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8.チョコレート色の傘

 日曜の昼下がり。休日の男の一人暮らしで困ることと言えば、食事。たまには気分を変えてみるか、と平日の疲れを残しつつ重たい身体を引きずって、大型ショッピングモールに足を踏み入れた。

 腹ごなしを済ませ、ぶらぶらと目的無く歩く。そんな時、ふと目に留まるものがあった―――――




「この番号札をお持ちになって、少しお待ちくださいね」


 普段、立ち入ることのないような店のレジの前で、手作りと思われるラミネート加工の番号札を受け取った。店内を歩き回る気分でもないので、商品のラッピング用紙を取り出している店員の様子をぼんやりと見守る。

 ふと視線を感じて顔を上げれば、レジを終えた20代前半ぐらいの女性が、ちらちらと熱を帯びた視線をこちらに向けてきていた。よく見れば店内は、若い学生から主婦まで年齢層は幅広いが、すべて女性。店内もパステルなカラーに彩られ、はっきり言って居心地が悪い。やっぱりこんな店に入らなければよかったと改めて後悔した。

 しかし、目についてしまったのだ。買うつもりなどなかったのに……あの―――――


「見ぃちゃった!」

 その後悔を後押しするような、不吉な声が颯人の背後から響いた。

 この声は……振り向かなくてもわかる。


「なんで、こんなところにいるのかなぁ~?」

 最悪。よりにもよって平田(こいつ)に見られるとは……


「もしも~し、そこのイケメンのお兄さん! このガーリーなお店になんの御用ですかぁ?」

 そう言うと、颯人の手物にある番号札を見てうれしそうな笑い声をあげた。


「ま・さ・か、ラッピング待ち?……ラッピングって朝倉、がらじゃないでしょ~!」

「……」

「ちょっと……無視しないでよね。……朝倉!」

 振り向きたくない。

もういまさら、絶対逃れられないのは重々承知だが、万が一、去ってくれることを願う。


「ふ~ん……無二の親友にそんなことしちゃうんだぁ~。甘いよね。後悔しても遅いよ~……」

 そう言うと、平田は足早にレジに近づくと、身を乗り出して、店員に笑いかけた。


「こんにちは?」

 その瞬間、作業をしていた店員の顔色が変わる。頬がたちまち赤くなり、目がトロンとうつろに……まるで悪魔の毒牙にかかったように。


 ―――――やばい!


 颯人が動くよりも早く、平田は「その僕の親友が買ったものが見たいんだよね。み・せ・て?」と、猫なで声で店員に迫る。店員は操られたかのように、手に持っていた品物を、平田に手渡した。


「……折り畳み傘?」

「ちょ……やめろって!」

「なんで、傘?」

 颯人は、不思議そうに首を傾げる平田からその品物を取り上げると、店員を鋭い瞳で睨み付けた。


「包装は結構!」

「え……? お客様!?」

 そう言い放つと、手に残る札をテーブルに叩き付け、そのまま店を出る。こんな忌々しいものはさっさと返してしまいたかったが、会計を済ましていたので持って帰るより仕方がない。

 なんで……よりにもよって……

 そう思う颯人の後ろから、平田が追ってくる声が聞こえた。


「ちょっと……置いて行かないでよ~」

「俺は、一人でここに来たんだ」

「だとしても、偶然会った友人に一言ぐらいあってもいいでしょ」

「……さいなら」

「あははは! 朝倉のそういうとこ可愛くて好きだよ。僕にかなうわけないのにさぁ~」

「……」

 その言葉に、今更ながらゾッとする。

 構うのも面倒だが、放っておくと何をしでかすかわからないのが平田なのだ。


「……わかった」

「ふふ……やっとこっち向いたね」

 振り向いて不機嫌そうに視線を向けた颯人と対照的に、平田は楽しそうな笑みを浮かべた。

 諦め、ため息をついてから、口を開く。


「なんでここに居んだよ」

「……その前に、それは?」

 平田はそう言うと、颯人の手に握られた傘を指差した。

 しつこい……


「傘だよ」

「そんなのわかってるよ。その女物の傘を、誰にあげるつもりなのって聞いてるんだよ」

「……彼女に決まってんだろ」

 当たり障りない言葉で誤魔化す。


「嘘。今、彼女いないでしょ?」

「……」

 図星だ。もう何か月も彼女と呼べる存在はいない。


「しかも、ドット柄ってナチュラル系だね。ちょっと今までのタイプと違う……」

 お前こそ、俺の彼女か!?


