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One

空が見えた。



俯くと、私は腰まで海につかっているのが分かる。



もう一度、空を仰いだ。



水平線で分けられた空と海は、果てしない広がりを見せている。



目線を落とすと私の腰もとの先、海の底が全く見えない。



ただ、海の果てしない深さをうかがえるような黒い青。



海に浸かってる私の体の近くを小魚たちの影が泳ぎ、海の波が少しだけ私の体を揺らす。



見渡す限り島も何もない。



だけど、空を飛ぶ鳥たち、天に上る入道雲、さんさんと照らされる太陽。



だから、私は怖くはなかった。



西から日ののぼりが訪れ、東の空に日が沈んで、空はずっと晴れ続けている。



それを、何度も何度も繰り返していくうちに、海の水位が私の首元までやってきていた。



そして、海は私を飲み込んだ。



水の中なのに、あまり息苦しくない。



私は仰向けになって、水の中から空を眺めた。



水の屈折で、空の色が白く歪んで色が混ざり合っていく。



微かに私の心臓の鼓動の音だけが感じることができる。



そして、海面が遠のいていき、私の体は徐々に深海へと進むのがわかる。



徐々に空からの光が遠のいていく。



私はうつ伏せになって深海に目を向けた。



深海の暗さで、底を全く感じることができない。



だんだんと、水圧で息苦しさを感じてきた。



私は、「助けてほしい!」っとただ落ちていく深海の先に手を伸ばしていた。




私の取扱説明書‘One’





