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Two

桜には葉がそろい、それを激しく揺らすように雨と風の嵐。青臭い木々の香りは吹き飛び、雨とジメジメした匂いが漂う。



梅雨の到来だ。



放課後。



「勉強なんてしなくていいだろ?」私についてきながら、寺岡くんは必死に主張する。



「何言ってるのよ。この前の学力テストが散々だったくせに」私はそう言って寺岡くんを睨みつける。



私の香りの能力、『寺岡くんの取説』そんなもの使わなくても、寺岡くんが勉強嫌いなのは知っている。



授業中なんて起きている姿を見たことない。



私たちがたどり着いた先は、高校の端にあるレンガ様式の図書館。



そこは、勉強の教材や学習室などもあり勉強をする環境が整っている。



「寺岡くん、高校卒業してどこに行くわけ?」私は寺岡くんに有無を言わさずに学習室に入っていった。



仕方ないっといった顔で寺岡くんも付いてくる。



学習室の中はエアコンの除湿が利いていて涼しく、皮膚がサラッとしてきた。



学習室の中には二人分の学校と同じ机と椅子が置かれている。



私は座って、手早く今回の学力テストのプリントを机に出した。



寺岡くんはため息をもらしながら私の前に座った。



「まず数学で・・・・」私は学力テストの数学のプリントを出してそれに関係する教科書なりノートなりを開いて並べた。



寺岡くんは寺岡くん自身の学力テストのプリントを広げた。



プリントの半分は白紙になっている。



「じゃ、この白紙の問題から」私はそう言って、公式なりを説明し始める。



それを「はい、はい」となんとなく肯きながら寺岡くんは私の話を聞く。



私は弟に勉強を教える実験台として、手っ取り早く寺岡くんを選んだ。



別に教える場所はどこでもよかったが、私が家にいると両親や弟の神経を逆なでしてしまう。



弟は夜遅くまで塾に行き、私と言えば夜十時までドラマを観てからもう寝てしまう。



だから、とりあえず学校で勉強しているということで時間を潰すのだ。



「こんなこと知らなかったら解けるわけないだろ?」と寺岡くんが呆れた声を出すので、私は大きくため息をついた。



駄目だ、きっとこれは役に立たない。



寺岡くんのテストのプリントの半分は白紙だけど、白紙でないところは全て正解している。



しかも、のみ込みが早くて寺岡くんは今回の学力テストを一気に網羅してしまっていた。



要するに寺岡くんはまったく勉強してないだけ・・・・・・これじゃ、勉強の教え方の勉強にならない。



「楽勝、楽勝」そう言って寺岡くんは背伸びをする。



それでも、梅雨で夏も近づいてきているというのに外は暗くなっていた。



間違いない、寺岡くんは私と同じ感覚派だ。



「なぁ、なんでまだ東條は俺のことを『くん』付けで言うんだ?」帰り支度のために鞄にノートを入れ終わった寺岡くんは私のほうを見た。



唐突な質問、ノートや教材をまだ鞄に入れていた私は苦笑を浮かべた。



だから、どうしてだ?って感じで寺岡くんは私をまっすぐ見る。



こういう思いつきや純粋に質問されるときは、私の能力が無意味なことに気づく。



何かを期待する質問でもなく、唐突で純粋な疑問。



きっと、これもまた寺岡くんが無臭である由縁だ。



「なんか、ずっと『くん』付けしてたら抜けなくなちゃった」と、これでいいのかな?って疑問に思いながら私は答えた。



「ふーん」とわかったって感じで寺岡くんは頷く。



実際に、私には『くん』付けする理由があった。



寺岡くんと付き合うことになって、『変人でイケメンの人が好きな私』というレッテルがクラスの皆から増えてきているから。



もちろん誰もそんな事を口にするわけでなく、私の香りの能力。