「う~ん……知らない女の子とも考えられるけど」

「誰だっていいだろ!」

「僕はね、気になることは、とことん追求するタイプなんだ」

「もっと有意義なことに、その能力を発揮してくれ」

「まあまあ、焦んないでよ。ちょっと考えるふりをしてみただけだよ」

「ふり?」

「うん。実は……僕にはわかってるんだ」

「……何?」

「意外? ふふ……僕の恐ろしさを知らないの?」

「バカ言うな」

「当ててあげようか?」

 その言葉にギクッと身体を揺らす。わかるはずはない。颯人とて、衝動的に思い立って買ったのだから。


アメの傘―――――いつも他人に委ねられる傘を思うと、もう一つあってもいいのではないかと思ってしまったのだ。

店頭に飾られた、ストライプとドットが交互に描かれた茶褐色の傘。爽やかというよりは、美味しそうなチョコレートのようで、可愛らしい印象を受けた。この傘が広げられた店頭を見た瞬間、とっさに彼女がこの傘を差す光景が頭に浮かんでしまったのだ。

しかし、決してフミに影響されたわけではない。もともとプレゼントしようとしたわけでもない。明日こそ返すつもりだった傘を思い、それと一緒に置いておこうと思っただけだ。

ただの衝動買いに過ぎない。

だから平田に分かるはずもないのだ。

 そう思っても―――――その醜悪な笑みに不安を掻き立てられる。

 まさか……!?


「相手はね……」

「相手は?」

 ごくっ……


「――――――萌ちゃんでしょ?」

「………は?」


“萌”

 その言葉に聞き張りつめていた緊張の糸がとたんに解ける。颯人は安堵から、今更ながら止めていた息を吐き出した。

 しかし、なぜ……こんなにも緊張していたのか――――――不思議ではあったが。


「あれ? 違った?」

 拍子抜けしたように肩を落とした颯人を見て、平田は不思議そうにそう尋ねる。

 とんでもない。それはありがたい誤解だ。


「い……いや、萌だ。萌に渡そうと思ってな」

「ふ~ん。やっぱりね。でも……萌ちゃんならそこまで隠さなくてもいいのに」

 

 下村 萌(しもむら もえ)。颯人が引き取られた伯母の三女。要は、いとこにあたる。

 颯人とは10歳以上も年が離れており、幼いころから一緒に住んでいたこともあって、妹のような存在だ。萌も颯人を兄のように慕っていて、下村家の女では唯一と思われる可愛い存在なのだ。

甘え上手で、何よりもくりっとした大きな瞳を輝かせ笑う姿が愛らしい萌だったが、帰国子女であったがため、小学校に編入してからいじめにあった。そしてすっかり人とのコミュニケーションに自信を無くしてしまい、家に引きこもってしまった。もう何か月もまったく学校には行っていないらしい。

 しかしそんな萌の数少ない心を開いている人物の中に、この“平田”が存在する。

 女には、誰にでも優しくこの王子スマイルが、萌の心を掴んでいるようなのだ。

 萌にとってある意味危険な存在なのだが、平田は“子供”には手を出さないので、今のところは放置している。

 たまには家族以外の人と、交流するのも悪くないからだ。



まあ、そんなわけで、今回の誤解はなかなか的を得ていた。“萌”ならば、おかしくない。むしろ好都合だった。


「萌から頼まれたんだ」

「萌ちゃんに? この傘を?」

「まあな」

「ふ~ん。外に出ないのに、なんでこの傘をリクエストできたわけ?」

「デザインは、指定されなかった。“傘をくれ”と言われたんだ」

「最近?」

「まあな」


 なんだ?