いつものことながら鼻に着く。



なんだろう?この夢を見るといつも凄いイライラする。



不意に顔を上げた場所はいつもの高校の教室。



そして、なぜか私はがっかりする。



桜の匂いっていうのかな?野草のような匂いが私を少しむせさせた。



教室の窓が全開に開けられていて外の校庭を見ると、すでに校庭の桜は散り始めている。



私は粉くさい匂いに気づいて黒板のほうに顔を向けた。



いつものように学生を前にしてワァワァと先生が何か叫んでいる。



授業の時だけ、先生の香りしかしない。



もちろん、それはそれでうっとうしいけど。



私は顔をもう一度机の上に埋めようと思ったが、仕方なく顔を教卓に向けた。



古文の先生がもう何度も習った古文を必要に語りかける。



「これは今度の受験に出るぞ!」「憶えておかないと点が取れない」と私たちの不安を巻くし立てる。



いや、私を除いて。



「先生!質問なんですが!」私は大声を出して手を上げた。



それに気づいて、古文の先生は少しアタフタしたが大きなため息をついた。



「なぁ、東條とうじょう。お前は大学推薦組みだろ?勉強しなくていいんだ」と古文の先生は私の頭を軽く小突く。



そして、また古文の先生のきな臭い匂いが私を包み込む。



痛い所を突かれたくない、そんな思考が先生から合いまみえる。



私はワザとらしくため息を大きく漏らした。



もちろん、古文の先生に対する抗議のため息だ。



古文の先生はそれも承知で、私の抗議をスルーして授業を続けていく。



そうこうしているうちに、授業の終わりのチャイムが鳴った。



それに気づいた古文の先生がいそいそと私の教室を後にする。



「東條、よくやってくれた」隣の席の真面目そうな男子が私の肩をたたく。



「もっと頭の固いコブンに言ってやってよ?」今度は後ろの席のちょっと茶髪にしたチャラチャラした感じの男子が私に言う。



古文の先生は私たちの副担任で、いつも担任の先生の後ろを歩いているので、古文と子分をかけて裏ではみんな「コブン」と呼んでいる。



二人の男子の卑屈感や妬みの香りがする。



それを私はあいまいに頷きながら、そう言えば次がお昼休みだと気付いた。



「さすが、あゆみかっこいいよ」香子きょうこが私の肩をたたき、嬉しそうに言う。



私は東條とうじょう あゆみ。ただの・・・・・いや高校三年生だ。



「何だろうね?私、古文の先生に嫌われてるのかな?」と私は香子に少しおどけて見せた。



「何言ってんの?」そう言って香子は私の机の上にお弁当を広げた。



香子とは高校一年からの三年目の付き合いだ。



でもそんなことは関係なく、次に香子が何を言うとしているのか私には分かっていた。



少し甘い香りがするので、香子はかなり機嫌いいようだ。



「それは置いておいて・・・・・でもね、・・・・・・・・・・・・・野球部の落合くんは私のことをどう思っているのかな?」といつもの香子の世界に私は付き合わないといけない。



感づかれないように、浅いため息を私は漏らした。



「野球部の落合くんも香子が気になってるんじゃない?」私はリクエスト通りの言葉を香子に言った。



それを聞いて香子の眼が輝く。



こうやって、人間は相手から欲しい答えを与えられれば満足する。



それが嘘か真かなんて関係ない。



そして、・・・・・・私は相手の欲しい答えを100パーセント答えることが出来る。



香子の言葉をぼんやり聞きながら、自分にこの力が開花したのかを考えていた。



物心ついてからだったかな・・・・・・・・私が、匂いで相手の考えが分かるのに気付いたのは。



実際にはアドレナリンなどのホルモンにもかすかな香りがあるようで、訓練された人では相手の喜怒哀楽などは大まかにわかるらしい。



でも、私はそれ以上に相手の思考の部分までわかってしまう。



「ねぇ?ちょっと話聞いてる?」香子は訝しげに私を見た。



「聞いてるよ。あのコブンの話でしょ?」私は笑顔で肯いて言った。



それから、また永遠と香子の話は続き、私は相槌をうっていく。





授業が全て終わり、今日私は掃除当番だ。



皆で机を教室の後ろに持っていく。



この瞬間が最も教室が匂いで騒がしい時間だ。



これから遊ぶとか、掃除がめんどくさいとか、宿題めんどくさいとか、勉強したくないとか、受験がだるいとか。



嫌なことにこの思考の匂いは鼻をつまんでも、風邪で鼻が通らなくても感じることが出来る。



クラスの皆は・・・・・いや一般的な考え方では自分自身が特別な人間になりたがってるみたいだけど、私はこの力を恨む。



相手は私の気持ちなんか全くお構いなしに、相手からの一方的な声のない私に対して中傷。



不公平であり、何も楽しくないし、何も面白くない。



ただわかることは、私はただこうやって相手に合わせてなんとなく人生を乗り越えて終わってしまうんだろうなって。



こんな退屈で楽しくない人生だったらいらない。



「ねぇ?この前のテストどうだった?」香子も掃除当番なので、箒を吐きながら訪ねてくる。



「98点かな」私は用意された答えを言う。



「相変わらずの天才ぷりだ」香子は大きなため息をついた。



私は香子がテスト前にしっかり遊んでいるのが分かったので、あんたが勉強してないからでしょ?なって言えたら爽快なんだけど。



私は代わりに苦笑いを香子にお返しした。



とりあえず、顔色がばれそうなときは苦笑いと愛想笑い。



私が17年間生きてきて編み出した技だ。



教室には掃除当番だけ残り、せっせと別れて掃除していく。



教室の半分を箒で掃き終わり、机を教室の後ろから前に運んでいく。



「そういえばさー、歩ってまだ寺岡てらおかと付き合ってんの?」香子が尋ねるので私は肯く。



「寺岡は顔とスタイルがいいのは認めるけど、歩も物好きだよね」そう言って香子は小さいため息を漏らす。



確かに、っという表現で私は大きく肯いた。



「歩・・・・顔以外に寺岡のどこがいいわけ?」香子は私に肘で突っついてくる。



「うーん、・・・無臭なところかな?」私は首を傾げるそぶりを見せた。



「出た出た、いつものよくわかんない天才的表現ってやつ?ホント、何?無臭って」そう言って香子はしかめっ面する。



ここで私はもう一度、お決まりの苦笑。



「はいはい、もうそれ以上突っ込んでくるなってことでしょ?」香子はあきらめて私と一緒に苦笑してしまう。



さすが3年の付き合い、私みたいに思考が分からなくてもしっかり対応してくれる。



私の作り上げた私に。



人の意識が分かり、ただそれに従うだけの自己主張しない私。



そこには本当の私がいるのだろうか?





