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5.まかない

 あの雨の日から数日経って、颯人は意を決してスクラリに足を踏み込んだ。

 この店長がいる限り、ここにはできれば来たくない。

 しかし、どうしても、アメの様子が気になったのだ。

 

 しかしながら、颯人の必死の決心に関わらず、店内にアメの姿は見当たらなかった。他の客の楽しそうに談笑している店長と、もう一人よく見かける気さくなおばさんの店員のみのようだ。

 まだ、回復してねーのか……

 しかしながら、もともといつ勤務しているのか知らないので、ただの休みかもしれないとも思う。

 颯人は肩透かしを食らったような気分で、ミルクティーを注文した。


 しばらくして、おばちゃん店員が注文の品を持ってきた。いつものように紅茶の入ったポットとカップとソーサー、フレッシュミルクの入った小瓶だ。

 実を言うと、先日打ち合わせに来た際もこの組み合わせで、以前アメが給仕した時のミルクティーと異なることに疑問を持っていたのだ。

 いや、正しくはあの日がおかしかったのかもしれない。

 颯人は何気なくそのおばちゃん店員に聞いてみることにした。


「あの、ちょっといいですか?」

「はいはい、なんでしょう?」

 おばちゃん店員はいつもの気さくな感じで、返答を返す。しかしながら、注意がこちらに向いたことにより、給仕する手がぶれて、食器がカチャカチャと音を立てた。


「ミルクティーって……もともとこの組み合わせですよね?」

「どういう意味だい?」

「先日ポットの中が、ミルクティーそのものだったことがあって……その時はフレッシュも付いてなくて」

「え? ポットの中が?」

「正直言ってかなりうまかったんですけど……今の組み合わせと違うし、どういう事かなって」

「おかしいねぇ……ポットの中が……ミルクティー? そんなはずないけどね~……」

 そう言いながら、おばちゃん店員は首を傾げる。そしてしばらくそうしたかと思うと、ハッと目を輝かせた。


「あっ……もしかして」

「わかりました?」

「それって……一週間ぐらい前の事かい?」

 その言葉に、颯人は期待を込めてうなずいた。


「アメちゃんだろ? それを持ってきたのは……」

“アメちゃん”その言葉に、心臓がドクンと跳ねた。ただ確認されたに過ぎないのにいったい何にそんなに動揺することがあると言うのか。


「おかしいと思ったんだよ……あの時ジンジャーミルクティーにしたって言ってたのにストレートティーだったから……。相当慌ててたんだねぇ」

 おばちゃんはそう独りで納得するようにつぶやくと、それを眉をひそめ怪訝そうに見つめる颯人に向きなおった。


「ごめんねぇ……それ“まかない”用のミルクティーだよ。あの子、休憩前になると毎回、自分用のミルクティーを入れるんだけどね。あの日は突然、施設からお祖母ちゃんがこけたって連絡が入ってね、急いで帰ったんだよ。相当慌ててたし、それを間違えて持って行ったみたいだ。あの日のまかない用は、私にくれるって言って出て行ったのに、中身が違ったからおかしいな? と思ってたんだよ」

「まかない……」

「ごめんねぇ~。まあ……アメちゃんのは美味しかっただろ? あの子の入れるミルクティーは、なんだろうね……飲んでいてホッとするって言うか……不思議と笑顔にさせられるんだよね。あの子自身がミルクティーが好きだから、いつもうれしそうに作ってるし、心が込められているのかもしれないね。好きこそものの……っていうやつさ。まあ……コーヒーも美味しいから、アメちゃんは基本的にこの仕事に向いてるのかもね~」

 そう言って、おばちゃん店員は颯人に笑顔を向けた。


“飲んでいてホッとする”

 確かにその通りかもしれない。平田も……初めからアメのコーヒーを褒めていた。


「あの子のミスのこと、許してやってくださいね」

「もともと……怒ってませんよ」

「よかった……。ほら、店長に知られたら“これ”だから」

 そう言って、おばちゃん店員は頭の上に人差し指を立てた。

“鬼”のまね。

 怒られると言うことだろう。


「アメちゃん、一人暮らしして学費なんかも自分で工面してるし、本当に頑張り屋さんだからね。こんなことで辞めさせられたら可哀想だろ? 結構隠れファンも多いからみんな泣いちゃうよ」

「隠れファン?」

「そう。本人は全く気が付いてないけどね」

 おばちゃん店員は「鈍感なんだよ!」と言って、ガハハと豪快に笑い声をあげた。

その笑い声に店長始め、客の視線が一気に颯人達のもとに集まる。とたん、軽快に話をしていたおばちゃん店員の顔色がサッと青くなった。


「……でっでは! ごっごごごごごゆっくり!!」

 そう言って、そそくさとテーブルを離れていく。怪訝に思って視線を追うと、店長がおばちゃん店員に、醜悪な視線を送っているところが見えた。


 颯人と話をしたことで、あのおばちゃん店員は店長から嫉妬の視線を送られたのだろう。気さくで心の優しいおばちゃんなだけに、可哀想なことをした、と思う。

 そしてその気さくなおばちゃんに、アメは相当気に入られているようだ。苦労人のようだし、次々と語られる言葉はアメへの好意を感じた。

“隠れファン”?

 あの地味メガネにそんなものがいるとは到底思えないが、“鈍感”という面には大いに共感できた。

 

「くっくっ」

 自然に笑みが浮かんでくる。

 あのミルクティーはアメの作った“まかない”だったのだ。お人よしで、鈍感で、地味な店員のおっちょこちょいの産物。

 しかしそのミルクティーにどうしても感動させられずにいられなかった。その奇妙なギャップが可笑しくて、どうしても笑わずにいられない。


 面白い

 久しぶりにその人となりに、アメという人物に興味を引かれた。

 毎回まかないにするほどミルクティーが好きだと言う事にも、共感を覚える。ただ、あの黒縁メガネは不釣り合いで、それは誰が見ても明らかだし止めた方がいい。

 しかし―――――あの分厚いレンズの向こう側にはどんな瞳が隠されているのか?

 考え始めると、どうしても次々と疑問が湧いてくる。そしてそれは、無意識のうちにアメと言う人物を気にせずにはいられなくなってきていたと言うことだった。


 次に会った時、アメは俺を覚えているだろうか?

 無理だな……あの熱じゃ、なぜ自分のもとに傘が返ってきているのか、覚えていることすら怪しいものだ。

 それに衝動的にマフラーを渡してしまうなんて―――――がらにもないことをしてしまった。いっそ、忘れてくれた方がいい。

 しかし後日、風邪が治ったかどうかだけはスクラリ(ここに)に様子を見にくるとするか。

 


 しかし……それは、ある事実によって叶わなかった。

 颯人の人生において2番目に悲しい事が起こったからだ。



 颯人の一番大切な家族、心のよりどころ―――――ミルクが、いなくなった。




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