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11.禍々しい封筒

「待ってください! 少しでいいんです。最後に少しだけ時間をいただけませんか?」

 社のビルの前で、そんな声に呼び止められた。


 声の主"佐々木"は先週末で本社での研修期間を終えた社員だ。先日行われた送別会に欠席した颯人は、この女とは金輪際会うことはないだろうと思っていた。しかし今日は本社に足を運んでいたようで、手土産を颯人の部署まで持ってきていた。

 むろん、その輪には参加せず財布をポケットに突っこんで、近くのコンビニへ向かう。

 時刻は12時、昼時だった。

 正面玄関から出てビルの正面の生け垣の横を通り過ぎる。

 冷たい風がコートから出た首筋や頬を撫で、その痛いほどの寒さに思わず身体を丸めてしまう。こんな時マフラーがあれば少しは役立つだろうと思うが、アメにあげてしまって以来新たに購入することなく今に至っている。絶対に必要なもの出ない限り、いちいち選びに行くのは面倒な気がするのだ。

 カーンカーンと、大きな音が周囲に響いていた。

先月あたりから行われている隣のビルの工事の音だ。一部にブルーシートがかけられており、一部修復する工事だと聞いている。

こんなに寒い季節に、毎日のように外で作業する作業員は、今の自分よりももっと辛いだろう。

 そう思うと気持ちが引き締まるような気がして、颯人はシャンと背筋を伸ばして歩き始めた。

その時、後ろから呼びとめる声が聞こえた。


―――――

 この声は------そう確信した途端、気持ちが憂鬱になる。しかし万が一予想が外れていることを望みながら振り向くと、やはり佐々木が目の前で息を切らせて立っていた。

落胆の表情を隠すことなく彼女に視線を向けていると、否応無しにその服装が目に入る。

白いシャツに黒い膝丈のスカートをはいて、茶色の低いパンプス。別段、古臭く時代遅れというわけでもなく清潔感があるのだが、しかしパリッと洗練されたわけでもなくおしゃれ感も微塵も感じられない。要は地味で自己主張のない服装は、佐々木そのものだ。唯一の個性は、顔を彩る奇妙な形の赤縁の眼鏡だろうか。そのメガネは佐々木の明確な意思の表れのようにいつもそこに鎮座し、その奥に見える瞳をミステリアスなものに変えている。"地味"と"眼鏡"、その二つがなぜかいびつなものに感じるのだ。

そこまで考えて、ふとある人物が頭を過ぎる。

スクラリのアメ―――――彼女も個性的な眼鏡をかけ、かつ服装も地味な部類だろうと思う。しかしアメはどこまでも自然体なのだ。だから接しているうちにそのことを忘れてしまう。ゆえに、颯人の中で二人は全く別物のような気がしてならないのだ。



「……何か?」

「す……少しでいいので話っ、を……」

 話―――――たいていの場合、それは颯人にとって迷惑なことばかりだ。興味のない女からの物語のヒロインぶった心の露吐を聞かされても、少しも心が動かない。

 時間の無駄だ。

 しかしながら同じ社で働く社員同士となると、一応その"話"とやらを聞く必要はあるだろう。あとは内容によって無視するか決めればいい。


「手短にどうぞ」

「は……はい」。

そっけなくそう言った颯人の言葉だが、全くの拒否ではない姿勢に、佐々木は少しホッとした様子で息をついた。


「どうしても朝倉さんに伝えたいことがあって……」

 手短にと言ったはずだ。くだらない前置きは省いてもらいたい。


「……朝倉さんを初めて見た時、雷が落ちたみたいに感じたんです。すごく衝撃的で……こんなことは初めてでした。毎日が楽しくなって、会社に行くのが何よりもうれしくて……人生が180度変わるとはこのことなんだと……まさに私にとって朝倉さんは運命の人でした」


はぁ!?

