13.とんでもない荒療治
バタバタと階段を足早に駆け上がる音が、リビングまで響いた。
「なん……だ?」
あの表情、いったい萌の身に何が起こった?
「ちょっと荒療治だったかしら」
「……」
冷静ともいえる光利の言葉に、颯人はダイニングテーブルへ視線を向けた。
平田はうつむき、光利の言葉に答えようともしなかった。
「仕方ないわね……時には……」
「光利さん! 萌に何したんですか!?」
「はー……くん。それ……はっ……ぶっ……」
「ぐっ……ふ……」
二人が同時に顔をしかめ、口をつくんだ。そして颯人から視線を逸らすように大きく反対側を向く。
「?」
光利はそれ以上何も答えない。平田を見ると、何かをこらえているように肩を震わせていた。その動作は明らかに何度も見覚えのある動作だった。
―――――…………笑ってる?
「おい!! 平田お前……」
「ぶっーーーーー!!!!」
その声を起爆として、平田が思いきり噴出した。
そしてそれを見た光利も同様に笑い出した。
「ひっ……光利……さん! これ、なっ……何です……か?」
「し……しら……知らないわよ。はっ……はーく……カバンに入っ……」
「おも……おもっ……」
二人はお腹を抱えるようにして笑いながら、かろうじて会話を交わしていた。その様子を怪訝に思いながら見つめていた時、ハッとその内容に目を見開く。
俺のカバン?
――――――――――――……あっ!!!!
急いで二人が悶絶するダイニングへ駆け寄る。好奇の視線を向ける二人を無視して、机の上の上を見ると、見覚えのある封筒が目に飛び込んできた。
佐々木のラブレター(?)の袋! そしてその無機質な大きな封筒の上には、多数のA4ほどの用紙が散らばっていた。
カバンの中に入れていたことをすっかり忘れていた。もちろん、内容も見ていない。
パッとその中から無造作に何枚かを手に取った。
そこには、見慣れない人の絵……これは―――――“マンガ”か??
『待てよ!』
黒髪の男が苦しそうな表情を浮かべ、そう言いながら腕を掴んだ。
『ずっと……言わないつもりだった。でも……もう嘘はつけない! たとえお前が他の人を想っていたとしても関係ない……好きだ! 好きなんだ、平田!!』
(―――――……平田?)
その声に、腕を掴まれた人物が振り返る。少し髪がウエーブして目鼻立ちが整っている男だ。明らかにこの白い髪の男の周りには、キラキラしたトーンが張られていた。
(平田……?)
『朝倉……僕も……好きだった』
(―――――…………あさくら?!)
『ウソだろ? お前は佐々木を……』
『違う! 彼女は、僕の相談相手だったんだ。朝倉への気持ちを一発で見抜かれた。応援してくれた唯一の人だったんだよ』
『相談? そんな……ずっと俺は……』
そう言うなり二人は見つめ合う。
(…………待て……待て……待て待て待て!?)
『朝倉、さっきの言葉は嘘じゃないよね?』
『当たり前だ!』
『僕を……愛してる?』
『愛してる……平田……』
「なななななな………なんじゃこりゃーーーーー!!!!」
「ぶっ……あっははははは!!!!」
腹の底から吐き出すよう出た言葉に、二人は再び笑い転げた。
動揺から心臓が尋常じゃない速さで打ち、頭がガンガンと鳴り響いている。いまだ混乱する中、さらに散らばっている一枚を引っ掴まえて、目を走らせた。
『いいの?』
『いい』
『僕……朝倉を壊してしまうかもしれないよ』
『俺はずっとこの日を待ってた。平田からもらえるもんなら、なんでも受け止める』
『朝倉……』
『痛みを忘れるぐらい俺を……愛してくれ』
そのやり取りを証明するように、ベットの上で裸の黒髪の男と白髪の男が裸で睦みあうシーンが描写されていた。
『あっ……ああっ』
(―――――――じゃねえ!!!!!)
「受け……あ……朝倉が“受け”だしっ……ぶぶぅ~!!」
「うるさい!!!!」
後ろから覗き込んで茶々を入れる平田を一蹴する。
平田はその言葉さえも面白いのか、バカにするような視線を送りながら笑い声を響かせた。
信じられない……
信じられないことだが、これは……この黒髪の男は――――――お、れ?