掃除も終わり。



カバンを持って私と香子は廊下に出ると、長身で学生服の男性が立っていた。



「寺岡くん」私は長身の男性に手を振った。



「じゃーねぇー」香子はにやにやしながら、私を置いて走り去ってしまった。



東條とうじょう、帰るだろ?」寺岡くんが帰るときに言う最初一言はいつもこの言葉だ。



「もっちろん」私もいつものセリフを言って、私と寺岡くんは一緒に廊下を歩き出した。



下駄箱、靴を履き変えて歩き出す。



私と寺岡くんは家が逆方向なのだけど、寺岡くんがわざわざ私を見送りに一緒に歩いてくれる。



「ほら?この前話していたのはどうなったの?えっと・・・ガーなんとかって奴は?」と私は思い出したように言う。



「あー、解散の話だな。あれは・・・・・・・」と寺岡くんはお得意の話題を振られて、私が寺岡くんの趣味の独壇場にした。



こうした方が相手も気持ちいいし、何より話題を探す手間も省ける。



あとはいつものようにひたすら相槌をしていればいい。



何故、私はそんなこと知っているのか?



それは私の香りの能力とは全く関係ない。



三年生に上がってすぐに私が寺岡くんに告白して、その時に渡されたものにある。



告白した理由はやはり寺岡くんが無臭の訳を探求しようと思ったから。



そして、私が渡されたもの、それは『寺岡くんの取扱説明書』だ。



そこで、私はようやく思考は読めるのに寺岡くんが無臭の訳が理解できた。



寺岡くんの感情なり生き方なりが、その取扱説明書として具現化されているからだ。



寺岡くんは実はマエカノにも渡しているらしく、別れた後にマエカノが前のクラスにばらまいてしまった。



そのため取扱説明書を前のクラスの皆が周知していて、そのこと自体も寺岡くんは知っている。



無臭の訳を探求しようと告白したその日に答えが分かってしまった。



また、私の暇つぶしが減ってしまった。



「・・・・・・・で、解散してしまったら、俺の生きる楽しみが減ってしまう」寺岡くんは少し悲観そうな表情を浮かべた。



私なんて物心ついたその日から、特殊であることが苦痛で楽しみも何もない。



自分でも「自分自身、もう終わってもいいんじゃない?」と思ってしまう。



こんなこと、当然口にできない。



どうせそんなこと言うと、皆ひいて雰囲気が暗くなって話が途切れるだけ。



「今、解散しても復活するミュージシャンとかいるから。また復活するかもよ」私は寺岡くんの取扱説明書から引用して言った。



「そうだな」寺岡くんは少し笑顔で肯く。



その笑顔が眩しくて一点の曇りもなく、羨ましくもあり、憎たらしくもある。



寺岡くんの真っ直ぐな表情に、私は少し斜に構えて苦笑いしていた。



私はそんなやり取りとしていると、家の前まで来てしまっていた。



「そう言えば・・・・・・東條の取扱説明書は出来たのか?」思い出したように寺岡くんは言う。



ここも寺岡くんが変わっているところで、寺岡くんは相手にも取扱説明書を請求するのだ。



寺岡くんの取扱説明書によると「彼女に対してこの取扱説明書の請求で、どれだけ別れたことか」だそうで。



『どれだけ』と表記されているが、どれだけ付き合ったのかは恐ろしい数字が記載されていた。



面だけはいいんだけどねっと私は寺岡くんの顔を見た。



「もう少しだけ、待って」そう言って私は出来るだけ可愛く手を合わせて懇願した。






私は家に入るとすぐに、いつも一階のキッチンにいる母親と顔を合わさないように二階の自分の部屋に逃げ込んだ。



