-8- 理由
徹は得体の知れない不安と疑問を抱えながら学校に戻ると校内は騒然とし、悲嘆の空気に落ちていた。
一人の女生徒が友人に抱えられながら廊下を歩いて来る。
「大丈夫よ、きっと」
「そうよ。しっかりしなきゃ」
友人の言葉にその女性とは何も反応せず青い顔をしてただうな垂れているだけだった。
「お前、大丈夫かよ。風邪か?」
健二が話しかける。
「あ、ああ・・・」
「そうか。でも顔色悪いな」
「今の人は?」
「母親が事件に巻き込まれたんだとさ。重体らしい」
異様なざわめきの中、生徒達の間を縫って自分のクラスの前に着くと結が苛立たしげに携帯電話を耳に当てていた。
「どうした、ユイ」
「お母さんに連絡がつかないの。今朝買い物に行くって言ってて・・・」
「本当か?」
「うん・・・」
徹の頭に先程の光景が鮮明に映し出された。
濁った眼をした男。銃声。床に倒れこんで動かない人々。ガラスケースに飛び散った鮮血。
その中に結の母親が居たかも知れないと思うと言葉が詰まり、胸が苦しくなった。
「あ!」
結の携帯電話が鳴った。
「お母さん!何してたのよ!もう!いまどこにいるの・・・」
徹は胸を撫で下ろして教室に入った。
スーパーに駆けつけた国木田はその有様を見て絶句した。
原田が直ぐ横で被害状況を報告している。
「今連絡がありまして病院で一人亡くなったそうです。死亡者はこれで六人。重軽傷者は全部で二十人になりました」
「まったく、ひでぇな・・・・。で、そのイカレタ野郎の足取りは」
国木田は靴底に着いた血がぬるぬるするのを感じながら歩いた。
「それが・・・、今のところそれらしい男を見たものは全くいません」
いくら田舎だと言っても街の中心で騒ぎを起こし、野次馬が集っていた中で犯人が消えた。
「どういうことなんだ」
「さぁ。それから容疑者ではありませんが二十代後半の女性と学生と思われる男性が犯行直後スーパーから飛び出してきたそうです」
「女は」
「白いブラウスとグレーのスカート・・・。高校の教師かと。目撃者は村上先生と言っていました」
国木田は立ち上がってズボンのポケットから汗で濡れたタバコを取りだして一本銜えた。
カーテンが閉められている美術室で村上梨可子は椅子に腰を掛けて大きくため息をついた後正面に少し離れて立っている薫を見た後、直ぐに眼を落とした。
教室内の中央には石膏の立像と椅子が乱れたままだった。
「出来れば水上君を巻き込みたくはなかったけど・・・・。でもあんたの言った通りね。私のやり方じゃ身体が幾つあっても足りないわ」
薫は何も言わず無表情なままだった。
「もし、彼が澄子さんと同じくらいの力があったとしても・・・・」
梨可子は生徒の顔を改めて見たとき複雑な感情が湧き出てきて言葉を詰まらせた。
「前々から聴こうと思ってたんだけど、何であんたここに居るのよ」
薫の表情が緩み、漸く口が開いた。
「私の中にまた学生時代に戻りたいという記憶が潜んでいるようです」
「そう・・・。で、次はどうなるの?」
窓から入り込んだ風がカーテンと生徒の髪を巻き上げ、陽の光は薫の身体を通り抜けた。
緊急のホームルームが終わると生徒達は足早に教室を出て行った。
幸いにして徹のクラスでは身内に被害はなかったが胸騒ぎは収まらず眉間には視覚化出来ない黒いイメージが宿っていた。
「トオル、帰ろうぜ」
健二が席でじっとしている徹に声を掛けた。
「この調子で期末テストも中止になんねぇかな」
「なにバカなこと言ってるのよ」
結がそう諌めると健二は方をすぼめた。
「トオル君、大丈夫?ホント顔色悪いわよ」
「あ、ああ。何でもない。大丈夫だ」
三人は教室を出て静まった廊下を歩いていたが徹だけ途中で方向を変えた。
「どこ行くの?」
「ちょっと用事思い出したんだ。先に帰ってくれ」
徹は階段を上り二階の美術室に辿り着いてドアを開けた直後、「お前・・・」
藤崎薫が徹の横を風のように通り過ぎる。
「おい、待てよ」
後姿を見送っている徹の肩に梨可子が手を掛けた。
「さぁ、行きましょう」
「行くって、何処に」
「そうね。私のアパートでいいかしら。早く帰らないと先生に怒られるわよ」
薫と梨可子は何を話していたのか。徹は釈然としない気持ちのままスクーターを駆った。
徹達が通う高校は町の高台にあり、梨可子の車を追って一気に坂を下りる。
スーパーの前にはまだ人だかりが出来ていてマスコミ関係者等でごった返しており、徹は嘆きの残響を振り払うようにして胸の痛みを抱えながら通り過ぎた。
新しく区画整理された住宅街に梨可子のアパートはあった。
案内されるままに階段を上り、廊下の一番奥の部屋に通された。
部屋の中は画材道具が散らばっていて、絵の具の匂いが充満していた。
「そこら辺、適当に片付けて座って」
梨可子にはそういいながら冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出した。
徹はフローリングの床に腰を下ろしてイーゼルに立て掛けてある描き掛けの絵を見上げた。
青い空。草原。葉の無い樹には梟らしき鳥が停まっていた。その横に白いワンピースの洋服を着た女性が佇んでいる。腰まである黒髪。表情の無い顔に水晶のような瞳。
「この人、もしかして・・・」
梨可子は徹にペットボトルを渡すと椅子に腰を掛けて机に置いてあるリモコンでエアコンをつけた。人工の冷たい風が絵の具の匂いを中和する。
「その絵はずっと書き続けているんだけど・・・。そうね、多分彼女ね」
時々予知夢を見る。梨可子はそう付け加えた。
「最初は澄子さんだと思って描いていたわ。でも途中で違うと思った。澄子さん、こんなに冷たい顔なんかしない。もっとにこやかで、優しくて・・・」
「リカ先生、母さんと知り合いなんですか」
「そう。最初藤崎薫に会った時は心臓が止まるくらい驚いてね。水上君は彼女に会ったときどう思った?」
梨可子は徹の曇った表情を見て一息つき「そうね、澄子さがん亡くなったのはあなたが確か・・・」
「六歳のときです」
梨可子一息ついてお茶を一口飲んだ。
「さぁ、何から聞きたい?」
その時玄関のチャイムが鳴った。梨可子は無視しようとしたが執拗にチャイムが鳴るので仕方なくドアを開けた。
「すみません。村上梨可子さんですか」
「ええ。そうだけど。あなたは?」
「私、国木田と言います」
スーツのジャケットを無造作に持ち、ワイシャツのポケットから黒い手帳を半分覗かせた。
「ああ、警察の方」
「少しお伺いした事がありまして、お時間取れますか」
「今取り込み中なんですけれど」
国木田はネクタイを緩めて無精髭が生えた頬をボリボリと掻いた。