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3.傘

 しかし事態は思わぬ展開を迎えるものだ。(いや、初めからこうなることはわかっていたのだが)

ミルクティーによって癒された気分と共に、ポットのミルクティーを飲みほすまで座って書類に没頭していた颯人は、甘ったるい不快な声にハッと顔を上げた。


「あらぁ~ん。朝倉さん、来てたのね」

「げ……」

「言ってくだされば、サービ……」

「帰ります」

「ええぇ~……もうつれない!」

 そうしてそそくさと書類を片づけると、代金をその場に置いて“スクラリ”を後にした。


 そして……次に彼女を見たのは、意外にも会社の玄関の前だった。

 その日は例のごとく“雨”だった。

 本格的な冬を迎えたこともあってか、その日も身を切るような寒さで、ドアを開けるや否やカバンに入れっぱなしのマフラーを引っ掴んで首に巻く。雨が降ることで、足元から冷気が上がってくるようにも感じて、さらに身体を震わせた。

 昼に無理やり取り付けられた平田との飲み会の約束が億劫だった。今すぐ取り消して家に帰ろうかと思うぐらいに。あいつは女との約束が無いときは決まって飲みに誘ってくる。家で一人になるのが嫌だと言うだけの理由だ。この歳になって子供じみていると思わなくもないが、昔から両親が家に不在だったこともあってか、今でも寂しがり屋なところは変わらないようだ。そして行けば、くだらない女の話を延々聞かされる羽目になる。しかしながら、平田は通常颯人との飲み会には女は連れてこない。(合コンは別だ)友情と恋路は別、という信念と持っているらしいだが、唯一その点は気に入っている。


 10分ぐらいは待ってやるか。

 今すぐにでも帰りたい気持ちを抑え、雨の掛からない場所で腕時計を確認する。

 するとすぐ横で、甲高い女の声が響いた。


「いやぁん! 最悪ぅ~雨降ってるじゃない」

「あら、本当! やだ……朝は降ってなかったのに。ヒールが濡れちゃうわ」

「傘持ってないのよ~どうしよう~~~!!」

「そうなの? 折りたたみは?」

「ないわよぉ~やぁん……」

 

 二人の女がそう言いながら颯人の横までくる。その甲高い声はどこかで聞いたような気がして、ちらりと視線を向けると、なるほど受付の島田とかいう女だった。

 もう一人も受付ではないが、見たことがある顔だ。

 島田は初めから颯人に気が付いていたのか、視線を向けた瞬間、さっと視線を逸らした。そして再び大きな声を上げる。

 まるで聞いてほしいと言わんばかりに。


「どうしようぅ~今日の服、お気になのにぃ~。買ったばかりのファーも濡れちゃう」

 そう言って、素足から出るかなりミニ丈の薄い生地のスカートを翻し、これ見よがしに首に巻いた大きめのファーをつまんで見せた。

 短い丈のスカートに動物をそのまま巻いたかのようなドデカいファー。下は春で上は真冬、といった具合だろうか。颯人からすれば、アンバランスで趣味が悪いと思う。

 こんなに大きなファーならば、首ではなくて頭に巻けば立派なカッパ代わりになりそうなのに。

 まあ関係ない話だな。


「私の傘入ってく?」

 島田の隣の女が気を使ってか、折り畳み傘を取り出しながらそう言った。


「え~……でも、悪いし……」

「大丈夫よ、少しぐらい」

「だって……私とじゃ遠回りになるしぃ」

「遠回りったって5分ぐら……」

 島田の隣の千沙と呼ばれた女はそこまで言うと、急に言葉を切った。そして小さく「……ああ、そう言うこと」とつぶやく。

 はっきり言って、」関係のないことを隣でうだうだとやり取りをされるのが、鬱陶しい。この際、このまま黙ってやがれ。

 そう思っていたのだが、今度は二人で何かこそこそと話を始めたようだった。そして―――――妙な視線を感じた。

 居心地の悪さを感じて、ちらりと視線を向ける。

 やはり、二人ともこちらを見ていた。そしてチラチラと、颯人の手元と顔を交互に見ている。

 その上目遣いに含みを感じた。何か期待をする目だ。


 ああ?

 怪訝に思って自分の手元を見る。その手元には就職祝いにと祖母からもらった黒色の折りたたみ傘が握られていた。

 

「ほら……言いなよ」

「でもぉ……」

「きっと蘭子ならいけるって」

 いける?