私から告白しておいてなんだけど、少しでも他人行儀がしたいのだ。






一学期も終わり、世間は夏休みなのだけれど・・・・・私を除いた受験生は休みなどではない。



私と香子は朝からの真夏の嫌らしい日差しを避けるため、隣町のカフェでコーヒーを飲んでいた。



学校の近くにもカフェがあるのだが、クラスメイトと会いたくないのであえて隣町にやってきていた。



まだ昼前だったため、人も少なくカフェの中はひんやりと冷房が効いている。



人は少ないのだがカフェ自体も小さいため、満席となると冷房が効いているのにもかかわらず、人の熱気でどこか蒸す感じだ。



「えぇー!寺岡とはもう、別れちゃうわけ?」と香子は私の決断に驚いたような表情を浮かべていた。



が、その裏では「やっぱりね」と香子の香りがする。



香子とは付き合いが長いので、そう思われても当然かなと分かっていた。



香子の勉強の付き合いでカフェにいるのに、結局恋話に行ってしまう。



テーブルに並べられている教材が空しい。



「親が『受験生が恋愛してる場合じゃない』って煩いのよ。それに、うちの弟が中学受験で精神的に不安定で荒れてるからなおさら」私は苦笑しながら言う。



ストローで目の前のコーヒーを一口飲んで、私は小さなため息を漏らした。



香子は少し私に気を使って、だまってコーヒーを飲む。



親のことはどうでもいいけど、寺岡くんとの関係はそろそろ引き際なのは感じていた。



寺岡くんに勉強を教えると、あっという間に私の学力に追いついてしまった。



私には勉強を教える才能があるんだ、って思いたいけどやはり寺岡くんの才能だ。



弟の方は努力がなかなか実らず、学力は横倍。



弟は荒れに荒れて壁を殴るはガラスが割れるわ。



私の家は日本で一番の危険地帯だ。



「寺岡くんに最後に言ってやろうと思うの『なんで、おっぴろげに自分の取説なんか渡すの』って」私が笑顔で言うと、香子はうんっと肯いた。



香子も『寺岡くんの取説』の存在を知っていたが、私は香子に取説の内容を話したことはなかったし、香子からは思ってはいても「見せて」っと要求されることもない。



香子のそういうところは友達として安心する。



「やばい、そろそろ行かなきゃ」私はそう言って教科書をバックに入れた。



香子の教科書は最初に開いたページのままだ。



「私はもう少しここにいるから」香子はそう言って、肘をついてゆっくりとコーヒーを一飲みする。



思考ではすでにやる気なしで、このままぐだぐだしていく気だ。



「じゃ」私は香子に手を振ってカフェを後にした。



コブンの奴、宿題出しやがって。香子の香りが微かに聞こえた気がする。



カフェを出ると皮膚を刺すような日差しと熱気。



私は日傘を開いて、陽ざしから体を守る。



しかし、日傘自身も陽ざしの暑さを吸収してどんどんと熱くなってきた。



その熱気を持った傘が今度は私を蒸し焼きにする。



しまった、待ち合わせを海の公園なんかにするんじゃなかった。



私は日傘というサウナに入って、心底後悔しながら歩き出した。



やっと公園の近くまで来ると、海の匂いがほのかにし始める。



公園が見えると、その先は砂浜と海。



砂浜の方では家族連れ、サーファー、カップルなどが楽しそうに遊んでいるのが分かる。



私は空を見上げた。



まるで、私がいつも見る夢のように眩暈をしそうな青空が広がっている。



海も夢のまま、青々しさが逆に夢の中の息苦しさを呼び覚ましていた。



待ち合わせのベンチまではまだ先だけど、しかたない。



私は近くのベンチに座り、息を整える。

汗が出るがとても冷たくて、これは夏の暑さのせいじゃない。

そして、深海に一人沈んでいくさまが見えて、私は俯くと目の前が一瞬真っ暗になった。



失神?



