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4、伝わる熱


『私、そこのカフェでバイトしている“アメ”って言います』

 その言葉は、まるでその名を覚えておくようにと心に響く。

そしてその瞬間から耳がレーダーになったかのように、その名を拾っていく。

 いつでも……君を見つけられるように




「アメちゃん、大丈夫なの?」

 仕事の打ち合わせのために珍しくスクラリに来ていた颯人は、その名前を耳にし、ふと視線をレジに向けた。

 オカマな店長と“アメ”がいた。


「だ……大丈夫でっ……ゴッホゴッホ……」

「もう~どこがよぉ! 昨日よりひどくなってるじゃない! 病院は行った?」

「いえ……」

「なんで行かないの!?」

「寝てれば……」

「治るわけないでしょう、そんなにひどくなって!」

 その言葉に、明らかにアメはしょんぼりと肩を落とす。しかし、すぐに咳き込み苦しそうに顔をゆがませた。


 やっぱりな、と思う。

 あの日から3日。あの寒い日に薄着で雨に濡れれば、当然風邪を引くというものだ。

 あほは風邪を引かないとは言うが、あほがあほな行為をして風邪を引くと言うのは物事の道理をわきまえていると思う。

 

「もう今日はいいから、帰っちゃいなさい!」

「でも……」

「いいからぁ。明日も学校でしょう? 若いからって無理しちゃだめなのよぉ~! 今ならまだ病院間に合うでしょ」

「はい……ありがとうございます」

 アメは渋々といった具合でそう言い、頭を下げて厨房へ向かう。確かに顔が赤い。熱もあるのだろう、相当具合が悪そうに思える。

 その一部始終に目を向けていると、店長が再びアメを呼びとめた。


「そうだ、アメちゃん!」

「はい?」

「傘持ってる? さっきから雨が降ってるわよ」

「え……?」

 驚いたようにそう言うと、アメは窓から見える景色に目を向けた。その視線に誘われるように、颯人も窓を見上げる。

 確かに灰色におおわれた空から、雨が降っていた。


「昨日、ずぶぬれで来てたでしょ? 傘が無いって言ってたじゃない。今日は持ってる?」

 その言葉に、アメは一瞬ぐっと息が詰まったように黙り込んだ。そして何度か瞬きを繰り返すと、ぎこちない笑顔を浮かべ返答を返す。


「……はい、大丈夫です」

 

 こいつ、ぜってぇ持ってねえな……

 嘘だ。その動作が明らかにそれをもの語っている。ぎこちない表情からも、そう確信せざるをえない。

 わかりやすいやつだ……と思う。

 しかし、店長はその言葉に「それなら、良かったわ」と、ホッとした表情を見せた。


 このカマ! どこをどう見て“よかった”んだよ!


 この店員にしてこの店長(いや……このくだりは、以前もあった気がする)。鈍感もいいとこだ。

 しかしアメはその言葉を受けて、ぎこちなく挨拶をすると(明らかに嘘への罪悪感が顔ににじみ出ていた)厨房に入り、バックヤードへと姿を消した。


 あほらしいやり取りを見せられたな。

 颯人はパソコンをカバンに入れると、素早くコートとマフラーを手に取った。もともと打ち合わせは終わって帰るところだったのだ。

 颯人は伝票とぴったりの支払金を近くの店員に押し付け、店長の死角をぬって店を出た。

 今日の守備は上場だった。そう確信して、ほっと胸を撫で下ろした。


 一階のロビーを抜けてエレベーターへ向かう。受付を通り過ぎようとして、ふと先ほどのやり取りがよみがえってきた。


『傘、無いって言ってたじゃない』


“傘”?

 昨日は朝から雨が降っていた。もちろんアメの花柄のおんぼろ傘(と、本人が言っていた)は、島田に貸していたんだろう。しかし……なぜ、別の傘を差してこないんだろう。

 そして……今日の微妙な言い逃れ……―――――もしかして、あれしか持ってないのか?