 そう思ってハッと気が付く。ああ、そういう事か―――――俺の傘に入りたいわけか。

 先ほどからの島田の意味ありげな視線と言動は、初めから俺に対するアピールだったらしい。


 あほか。入れるわけねーだろ。

 

 俺はその期待に気が付かないふりをして、あさっての方向を見た。無視。

 それを見て、落胆している島田を励ましつつ、千沙と言う女は自分から話しかけるようにけしかけていた。しかし島田はなおももじもじと行動に移す気配を見せないようだった。

 自分から言ってくる勇気もないくせに、図々しい期待だけは捨てられねーとは呆れる。気の毒な隣の女もさっさと帰って、お前はここで一夜を明かせばいい。

 しかしそこでハッと思い出した。

 あとで平田が来る予定なのだ。

 ややこしい……あいつが来れば妙なことになりそうだ。



『あれ? 島田さん(いや、あいつなら、蘭子ちゃんか?)。傘無いの? 入れてあげようか? あっ……でもこれから朝倉と飲みに行く約束なんだよね~。一緒には……ちょっと連れていけないから、かといって僕のを貸して朝倉と相合傘なんてまっぴらごめんだしね。どうしよっかなぁ~……そうだ、朝倉! 今日の約束はキャンセルね。だって困ってる女の子は助けてあげなくちゃ~! ……良いの良いの、遠慮いらないよ、朝倉とはいつでも行けるから。……ええ~? そんな気を使わなくってもいいって……そう? じゃあ、別のもので返してもらおっかなぁ~。後で相談しよ? 特別に家まで送るよ』

ーーーーーーなどいう展開になりかねない。

 そして、最悪なことにこの島田と言う女は、平田の好みではない(・・)。だから……確実にやり捨てになる。

 この女がどうなろうと関係が無いが、少なからずこの件に自分が関係したとなると、後味が悪くなるだろう。


 面倒だ。

 さっさと消えろ。


「もう諦めなよ」

「だって……どっちみち傘なかったら帰れないしぃ~」

 

 どちらに転んでもややこしい事態に、あれこれと考えを廻らせている間にも、先ほどのやり取りと変わらない会話が聞こえてきた。

 少々、隣の女が苛立ってきたようだ。良い兆候だと思う。あと一押しして帰ってくれれば……

 そう思った時、意外な方向から声が響いた。


「よかったら、傘使いますか?」


 島田達も颯人も、突然現れた声の主に驚いて、声の主へ視線を向けた。

 島田の横に、女が立っていた。白い小さな手に薄桃色の花柄の折り畳み傘を持って、先ほどの言葉を示すように、島田に差し出している。

 その顔を見て、アッと思った。正しくはその“メガネ”に。

 黒縁の大きな眼鏡の女。まさしくあの“スクラリ”の店員だった。


「え?」

「傘、使ってください」

「え……でも」

 島田は明らかに、突然現れた人物に面食らっている様子だった。

 当然だろう、島田の意図は“傘”ではないのだから。しかしそれを知るはずもない黒縁メガネの女はその態度を遠慮していると、取ったのか、いっそう明るい声色で話し始めた。


「長年使ってるもので、少しぼろいんですけど壊れてはいませんし、良かったら使ってください」

「でも……あなた……」

「私はバスなんです。ほら……すぐそこまでですし」

 そう言って指差す先は、大通りのバス停。距離にして200メートルはある。すぐそこではない上に、このどしゃ降り。確実にずぶぬれになるだろう。

 しかもバス停まで行き着いたとしても、降りてからはどうするつもりなんだ? 相当バス停に近い場所に住んでるのか。

 いずれにせよ、この地味メガネは考えなしのバカか、相当のお人よしのようだ。貧乏くじを引いて、良いように使われるか、うまい口車に乗せられて騙されそうな気がする。


「私、そこのカフェでバイトしてる“アメ”って言います。明日もバイトなので、明日、そこの玄関の傘立てにポンッと置いてもらったらいいです」

 そう言うと、笑顔で傘を島田に差し出し「どうぞ」と言った。

 島田は受け取ろうとした手を、泳がして、なおも戸惑うように颯人の動向をちらりと確認する。

 颯人は全くこの件には関係が無いと示すように、視線を逸らした。

 すると、隣の千沙と言う女がしびれを切らせて、傘を受け取った。


「ほら、借りときなよ」

「え……でもぉ~」

「もう、無理だって。早く帰ろう」

 千沙はそんな島田に代わって「ありがとう。明日返すわ」と言い、傘を島田に渡した。

 そしてぐずぐずする島田を促して、足早に歩き出す。島田は渋々借りた傘を差すと、何度か颯人を振り返りつつ駅に向かって行った。

 その姿が見えなくなると、颯人はホッと胸を撫で下ろす。

 ややこしいことにならなくてよかった。

 

「さて……と」

 その声にハッとして隣を見る。そうだこのメガネが居たのだ。傘を貸して、さっさと帰ればよいものを、このお人よしメガネは何を思ったのか、手を振って島田を見送っていたのだ。

 

「寒っ……」

 メガネは今更ながらそのことに気が付いたかのように、そう独りごちて背中を丸めた。颯人はその言葉になんとなしに彼女に視線を向け、ギョッとする。

 

 なんでこのくそ寒いときに、コートの一つも着てねーんだ!