これで、やっと私の人生は終わりなのかな。


目の前が真っ暗になった理由に気づき、つい口走りそうになるのを堪えた。



違う、私の前に人影が差したんだ。



私はゆっくりと顔を見上げる。



目の前にはキャップが外れているアクエリアスのペットボトルが差し出されていた。



「なんて顔してるんだ。飲めよ、ペットボトル開けたばっかりだから」そう言って、人影は私にペットボトルを手渡す。



そして、その影の先にはいつもの憎たらしい寺岡くんの心配する顔があった。



私は何も言わずに、アクエリアスを飲みはじめた。



体に水分が染み渡っていくのが分かる。



少しずつ落ち着いてきて、遠くから子供たちの遊び声がかすかに聞くことができる。



私はボーっとする頭を横に振って、長いため息を漏らした。



寺岡くんは私の表情を見て安心し、私の隣に座った。



「ねぇ・・・・・・二択が強いんでしょ?私一度でいいからコイントスやってみたかったの、やりましょう?」私は言った。



寺岡くんの取扱説明書には、コイントスや二択の実験の話は禁止事項に選ばれている。



私は挨拶やらお礼やらそっちのけでお願いした。



寺岡くんは訝しげな表情を浮かべたが、しばらくして黙ってうなずいた。



私は百円玉取り出して、親指でピンッと跳ねさせて手の甲で受ける。



「100円の数字が裏で、アジサイが表」私はコインを受け止めた手を寺岡くんに差し出した。



「裏」寺岡くんは即答した。



手を開くと、確かに100円の数字だ。



「もう一回」私はコイントスをする。



「裏」寺岡くんが言い、私が手を開くと表であるアジサイ。



「もう一回」今度は寺岡くんから私に言い、私はコイントスをする。



何度やっても、私のコインの出目は100円の数字の裏が続いた。



20回ぐらい連続で裏が出続けたころだったか、寺岡くんは首を横に振った。



「もういい、ここまでやると俺でもわかるよ」寺岡くんは私から百円玉を取り上げた。



百円玉を確認して寺岡くんはため息をついた。



私の使った百円玉は両方とも裏の100円の数字が描かれている。



「これじゃ裏しか出ないから、二択にならないだろ?」寺岡くんはそう言って、寺岡くん自身の財布から百円玉を取り出して私に渡す。



渡された百円玉は何の変哲もない百円玉だ。



私は何も言わずにコイントスを始めた。



そこから、寺岡くんの20回連続的中となった。



「疑ってはいなかったけど、試してみたかったの」最後に、と心の中で付け加え、



「寺岡くんも本当に特殊な能力を持ってるんだね」私は少し嬉しそうに言った。



「そうだ・・・・・なかなか待っても作らないから、俺が作くってきたぞ」寺岡くんは思いだしたように言って、バックの中に手を入れる。



寺岡くんは無理やり話を変えて、二択の能力の話題をしたくないんだ。



寺岡くんは私にA4の紙の束を手渡した。



A4の紙の一枚目にはタイトルが書かれている。



『東條の取扱説明書』



私は日傘を寺岡くんにあずけて、A4の紙の束を開いていく。



よく作られていて、確かに・・・・・確かに私に作られた私の性格や、趣味やら。



「こんなの私じゃない!!!」私は最後まで読むことなく、A4の束を寺岡くんに投げつけた。



こんな人間を私が作り上げたんだ。



表紙からぶつけたので最後のページが見えた。



その最後の一行に私は絶句してしまった。



『東條はどんどん先読みして話すから、まるで俺の心が読めるようだ』



ポロっと私の瞳に一粒の涙がこぼれた。



寺岡くんは私を見つけてしまっていた。



最後の一行だけ、たった一つが私の取扱説明書・・・・・そして、そのたった一行が私のすべてだ。



寺岡くんは私が最後のページを凝視しているのに気づいて、寺岡くんもそのページを見た。



