ?そうだけど…───」
「何でもっと早く言わなかった!!」
あぁ…なんだか面倒な事になりそうだ…。
「突然耳元で怒鳴るなよ!」
「あ?いや…」
キーキー猿みたいに怒って暴れる雅。抱き締めてなんとか暴れるのを止めようとする生徒会長。今にもキス出来ちゃうくらいの近距離で、言い合いを始めだす。
俺はしばらく雅と生徒会長の気持ちの悪い戯れを見つめながら、頭を回転させていた。このままだと面倒事になるのは必至だ。大事にされて親衛隊にバレでもしたら困る。
さて、どうしたものか………。
「でもこいつは親衛隊の隊長なんだぞ?!」
「それが何だよ!」
「こいつはお前を目の敵にしてる!今日だってお前に制裁を与える作戦会議でもしてたに決まってる!」
「はぁ?!決めつけるなんて酷いじゃないか!!」
「大正解〜!」そう言えたらどんなに楽か。
まるで痴話喧嘩を見てる気分になって、俺は考える事をやめて2人の会話を黙って聞く事にした。止めようとしようもんなら、飛び火してきそうだし…。
2人はああ言えばこう言う、みたいな低レベルな言い合いをしばらく続けていた。
「………ッ、そんな事言う奴なんか嫌いだ!」
けど、ついに雅は生徒会長を突き飛ばしてそう叫んだ。
素直さだけが取り得の雅が口にした“嫌い”という言葉に怯んだのか、ピタッと固まる生徒会長に、転校生は畳み掛けるように「嫌いだっつってんだろ!」と叫ぶ。
「出てけよ!お前なんか知らない!」
「雅…、悪かったって、」
「出てけって言ってんだろ!!」
えーっと…修羅場ですか?
何だか凄く重い空気になって、雅は生徒会長を押して無理矢理外へ追い出してしまった。
「雅!雅、悪かっ」
───…バタン!
生徒会長の言葉は、扉が閉まった事で聞こえなくなる。
しばらく諦めの悪い生徒会長が扉を叩いてたみたいだったけど、しばらくすると諦めたのか静かになった。
「…雅、いいのぉ?」
「いいの!」
拗ねたようにそっぽを向く雅。まぁ、ぶっちゃけどうでもいいからそれ以上は聞かない事にして…。何も言わずにジュースを飲んでいると、そっぽを向いていた雅がこっちをジロ…と見ているのがわかった。
流石にあからさま過ぎる視線をスルーする事は出来ず、俺はニコリと笑いかける。
「なぁに?」
雅は本当に、人間というよりは知能が劣るチンパンジーか何かだと思う。
視線を向けていた事を勘付かれて驚いたのか、目を丸めてからバツが悪そうに口を尖らす姿は、志○動物園に出てくるあの有名なチンパンジーを彷彿とさせる。
ちょっと違うのは、人の言語を喋れるって事くらい…。
「…縁はあんな事言われて、ムカつかないのか?」
雅はその場に体育座りをして、完全にいじけモードに入ったようだった。その姿にもその愚問にも、苦笑しか出来ない。
でもそこは偽りの笑顔を浮かべて、親衛隊としての模範解答を口にする。
「僕は生徒会の皆様を愛してるからぁ、何を言われたってムカつかないよぉ?」
「あ、愛してる?」
愛してるって言葉を聞いただけで顔を赤くするウブな雅に背中を向けると、思いっきりアッカンベーをかましてやった。
言ってなかったかもしれないけど、俺は別に生徒会役員に対して好意的な感情は一切ない。
…むしろ、大っっっ嫌いだったりする。
「縁!じゃあ、お、俺の事は?!」
…は?
意味がわからなくて思わず振り返ると、そこには顔を真っ赤にしながら俺に熱い視線を送っている雅が居て、心底鳥肌が立った。
てかまず、なんて言って欲しくてそんな質問をしたのかもよくわからない。気持ちが悪い。虫唾が走る。
「えっと…もちろん、好きだよぉ?」
「好き?!」
瓶底メガネの奥の目がくわっと見開く。
嫌なのか嬉しいのかよくわからない反応に俺はドン引きしながら首を傾げた。雅はそわそわと落ち着きない動きをしながら、上目遣いで俺を見つめてくる。
決して可愛いとは言えないその見てくれで…よくもそんな気持ちの悪い行為をしてくれたものだ。
何て返せばいいかわからなくてスルーしようとした瞬間、雅は突然とんでもない事を言い出した。
「なぁ、俺も親衛隊に入っていいか?!」
「う……はぁ?!」
予想外の言葉に、流石の俺も素っ頓狂な声を出して驚いた。
「バカなの?!」
おっと…つい猫なで声のトーンのまま毒を吐いてしまった。
だけど雅は本気なのか、立ち上がるなり人の両肩をガッチリ掴んで「お願い!」と叫ぶ。
「何で…?」
「だって、親衛隊に入れば俺と縁は同じ隊員なんだし、皆にも怒られないで堂々と仲良く出来るだろ?!」
「そ、そんな理由?!」
「うん!それにもう大夢とは絶交したし!」
なんだこいつ…!面倒臭い…!
