-4-
ここ数日、海辺で得体の知れない水蒸気のようなものを見る前から徹の中で何かが蠢いているのを感じていた。
心の奥に閉じ込められた記憶のせいなのか、その理由は分からない。
しかし、焦りみたいなものが湧き出てきて何も手につかなかくなり、神社での出来事があってから更にその思いが強くなった。
「ばあさんに聞いてみようか・・・」と思うのだがなかなか切欠がなくて言い出せない。
徹は薄暗くなった川沿いの道を歩いていた。
蛙がうるさく鳴いている。
自宅の灯りを見たとき玄関から制服の女性が出てきた。
目を会わせず軽く会釈をしてその女性は走り去った。
怪訝な面持ちで見送ると奥からナオが徹を呼んだ。
「また学校、さぼったんじゃないだろね」
「行ったよ・・・」午前だけな、と呟きながら靴を脱いで居間に座った。
「さっきの人は?」
「お前も知ってる人だよ」
やはり、山下さんか。今日の事件の事で来たのだと察しがついたが詳しい事を聞くのは憚れた。
「お前、私が何をやってるのかわかってるかい」
ナオは飯台を挟んで徹の正面に座った。
「人・・・、助け」
「私は別に特別な人間だと思ってないけど、見えないものが見えたり、人が感じない事が感じられたり、代々の血筋っていうのかね」
お茶を入れながら更に続けた。
「人に相談されりゃ断る義理もないけど、積極的に関わっちゃいけないっておぼこの頃母親に言われたよ」
祖母はこの町の人からカミサマと言われ些細な悩み事から霊的な事まで相談に来る。
宗教めいた事は何もしないし、特別修行を積んだというわけでもない。
知らない人が見たら農家のただのお婆さんだ。
「見てみぬふりするのは辛いことだけど自分自身を守るにはそうしなきゃいけないんだよ。」
「なんだよ、いつもと言ってる事が違うじゃないか」
ナオは少し戸惑ったが凛とした表情で返した。
「自分の出来ることを知って、それでも誰かのために何かしたいと思ったらお前の思うままにやるがいいさ。でもね、一番大切な物を判っていなけりゃ意味のない事なんだよ」
ナオは暫く沈黙した後台所に行った。そこで何をするでもなく突っ立っていたがなぜかしら居たたまれなくなって勝手口から外へ出た。
下弦の月をじっと見詰める。蛙の声が沸きあがるように響いていた。
ナオは「ああ・・」と呟き胸の前で手を組み祈った。
空からはキラキラと大量の何かが降っていた。
同じ夜。国木田が最後のタバコを口に咥え包み紙を眠たげな目で見た。
「人により程度は異なりますが、ニコチンにより喫煙のへの依存が生じます・・・」
裏を更に読んだ。
「・・・喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます・・・疫学的な推計によると・・・ふん、そんなもんあてになんねぇよ。ほっとけ」
包み紙をねじってゴミ箱へ投げ捨てた。
「お前はタバコ吸わないのか」
報告の途中だった原田に問いかけた。
「え?あっ、そうですね。吸わないです」
「酒は?」
「酒は・・・少し」
「近頃の若いもんは丸い奴ばっかりでつまらねぇな」
「はぁ」
「それで、続きは」
「あ、はい。富田二丁目の飯塚聡史ですが、近所の住民の話によると滅多に外出せず、たまに顔をあわせても挙動不審で気持ちが悪いと・・・」
県内の大学に入ったが一年足らずで戻って来、その理由は不明だと続けた。
「いかにも、ってところだな」
「そうなんですが、被害者の山下良子の家とは目と鼻の先でして、幼なじみだそうです」
国木田は机の引き出しから新しいタバコを取り出し口を開いた。
「最近、どうも胸の辺りが苦しくてな、タバコのせいしゃないかって思ってるんだ」
原田はファイルを閉じて首を傾げた。
「禁煙されたほうがいいんじゃないですか」
「女房もそう言ってるよ。だけども、どうだ、お前は長生きしたいか?」
「ええ、そりゃ、早死にはしたくないですねぇ」
「俺も女房子供を残して先に死ぬのは本意じゃないが、生きるってぇのはそんなものか?長く生きられたらそれでいいか?」
「でも、例えば明日にでも死ぬ事になったら・・・・後悔ばかりでやり切れなくなりますね。国木田さんがそう言えるのはきっと悔いのない生き方をしてるからですよ」
国木田は苦笑いをして人差し指で額の辺りをぽりぽり掻いた。
「まぁ、俺も、後悔ばかりだな。明日死ぬって事になったら、きっと泣き喚くだろうな」
「だったら奥さんの言うとおりタバコや止めたらいかがですか」
腕組みをして「んん・・・」と唸った。
「生きると言うことは、迷う事、か・・・」
「誰の言葉ですか?」
「多分、俺の」
翌日。
三時限目が終わったとき徹は窓際にいる薫を見た。
「なにチラチラ見てんのよ」
結が徹に話かける。
「別に、見てねぇよ」
「見てるでしょ、授業中だって」
「見てねぇよ」
結は顔を背けて教室を出て行った。
昼休み。
徹は意を決して薫に近づいた。
しかし話しかける前に薫は全てを見通した水晶のような瞳を向けた。
「話があるのならまた、あの場所で」
「ああ、そうか、わかった」
徹は意表をつかれて戸惑いながら踵を返した。
放課後。徹は神社にやってきた。大きく3回深呼吸してまた一気に石段を駆け上がった。
荒々しく息をしながら石の狐の頭を平手で殴り祭事場へ歩いた。
「あなたは何を知りたい?」
後ろを振り向くと薫がいた。
徹は大きく息を吐き、汗で上半身が冷えるのを感じた。
「お前は、何なんだ。」
「私は藤崎薫」
はぐらかされた様な言いようで少し苛立った。
「ケンジもユイもクラスの皆もお前を知ってるけど、俺はお前を知らない。お前は突然現れたんだ」
「私は今ここに居るし、あなたも私を認めている。私は現に存在しているということでしょ?」
「そんな哲学を語りに来たんじゃない。昨日お前は・・そう、アウロ、アウロってなんだ」
「あなたの母親はすでにこの次元には居ない、けど、過去、本当に存在していたと証明できますか?」
「はぁ?なんでそんな話になるんだよ」
徹は苛立ち、不審な思いに駆られた。
「何故知ってる!」
「全ての情報は物体に蓄積されてやがて放たれて、すべて共有されます。それがこの宇宙を構成します」
「な、何なんだよ・・・」
「所詮言葉では何も伝えることなど出来ないのです。言葉は誤解を生むだけで憎しみの種にしかなりません」
「だけど、あの夢のようなものだって何も解らない」
「理解しようとしても無駄です。私が言うことも、伝えようとする事も・・・しかし、アウロの侵食はもう始まっています・・・」
「何言ってんだよ。ちゃんと答えろ!」
苛立ちの言葉を発したとき黴臭い風が枝葉を揺らした。
「兄ちゃん、じゃまなんだけど」
バットを持った子供に後ろから声をかけられ、徹が振り向いた。
「何、一人でやってんの?」
「え?いや俺は」
目線の向こうには誰もいない。
「また消えやがった・・・・」