 黒縁メガネの女は明るめの黄緑色のチュニックに薄手のレギンスを合わせ、今時期に不釣り合いな七分丈の白いパーカを羽織っていた。

 そしてカフェでそうしていたように、黒いストレートの髪はきっちりと後ろに束ねられたままになっている。その不釣り合いなメガネと共に相変わらず地味な身なりだ。しかしそれよりも気になるのはその服装だった。

 薄いのだ。

 秋口かとも思われる薄さだ。この寒い日ではとてもではないが、冷気を通さないわけにはいかないだろう。

 寒いのは当たり前だ。今朝も相当の寒さだったのだから。それに今気が付いたとすれば、鈍感すぎると言うものだ。

 呆れかえる颯人の横で、鈍感メガネはいそいそとパーカーの前のチャックを閉め始めた。

 

 意味あるか! 無駄な抵抗だ。 

 

「よし!」

 何に対する“よし”なのか、全く説得力のない掛け声をあげると、メガネは土砂降りの雨の中に悠然と飛び込んでいった。そして、今更気が付いたかのようにパーカーのフードをかぶる。

 意味ない……が、せめて雨の中に飛び込む前に気がついて欲しいものだ。

 あほすぎる。

 なんとなく目が離せずにその一部始終に目を向けていた俺の前で、メガネの女はぴたりと足を止めた。

 ?

 不思議に思う目の前で、女はゆっくりと振り向いた。


「お疲れ様です」

 そう言い、颯人に視線を向けたまま一瞬柔らかい笑顔を見せると、踵を返してバス停に走って行ってしまった。




「――――ら! ねえって! 朝倉!!」

 ハッとその声に顔を上げた。目の前に平田が不思議そうな表情を浮かべて颯人を覗き込んでいた。

 

 なんだ? 俺……今……?

 颯人は奇妙な空間から目が覚めたような感覚に、戸惑い何度も瞬きを繰り返す。

 そんな颯人の様子に、平田が首を傾げて尋ねてきた。


「どうしたの? ぼーっとしちゃって。なんかあった?」

 なんか……?


「あっちになんかあるの? さっきからずっと見てたけど」

 平田はそう言うと、降り続く雨越しに帰宅ラッシュで混雑し始めている大通りを指さした。

 平田の声に誘われるように、大通りに目を向ける。

 今しがたそこにいたはずの人物はもういない。そして何気なく目を向けたバス停にも……。


「……すごい雨だよね~」

「すごい雨だな」

 靄のかかったような頭で、何も考えず平田の言葉をそのまま繰り返した。そんな颯人の様子に、平田は「くっくっ」と笑いを向けた。なにか意味ありげな笑い方だ。


「なんだよ」

「だってさぁ~……朝倉が、センチメンタルなんだもん」

「は?」

「珍しく……無防備な顔しちゃって。もしかして忘れられない初恋の君でも思い出しちゃった?」

「バカ言え」

「ふふふ……」

 そう言うと、平田は「だよねぇ~シャイな颯人くんの生涯の恋人はみるくちゃんだけだもんねぇ~」と、意地の悪そうな笑顔を浮かべた。


「みるくはオスだ」

「え? そうなの? やだなぁ~どおりで僕に寄ってこないわけだ」

「それは違う。善良かそうでないか、わかるんだよ」

「……別にいいよ。僕そっちの趣味ないし~。まさか朝倉が両刀だったとはね」

「は?」

「僕は違うから、その対象からは外しといてよ」

 そう言うと平田は、話は終わりとさっさと傘を開いて玄関から外に踏み出した。


「早くしてよね。初恋の青臭いお話がしたけりゃ、恋に百戦錬磨な僕が今からたっぷり聞いてあげるからさ」

「あほか。……くだらないこと言うなら、俺は帰るぞ」

「えぇ~! ……でも確かに寒いし、朝倉のマンションで飲もうか」

「はぁ?」

「明日の服なんか貸してよね」

「……また泊まる気か」

 颯人が嫌そうな顔を見せると、平田は満面の笑みを浮かべてその神経を逆なでする。


「特別に僕のパンツと靴下洗わせてあげるけど……勘違いして、手出さないでよ」

「するか!」

「ど~だか……」

 平田はそう言い捨てると、さっさと帰路への道を歩き始める。抵抗しようとも、結局あいつは意見を変えることはない。

 颯人は小さくため息をつくと、持っていた紺色の傘を広げた。

 そしてもう一度、先ほど見ていた大通りに目を向ける。


 平田が来ていたことは、全く気が付かなかった。

 俺は……何を見つめていたんだろう?

 いつもより鮮明な心臓の鼓動を無視するように、颯人は冷たい雨の中に足を踏みいれたのだった。





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