そして何より、雅に掴まれてる肩が痛かった。逃げようと少しだけ後退りすると、雅がぐんっと間合いを詰めてきて逆に退路を失う。
1つの事に集中してしまって完全に周りが見えなくなっているのか、力が入り過ぎている事にまるで気付かないで、更にギチギチと力を強めていく。
俺はあまりの痛みに眉を寄せて雅を見上げた。
「雅、痛い…!離して?!」
「俺も親衛隊に入れてよ!ねぇ、縁!」
「…つっ、痛いってばぁ!」
こいつ…話しをまるで聞いてない。
これは本当にヤバイ気がする………────
「縁!」
「………ぐっ!」
力任せに壁に押しつけられて、一瞬息が出来なくて咳き込む。それでも雅は力を緩めもせずに「お願い!お願い!」と懇願してくる。
…あー、ウザイ。
俺の中で何かがブチッと切れる音がしたのがわかった。その瞬間だけは、ぶりっことか猫被りとか、どうでもよくなる。
「…あぁもう!離せよクソガキが!!!」
───ガッ!
「ぅぐっ?!」
俺はついに、自分の身を守る為に雅の股間を容赦なく蹴り上げた。
自分にもそれは付いてるから、どれだけおぞましい事をしたかはわかってるつもりだ。だけど声にならない叫びを上げて床に転がって悶絶する雅を見て、ざまぁみろって思った。
俺は肩で息をしながら見下ろして、バカにするように鼻で笑った。
「何すんだよ!あぁ…っ!くぅぅぅっ!」
完全にキレてしまった俺は、後の事なんてまるで頭になかった。まだ吠える元気があるらしい雅の肩を床に押し付けて仰向けにすると、馬乗りになる。
雅は次から次へと降りかかる災難に対応出来てないみたいで、目を見開いた。
「───?!ちょ、縁?!何を…」
俺は雅の首に手をかけると、微笑んだ。
「ねぇ雅、あんまり調子に乗らないで大人しくしてて?会長様が言ってた通り、僕達親衛隊はお前を敵と見なしてる。仲間になんて入れるわけがないじゃん」
「!!……そ、そんな…っ!縁、」
「せいぜい生徒会の皆様から離れない事だね?…あぁ、でも会長様とは絶交したんだっけ?」
かけた手に少しずつ力を込めていく。
「早く仲直りした方が身の為だよぉ?雅から生徒会ってゆう後ろ楯がなくなったら、僕達…」
─────…お前の事殺しちゃうかもよ…?
そう耳元で囁くと、雅は身震いしながら頬を紅潮させた。
この期に及んでまだそんな顔が出来る雅にやっぱり鳥肌が立って、俺は立ち上がるなりそのまま逃げるように自分の部屋へと入った。
まぁ…やり方は荒かったけど、これで雅も俺に近付こうとは思わないだろう。
それに今後、隠れて制裁をする奴も現れるかもしれないし、あの単純馬鹿に親衛隊の恐ろしい一面を知って貰ういい機会にはなった。
「はぁ…全部うざい…」
俺は溜め息を吐きながらベッドに腰を下ろすと、まず初めにカラーコンタクトを外して目薬を差した。
あぁ、目が疲れた…。カラコンって本当にしんどい。
出来る事ならしたくないものだけど、度ありだしコンプレックスを隠す為に付けているから目の疲れなんて比にならないくらい重要で。
カラコンを付けてない状態で誰かに会うなんて、想像しただけで死にたくなるくらいだ。
─────…部屋に入ってから、どれくらい経っただろうか。
何も考えずベッドに横になっていると、躊躇いがちに「コンコン」とドアをノックする音が聞こえた。
「…はい?」
「あ、縁…。ごめんな、俺…大夢とは仲直りする。だから縁とも仲直りしたい…」
「………何だそれ…」
バカはバカ。
どうやら俺の言った事なんて、てんで理解してないみたいだ。意味不明な理屈で仲直りを要求してくる雅に、溜め息しか出てこない。
よく溜め息をすると幸せが逃げるって言うけれど、あながち間違いじゃないと思う。ただ、溜め息をするから幸せが逃げるんじゃなくて、幸せが逃げるから溜め息が出るんだと思う。
雅に出会ってからは特に、そう思う事が増えた気がする…。
俺は小声で「面倒臭ぇ…」と悪態を吐くと、適当にあしらう事に決めてこう言った。
「わかったよぉ、仲直りね?…でも僕とっても疲れてるの…もう二度と話しかけないでくれる?」
「本当か?!わかった!話しかけない!」
「…………。」
「おやすみ!明日は一杯喋ろうな!約束だぞ!」
うるさいよ…。
二度と話しかけるなって言っただろ…。
扉口から雅が離れて行く音がして、安堵する。
すると、その安堵のせいなのかわからないが本当に疲れと睡魔が襲ってきて、俺はそのまま意識を手放してしまった。
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