「よく書けてるわぁ~」
その事実に呆然とする颯人の横で笑いをひと段落させた光利が、感心した様にその用紙を見つめつぶやいた。
「この二人もかっこよく書けてるし、特徴も捉えてるわよ。ほら、ここのはーくんのセリフ……
佐々木:『誰か……思う人がいるの?』
朝倉:『お前には関係ない』
「言いそうですね!!」
「でしょう? 恵利に聞かれたときのまんま、はーくんじゃない。よく見てるわ~」
「……」
言葉を失うとはこのことだろう。
「まあでも、そうしながらも、はーくんが絶対言いそうにないセリフを端々に盛り込んでくるところがなかなかやるわね」
「想像すると笑えますよね」
「裕之君が言われてるのよ」
「そうでしたね」
「想像してみてよ……はーくんから“平田、あい……」
「やめろ!!!!」
背筋がぞっとして寒気がして、思わず二人の会話を遮断した。これ以上は耐えられない。
「なっ……なんなんだ!? これは……」
「はーくんのでしょ?」
「違う! こんな気持ち悪いもん、俺のじゃない!」
強く否定した颯人の言葉に、平田が「ひょっとして、佐々木さん?」と聞き返してきた。
「知ってんのか?! ひょっとしてお前も何か……」
「違うよ。でも、ここに出てくる登場人物が僕と朝倉と佐々木さんしかいないから、ひょっとしてそうかな? と思って」
本当だ。しかしそう言う意味では、佐々木の颯人との妄想ストーリーと言うのはいささか嘘ではなかった。妄想のベクトルが全くに異なっていたが……
「今日突然、渡されたんだよ。なんか告白にしては妙で、これを会社で捨てたら後悔するとかなんとか……気味悪いから、持って帰ってきた」
「ふふ……なるほど、誰かに見られたら後悔しそうだね」
「まさか……こんな内容だとは……」
「それでかぁ~……僕時々、佐々木さんに見られてる気がしてたんだよね」
「お前も?」
「うん。好かれているには、話しかけてもそっけないし、単に内気なのかなって思ってたけど……なるほどね。こういう事を考えてたからか……」
「最悪だ……。頭いかれてる」
「う~ん……どうかな……まあ仕方ないんじゃない?」
「仕方ない? そんな言葉で済まされるか! こんな事実無根な話を……」
「だって僕って美しいしさ。朝倉もまあ……それなり見られるし、となれば女の子の心を奪ちゃうのも仕方ないっていうか」
「それとこれとは別問題だ! よりにもよって、なんで平田と……」
「……『嫉妬する朝倉の姿が可愛くて、つい意地悪しちゃった』ってなにこれ?」
その時、後ろから悪魔の声が響いた。
「……ぶっ! 『裕之しか見えてないのに……でもそれも裕之の愛情の一つだと思えるとうれしい』って、これまさか颯人?」
そう言うと、バカにしたような嘲笑が部屋中に響いた。
なんで……よりにもよって、こいつにまで!?
「恵利ちゃんお帰りぃ~」
「何よこれ! 最高に笑えるじゃない!!」
「僕たちの愛のメモリー。勝手に覗かないでね」
「あんた達、やっぱりそっち系?」
「さあね。朝倉がわざとこれを持ってきたんじゃなければね~」
「んなわけあるか!!」
「ふふ、違うんだってさ」
再び別の紙を見ようとした恵利の手を振り払い、その場に散らばった佐々木の作品をかき集める。
乱雑に封筒の中に入れると、カバンの中に思いっきり突っ込んだ。
帰ったら粉々に砕いて生ごみ以下の扱いで捨ててやる。
「何よ。なんなの? あれ」
「恵利。この間1ヶ月も経たずにクビになった、フミ婆の紹介の会社を辞めた理由が“上司を殴った”ってことフミ婆にばらされたくなければ、今すぐこの件は忘れろ」
「なっ!? 何よ……あんた、なんでそんなこと知ってんのよ!」
「つべこべ言うな!! わかったな!?」
「だってあいつの視線が私のこと……」
「恵利!」
「なっ……わっ、わかったわよ! 忘れりゃいいんでしょ……」
「ここに居る人以外にこの話題を口にしたら、即刻着色してフミ婆に言いつけるからな!」
過剰なまでに念押しして脅しをかけると、恵利は「なんで……私だけっ!?」と不服の声を漏らした。それを無視して、さらに光利と平田にも他言しないようにと(無駄だとは思うものの)話をすると、光利が思いついたように声を出した。
「そうだ! 萌にも言っとかなくちゃね」
「……は?」
「さっき、萌にも見せたのよ。萌はほとんど他人との接触はないけど、一応言っておかなくちゃねっ!」
そう言って、悪びれもなく颯人に笑いかける。
そうだ! 先ほどの衝撃ですっかり萌のことを忘れていた!
今にも泣きそうな顔で颯人を見て、この場から走り去った萌。その理由は―――――……これだったのか!?
「なっ……なんで、もっ……萌に見せたんですか!?」
「だってぇ……萌って面白くないんだもん」
「はぁ?」
「いつも、難しい英語の雑誌読んだり、数式のクロスワードみたいなの解いたり……この間ネットで注文した本なんか中国の歴史書よ? 昔の思想家の翻訳がやっと出たとかなんとか……全く理解できないのよ。萌は頭はいいけど、それだけなのよね! もっと俗なものにも触れさせて、女の子本来の喜びを見出さなくっちゃいけないの思ってるのよ」
「だからって……“これ”ですか!?」
「荒療治よ。今ので目覚めたと思うの」
頭が痛い。
この親の前では、萌がまっとうに生活する日は程遠いように感じてならない。
「目覚めた後のことは、考えてないところが、光利さんの天然で可愛いところだよね」
平田が心底陶酔した瞳で光利を見つめる。
「もう! お腹空いたんだけど~……。ママ! 颯人のことなんか適当にはいはいって誤魔化しときゃいいのよ!! 早くぅ~ご飯ぅ~!!」
恵利の聞き捨てならない言葉が無情にも耳にこだました。
「はいはい。恵利ちゃん待っててね~」
はぁ~…………
颯人は切っても切れぬ縁で硬く結ばれたこの人々になすすべもなく、ただ大きなため息をついたのだった。