 そこまで考えてハッと我に返る。

 他人のことなど、どうでもいいことだ。ましてや、全く関係のないカフェの店員の話だ。

 それに、一つしかない傘を他人に渡す方がどうかしてる。無いなら、新たに買えばいいだけの話だろう。

 そう思ってエレベーターの階数表示を見上げた。


 5……4…………………2……1、ポーン。


 その音とともに、エレベーターの扉が開いた。そして乗り込もうとして…………ーーーーー踵を返して、受付へ向かった。

 受付にはにこやかな笑顔を張り付けた島田と、もう一人の柳瀬が座っていた。


「ちょっと聞きたいんだが……」

 颯人が受付の前に立つと、二人の目が驚きで大きく見開かれた。そう言えば、電話のやり取りだけで、受付に立ち寄るのは入社して初めてかもしれない。


「はい! なんでしょう?」

「島田さん」

 颯人が呼びかけると、島田は目を輝かせ、瞬きを繰り返した。あの時の期待する目がよみがえる。


「あの……」

 衝動的にここに来てしまったがため、どう切り出せばいいか迷う。傘のことに、颯人は間接的に関わっただけなのだ。ただの傍観者に過ぎない。

 そう思いあぐねている颯人と受付の前を“アメ”が通り過ぎた。着替えを済ませ、帰るところのようだ。

 熱のせいだろう、足取りはゆっくりでふらふらと心もとなかった。


「あの! 朝倉さん、どんな御用ですか? 私に個人的なお話とか……」

 島田が色めきだった声でそう話しかけてきた。颯人はアメの後姿を見つめ、島田の言葉を切るように、意を決して話を切り出した。


「傘はどうしました?」

「は?」

「少し前に傘を借りたでしょう? 花柄の」

 島田は突然の話の展開に面食らったように瞬きを繰り返し、やがて意味が分かったのか小さくうなずいた。


「返しましたか?」

「え?」

「傘立てのところに……持ち主に返したかって聞いてるんです」

「え……え……?」

 明らかに島田は混乱して意味のない言葉を繰り返している。しかし、そうやり取りしている間にも、視界の端でアメが外に出ていくのが確認できた。

 このままでは、また雨の中……

 その焦りから、颯人はチッと舌打ちをすると島田を振り返る。こうなったら少し強引に問い詰めるしかなさそうだ。

 

「今どこある?」

「え……あの……」

「傘はどこにあるんだ!」

 島田は高圧的な態度に身体を硬直させた。しかし「おいっ!」と再び呼びかけると、我に返ったのかびくりと身体を震わした。


「こっ……ここに! 忘れてて」

 島田はそう言うと、受付の足もとを探っておどおどした動作で、小さな折り畳み傘を颯人に差し出した。


 なんで……持ってんだよ!

 颯人はそれを掴むと、島田を一瞥してから、玄関の方へ駈け出した。

 玄関にはもうバスに向かっているのか、アメの姿はなかった。颯人が大通りを見渡すと、すでにバス停に立ち時刻表を見ているアメの姿が見えた。

 雨に濡れるのも構わず、バス停に向かう。

 バス停手前で、向こう側からバスが来ていることに気が付いた。アメはベンチから立ち上がって乗り口に並び始めた。

 颯人がバス停に着いたのと、バスが到着したのはほぼ同時だった。


「おい!」

 息が上がってうまく呼びかけられない。当然自分のことだと気が付かないアメはそのままバスに乗り込もうと足を踏み出した。

 とっさにその腕を取った。


「え?」

 アメは驚いて振り向いた。掴んだ手のひらに、折り畳み傘を握らせる。


「お前のだろ、持って帰れ」

「え?」

 その声とともにアメはその手に渡された傘に視線を向けた。そして、戸惑うように傘と颯人とを交互に見つめる。

 しかしその視線は熱のせいかうつろで、ぼんやりとしていた。


「どうしてこれが……?」

「受付の女から渡せと頼まれた」

「……ああ、そうでしたか。ご親切にありがとうございました」

 アメはそう言い、ふらつく頭で小さく頭を垂れた。

 最後尾にいた客がバスに乗り込むのが見える。乗らなければ行ってしまうだろう。


「早く行け」

「あ……はい。では……」

 そう言うと、アメはゆっくりとした足取りで、バスのステップに乗り込もうと足を踏み出した。

 しかしその後ろ姿を見てハッとして、もう一度腕を引き戻す。


「待て!」

 とっさにそう叫ぶと、アメの首に持っていたマフラーを巻いた。

 相変わらずの薄着。どうしても気になって、仕方がなかった。


「熱があるのに、薄着するな。これはお前にやる」

 そう言ってから、アメの背中を押してバスの中に押し込んだ。そしてすぐさま、バスから一歩後ずさる。


「え……?あの……?」

 そう戸惑っているアメの目の前で、しびれを切らしたようにバスの扉が閉まった。

 ドア越しの窓から、明らかになにかこちらに向かって話しかけようとするアメの姿が見えたが、バスはゆっくりと進み始め、やがてその姿は見えなくなってしまった。

 

 颯人はそのバスが見えなくなると、ふと先ほどアメの腕を掴んだ手をじっと見つめた。

 熱かった。

 相当熱があったのだろう、目もうつろで……。今から病院に行くのは相当辛いだろう。誰か付添ってくれる人はいるのだろうか? 

 何より、無事に家に帰れればいいが……

 今にも折れそうな細く柔らかい腕の感触が、いまだこの掌に残っていた。そしてまるでその手のひらから熱が伝わってきたのか、颯人の身体は不思議なほど寒さを感じないーーーーーずぶぬれに関わらず。

 今まで味わったことのない、かすかな違和感だった。

 その感覚は決して不快ではなく……しかし、その意味は今の颯人にはわかるはずもなかった。


 それが、彼女との始まりだと言うことにもーーーーー




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