やけに根掘り葉掘り聞いてくる平田に、次第に不信感を抱く。そう感じ始めた時、平田がニヤリと笑みを浮かべた。


「う・そ」

「は?」

「萌ちゃんは嘘でしょ?」

「なん……」

「だって、僕、最近萌ちゃんに傘をプレゼントしたもん」

「はぁ?」

「知り合いから女物の傘をもらってね。せっかくだし萌ちゃんにあげたんだ」

「なっ……なんだと」

「ふふ……カマ掛けたら引っかかった!」

平田はそう言いながら、意地悪そうな笑みを浮かべ、人差し指で颯人の頬を突いた。


「こんのっ……」

「誰にかなぁ~? 光利さんと夏美さんは、基本的にきらっきらな物が好きだから違うよね」

 平田は伯母を“光利さん”と呼ぶ。ちなみに夏美は伯母の娘、長女だ。そしてもう一人、颯人と同じ年の次女……


「なら、恵利ちゃんかな? もうすぐ恵利ちゃんの誕生日でしょ。朝倉、恵利ちゃんとはとことん気が合わないし、そんな人物へのプレゼントなんて、言いたくなかった、とか?」

 そう言って、満面の笑みを颯人に向けてきた。


 これは罠か?

先ほどのこともあり、なぜかそんな匂いがプンプンする。

次女の恵利は、平田の言う通り全くそりの合わないいとこ(・・・)だ。理由の多くは、恵利が幼少期からことあるごとに、颯人に対抗意識を燃やしていたことにある。しかし颯人は昔から成績・運動かねては容姿に置いても群を抜いていたので、そのことを悟ると、あれこれと嫌がらせを働いてきた。

恵利はとんでもなく性格が悪い。

萌の引っ込み思案も、多くは恵利のせいでもあると確信している。


「恵利ちゃんへのプレゼント?」

「……違う」

「そんなわけないでしょ」

 それだけはありえないと、平田の言葉を否定した時、同時に背後から声が重なった。

 ちょっと待て!? この声は……恵利?!


「ちょっと……恵利ちゃん、出てくるのが早いよ」

「聞き捨てならないからよ。私をだしに颯人をからかうのは止めてくれない?」

「……せっかく、いいとこだったのにぃ~」

 そう言うと、すねたように唇を突きだした。ゆっくりと振り返ると、なるほど。予想通りの人物、恵利が勝ち誇ったように笑みを浮かべながら立っていた。ブルーの大きめのゆったりしたチュニックにボレロを羽織っている。派手な柄だが、細身のレギンスを合わせ、すらりとした体型によく似合っていた。

 恵利は俗にいう美人の部類に入るのだ。


「恵利ちゃんは遊び心が足りないよ」

「くだらない裕之の遊びならごめんよ」

「ノリが悪いなぁ~」

「大きなお世話よ」

 このままでは淡々と二人の会話は続いていきそうなので、口を挟む。

 

「……おい、こら平田!」

「ん?」

 その言葉に悪びれもなく、平田は颯人の方へ振り向いた。


「なんで、恵利がここに居る!?」

「え? 一緒に来たからだよ」

「はぁ?」

「恵利ちゃんの誕生日プレゼント、催促されちゃってさ。連れてこられたんだよね~。選んでる間は別行動だったから、暇だしうろうろしてたら、朝倉がこの店に入るのが見えてさ。追ってきたってわけ」