「あ、すまん。気を悪くしたか?ちょっと思いつきで書いただけで・・・悪気はないんだ」寺岡くんは最後のページを束から剥がし取ろうとした。



私は思わず、寺岡くんの腕を握ってそれを阻止させる。



「ねぇ、なんで寺岡くんは説明書なんか作ったりして自分をこんなにおっぴろ気に出せるわけ?」私の瞳にはもう一粒の涙がこぼれた。



寺岡くんは私の涙に驚きながら、涙のワケを考えるより私の質問に対する答えことに集中していた。



「好きになった人にはなんでも自分を知ってもらいたい、嬉しいことや楽しいことを共有したいって思ったからだな」寺岡くんはまっすぐな瞳で言った。



そこにはいつもの何も香りの感じない、まるで色で表すなら空気のように無色だ。



私の周りの閉塞感が、パンクしたかのように圧力が抜けていく。



「私から告白したのに?」私が小さく呟くと、寺岡くんは肯いた。



「そんな自分勝手なこと・・・・・・人なんだから相手の知りたくない部分だっていっぱいあるんだよ!」私は寺岡くんの腕から手を離した。



「でも・・・・・・・私は他人が人に知られたくない人間の部分を嫌というほど知ることが出来るんだ!もう、嫌だ。こんな人生いらないよ!!」私は寺岡くんを睨み付けた。



寺岡くんは私の取説の最後の一行と私の言動と表情を見比べた。



「読めるのか?心が・・・・・」寺岡くんは驚いた表情で呟く。



私は肯いた。



初めて、両親以外の人に告白した。



「凄いな」寺岡くんは明るい声で言うが、すぐに暗い表情になる。



寺岡くんの香りは、いつものように無臭で疑ってる様子すらない。



寺岡くんが純粋なのはわかっていたが、私としてはとても複雑だ。



他人に私の能力を受け入れられると、私のこの能力は本当に存在するんだなっと再認識して嫌になる。



「でも、泣くってことは東條はその能力が嫌なんだな」寺岡くんは落ち着いて言う。



私は何度も肯いた。



「それじゃ、俺がその能力を取っ払ってやるよ」寺岡くんは座っている私の前に立った。



「さて・・・・頭のいい東條に二択の問題です」寺岡くんは明るい声で私に問いかけた。



私は驚いて寺岡くんの顔を眺めた。



寺岡くんはとても楽しそうだ。



「東條のその能力は消えてなくなってしまう、○か×か」寺岡くんは中腰になって私に指差す。



「生まれた時からあるんだから、消したくても消えるわけないでしょ」私は強い口調で言う。



「東條は×な。だったら俺は○だ。消える、必ず・・・・・・・二択に強いこの俺の言うことを信じろ」寺岡くんは笑顔で私の手をそっと握った。



寺岡くんの香りは相変わらず無臭であるが、何か強い自信のようなものを感じる。



私は寺岡くんの手を握り返して、大きく肯いた。






あのむさ苦しい夏が過ぎ、秋を迎えると木々たちは紅葉に染まり始めていた。



風からは生暖かい湿気が終わり、少しカラッとした涼しさが戻ってくる。



でも、これもあと少ししたら極寒の冷たさに変わる。



私はあれから夏風邪をひいてしまっていた。



本当は滅多に風邪をひかないのに、今年の夏風邪はたちが悪くて夏休み中ボーっと頭が回らなかった。



クラスメイトは夏期講習で忙しいだろうに、私は家でぶらぶらしている。



あまりに暇だったので、私は夏休みの間「私の取扱説明書」の作成に取り掛かっていた。



少し時間が空けば、寺岡くんを呼んでコイントスをひたすらやるのが恒例行事。



寺岡くんの好きなミュージシャンが解散してガッカリしているので、寺岡くん的には気分転換になるらしい。



私と寺岡くんの関係は変わることなく続くことになった。





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