“運命の人”?? 勝手にそのような位置づけは、迷惑極まりない。


「俺は微塵も……」

「初めは見ているだけでよかったんです。私の心の中で―――――朝倉さんはどんなデートをするのか、どんなことが楽しくて悲しいのか、隠された気持ちを伝えるときはどんな風に言うのか……とか、考えるだけで。毎日想像して楽しんで、私の中で完結していました」


 その言葉に、ゾッと背筋が凍る。常々、佐々木から受ける視線が、他のものとどこか違うと感じていたが、まさかそんなことを妄想されていたとは。


気持ち悪ぃ……勝手に人のことをあれこれ考えるんじゃねぇ!!

 しかしそんな颯人に気付くことなく、佐々木はさらに言動を深めた。


「でも……研修が終われば、会えなくなる。わかっていても、実際にその日が来ると、このままでは終われないと思いました。この気持ちを、この喜びを朝倉さんに伝えたいと思ったんです!」

 そう言うと、佐々木は顔を上げ、颯人を見つめた。赤縁の眼鏡の奥に潜む黒い瞳は、こちらをを見つめているようで、どこか違う。熱心に語る言葉に反して抑揚の感じない瞳が、いっそう佐々木の不気味さを助長していた。

 自分に酔ってる? 

いずれにしても、妄想と現実が入り混じって、かなりやばい。

 颯人は視線を逸らすと、何も言わずに踵を返した。

 やはり関わるべきじゃなかった。これ以上ここにいれば、ますます拙いことに巻き込まれそうだ。

 しかし(当然予測されたとこだが)佐々木はそんな颯人の後を小走りで追ってきた。


「待ってください! 朝倉さん!!」

「……」

「これだけでいいんです。これを渡したくて。私の気持ちのすべてをぶつけました!! これを受け取っていただくだけでいいんです!」

 その言葉の通り、佐々木の手には封筒らしきものが握られていた。しかし、書類などを入れるA4サイズの大きなものだ。明らかに手紙にしては大きすぎるだろう。しかしこの言動からすれば、原稿用紙何枚にも渡り書いてきていたとしても驚かないだろう。

 気持ち悪すぎる。


「いらん!!」

「お願いします!」

 佐々木はそう言いながら、颯人の腕を掴んできた。思わずその手を振り払う。

 もう限界だ。


「てめぇ……気持ち悪りぃんだよ!! 触んな、この……地味メガネブス! 視界に入るだけで目障りなんだよ。くだらない告白は妄想だけにしてろよ。俺はてめーのことをなんざ一度も意識したこともねーし、迷惑なんだよ! 消えろ」

 あまりの嫌悪感に、思わず暴言を吐き捨てる。

佐々木は、ふり払われた手を呆然と見つめていた。封筒は、ふり払った拍子に飛んで、バサッと言う音とともに、少し離れた場所に落ちた。

 少々手荒な言葉だったと思う。しかし当然の報いだろう。

 人のことを勝手にあれこれと妄想する方が悪い。

 佐々木が反応しない拍子にその場を去ろうとした時、人の気配と共に、視界の端に颯人がふり払った封筒を持ち上げられる光景が映った。


「あの……落ちましたよ……?」

 その声にハッと、視線を向ける。

―――――アメだ!

 アメが封筒を差出しながら、こちらを見ていた。その表情は戸惑ったような、少し苦しそうな、まるで傷ついた顔をしている。


 ――――――あっ……

“この……地味メガネブス!”

 数々の暴言と共に、その言葉を発したことを思い出す。

 とっさになぜか胸の中に言いようのない苦い思いが押し寄せた。

 彼女のことを言ったんじゃない。

しかし、まさか……―――――その言葉で傷つけ……た?


「あの……これ、落ちていたので」

 アメは颯人から視線を外すと、そう言いながら佐々木に封筒を渡した。佐々木がうわの空ながらもその封筒を受け取ると、アメは颯人に視線を向けないようにうつむきながら小さくお辞儀をしてそのまま去って行ってしまった。


「まっ……」

 その言葉と共に無意識に持ち上げた手に気が付き、急いで振り下ろす。

 何してんだよ。追いかけてどうするつもりだ?