「じゃあ、別行動の恵利がなんでここに居るんだ?」

「え~? 朝倉を見つけた時にメールしたからね」


……やっぱり。

なんとなく、平田から胡散臭い雰囲気を感じていたのだ。初めから入念に準備していたらしい。


「裕之から“プレゼント見つけたからすぐ来て”ってメールが来たからわざわざ来たのに、くだらない理由でがっかりよ」

「嘘は言ってないでしょ? 朝倉が恵利ちゃんのプレゼントを買ってると思ったんだから」

「嘘ね」

「嘘つくな」

 飄々と言ってのける平田に間髪入れずに突っ込むと、その声が恵利とシンクロし、思わず恵利と目を合わせた。


「真似しないで」

「真似すんな」

 ぐっ……

 その言葉に、恵利は心から嫌そうな顔を浮かべる。お互い様だ。


「二人とも、気が合うね」

『どこが!?』

 同時に否定したことにより、平田はゲラゲラと人目も気にせず笑い出した。

 不本意ながら、その笑いは理解できるので苦笑をするしかない。

 平田の笑い上戸が落ち着くのを静観していると、恵利がこちらを見ているのに気が付いた。


「久しぶりね」

「ああ」

「思ったより元気そうじゃない。乱れた生活を送っているみたいだったけど」

「なんだそれは」

「ところで、“それ”結局なんなの?」

「は?」

 戸惑う間もなく、恵利は颯人の右手に握られた傘をひょいっと取り上げ、物色するようにまじまじと見つめた。

 ますます……ややこしいことになってきたようだ。

 恵利に関われば、不快な思いをしない(・・・)ことはまれなのだ。


「趣味悪いわね」

 ほら、きた……


「ほっとけ」

「誰にプレゼントするわけ?」

「言うわけねーだろ」

「何よ。隠すことないじゃない。言えない相手なの?」

「は?」

「不倫中の相手とか?」

「あほか」

「違うなら、教えなさいよ」

「いやだね。お前に教えていい結果になった試しが無い。前カノと別れたのもお前のせいだ」

「なによ。あの程度で引くぐらいなら大した女じゃなかったのよ。感謝してもらいたいぐらいよ」

「するか」

「ふん。ほんとあんたって面白味のない男よね。あんたみたいなキ○玉が小さい男って魅力が無いわ」

「は? 今……なんつった?」

「キ○玉が座ってないのよ。この程度でごちゃごちゃと、根性が足りないって言ってんの」

「ぶっ!!!」

 その言葉を受けて、平田が再び笑いのツボに入った。


「……お前まさか、それ、"肝っ玉"のことか?」

「え? ……ああ、そうだったわね」

「あははははは!!!」

 その答えを受けて、さらに平田が笑いを拡大させた。とんでもない間違いをしてくれたもんだ。


「ちょっと考えればわかるだろーが! ちったぁ女としての恥じらいは、ねーのかよ」

「……どっちでもいいのよ! その双方には関連性があるんだから」

「……はぁ? んなわけねーだろ」

 平田は再び吹き出し、笑い続けている。恵利の話も聞き捨てならないが、とにかく平田がうるさい。


「持論よ。経験上、間違いないわ」

「あほか。大した恋愛経験もないくせに」

「失礼ね! あるわよ!! とにかくあれが小さい男は、度胸もなかったわ。セックスも最悪、自分よがりだし……早漏だし」

「おいっ!?」

「あははははは!!! 恵利ちゃん、さっ……最高!」

「平田、うるさい!」

「くっくっ……でもさ~それで言うと、僕みたいな強い男は、マグナム級になるってことじゃない?」

「さあね。裕之のは見たことないし」

「でも、恵利ちゃんの言う基準値、超えてるでしょ?」

「度胸はあるかもね」

 常に自分が中心に世界が回っていると勘違いしている恵利だが、平田だけは一目置いているのだ。二人の間に何があったのかは知らないが。

 まあ、少なくとも二人の間に恋愛感情が生まれたことは、一度もない。


「なら……」

「でも見ないことにはわからないわ」

「……それなら今からでも見る」

「平田。いい加減に……」

「と思ったけど、やぁめた! 恵利ちゃんに見せたらなんか減りそうだし」

「どういう意味よ?」

「恵利ちゃんって、見せるだけでも、なんか取られそうだからさ」

「ふん。その言葉で、裕之が大したことないってわかったわ」

「ふふふ……朝倉よりは大きいけどね」

「いい加減にしてくれ……」

 この二人が揃うとろくなことが無い。平田のみならず、恵利もそれなりにモデルのような容姿をしているので、知らぬ間に注目を浴びていることも少なくないのだ。

 しかし、この二人の会話と言えは、誰かにかける罠だの、失敗をうまく取り繕う策略だの、物騒なのだ。そしてここに来て、下ネタとは……。

 どうやったらこの二人に関わらずにいられるんだ?

 

「で? 恵利ちゃん決まった?」

「まあね。高いわよ」

「う~ん。まあ……もの見てから考えようかな」

「やった!」

「買うとは言ってないからね?」

「裕之様~!」

「調子いいなぁ。じゃあね、朝倉」

 平田はそう言うと、何事もなかったかのように手を挙げて去って行った。恵利に関しては、挨拶一つすることなく平田の隣に並んで歩いて行った。

 言いたい放題言って、気が済んだらしい。本当にどうしようもない奴らだ。


 はぁ……

 知らぬ間にため息が漏れていた。ふと手に残った傘を見つめる。

 結果的に知られることはなかった。しかし―――――俺はいったいどうしてしまったんだ。

 “がらにもない”。

 本当だ。自分の行動にも理解不明だ。

ますますややこしくなる前に、さっさと手放してしまおう。颯人は心の中でそう決意すると、重い足取りで店の前を後にした。





 


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