 先ほどの佐々木とのやりとりも忘れて、自分の奇妙な行動の意味に困惑していると、隣から微かにくぐもった声が聞こえた。

 ハッと、隣の佐々木を振り返る。


―――――笑ってる?


 その不気味な光景に眉をひそめた。佐々木は顔を伏せて笑っていたかと思うと、バッと顔を上げた。


「―――――さすがだわ」

「……あ?」

「見込んだ通りです! 朝倉さんなら、きっとそう言ってくれるって思ってました」


…………は?


「そのツンツン……思った通りでした。ありがとうございます!! もう、これで思い残すことはありません。朝倉さんのことは初めて………の方ということで思い出の中だけに留めることにします。これからは……一人で頑張ります」

「はっ……初めてって……なんのことだ! 俺はっ……」

「その思いのすべてをこれに託しました。これで終わりにしますから、受け取ってください」

「受け取るわけねーだろ!!」

「お願いします!」

 こいつ、あほか! 

颯人は大きく首を振り、その場を去ろうとする。しかし、聞き捨てならぬ佐々木の声が背中に響いた。


「もし、朝倉さんが受け取ってくださらないなら―――――平田さんに託すつもりです」


 はぁ? 平田???

 とっさに振り返って、佐々木を見る。佐々木は必死の形相でこちらを見つめていた。


「これをこのまま捨てることはできません! これは私の妄想の……数ヶ月に渡る集大成なんです。もし受け取ってくださらないなら、平田さんでも構いません、これを渡します」

「何っ……言ってやがる!」

「平田さんに渡されると困りますよね? だって朝倉さんと平田さんは、仲の良い……同僚なんですから」

「あたりまえ……」

「でしたら、受け取ってください。一度読んでいただけるだけでいいんです」

 ゴクッ

 これは受け取らないと、やばい気がする。

 受け取ったとて、やばい事には変わらない。関わること自体、危険だ。しかしこのまま無視すれば、佐々木がどんな暴挙に出るのか予想できない。

 まして平田に渡すなどもってのほかだ。どんな内容かは知らないが、確実にネタになる。

 佐々木の言葉を信じるわけではないが、これで終わりならば受け取る方がいいのかもしれない。

 受け取って、速攻捨てる。


「わかった」

「……ありがとうございます!」

 佐々木は顔に満面の笑みを浮かべて颯人に封筒を手渡す。受け取った瞬間、ずっしりと重い質感に、その思いの強さを感じて、ゾッとする。

 いったい何が書かれてるんだろうか?


「間違っても……」

「?」

「その辺に捨てたりしないでくださいね。万が一、他の人に見られて誤解でもされたら、朝倉さんに迷惑がかかりますから」

「なっ……何を、そんな危険なこと書いてんのかよ!?」

「……ふふふふふふ」

 佐々木は不気味な笑みを浮かべると、「読めばわかります」と言って、深く頭を下げるとその場を去って行った。

 残された禍々しい封筒を見つめる。

“迷惑がかかる”?

 この中身である佐々木の妄想の産物は、さぞ身に覚えの無いストーリーをつづっているのだろう。

 絶対に読みたくない。

 しかし、その辺に捨てれば、本当に佐々木の言った通りにならないとも限らない。読まないことには、その意図は図れないのだ。

 はぁ……

 とんでもないことに巻き込まれた。

 しかも……―――――あの時の、彼女(アメ)の瞳。


 言いようのない苦い気持ちが胸に広がり、再び大きなため息をつく。

 どうしてこうも、彼女のことが気になるのか……もちろん彼女のことを言ったわけではないし、そう誤解されたとて、どうでもいい事だ。

 颯人は封筒をカバンに突っ込むと、コンビニに向かって歩みを進み始めたのだった。





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