両親は私のこの能力を知っているので、両親側からも私を遠ざけようとする。



だから、私は遠ざけられる前に自分の部屋に逃げ出す。



時計を見ると午後五時、そろそろ弟が帰ってくる時間だ。



机の上にカバンを放り投げた。



確かに高校三年生は受験シーズンで推薦にも学力テストはあるけど、まったく勉強する気がない。



私はベットに寝ころび、手を伸ばして机の上にある一冊の書類を引っ張り出した。



そのA4の紙をパラパラと捲っていく。



寺岡くんの取扱説明書だ。



その内容というのは

注意事項(嫌なことば、態度、過去の記憶)

好きなこと

嬉しいこと

嫌なこと


寺岡くんの半生が細かく刻まれている。



その中でも私が何度も読んでしまう部分があった。



中学の頃、寺岡くんは虐められていたのだ。



今の(見た目)さわやかな寺岡くんのイメージでは想像できない・・・・・いや、あの変わり者の寺岡くんならありえるかもと何度も思った。



そのいじめの原因、それは寺岡くんが二択に対してものすごく強いことにあった。



そんなのはただの偶然だと思うけど、その取扱説明書には二択に対する実験がレポートされていた。



実験の内容は「コイントス」。



他人が打ち上げてキャッチしたコインが裏か表かを当てていくという実験。



そこからずらりとコイントスの回数と正解率が計算されていた。



コイントスの回数は40回、そしてすべて成功を収めている。



その確率は0.0000000009%という訳の分からない確率。



中学生が考えそうで暇な奴らだなっと思ったけど、それからクラスの皆に気持悪がられてしまったと書いてある。



私は立ち上がり、カバンの中にある財布から百円を出して、手をグーにつくって親指の上に百円玉をおいた。



ピン



百円がくるくると舞いあがり、手の甲で百円玉を受けて手の甲にもう一つの手を被せた。



「えーと、しまった。どっちが裏表なのか決めてなかった」えーと、確か百円の数字が記されてあるほうが裏で、百円玉のアジサイのほうが表だ。



「表」私は被せた手を開くと、裏の数字が記されていた。



ちっ、と私はもう一回やったが予想は表、結果が裏で失敗。



私はため息を漏らして、もう一度ベッドに寝転んだ。



私の体に押しつぶされたしわしわの「寺岡くんの取扱説明書」をもう一度手に取ってみた。



他の人間は私の前ではすべてさらけ出されてしまうけど・・・・なんで、この人はこんなにも自分をさらけ出せるんだろうか?



バタバタと家の階段を上ってくる足音が聞こえてきた。



弟だ。



「ネェちゃん、夕飯食うってさ」私の部屋の通りざまに弟の声が聞こえる。



弟は中学三年生で、これから夕食を食べて塾に向かう。



私はそれに合わせて一緒に食べないといけない。



ため息を漏らして自分の部屋から出て狭い廊下に出ると、隣の部屋の扉が開いて弟が現れた。



弟には一年前ぐらいに完全に身長が抜かれてしまった。



ひょろっとした体だが、春だというのにサッカー部での去年の日焼けがすかに残って色黒だ。



弟には私の能力を家族で秘密にしている。



もちろん、弟には私と同じような能力はない。



「あんた、頑張んなさいよ」私は弟に言う。



「ネェちゃんもな」そう憎まれ口を叩いて、私を抜いて階段を下りていく。



私にできることはこんなことだけ。



ごめんね、私は自分自身すら救うことができないのに他人を救うことなんて無理だ。



弟は口には出さないが高校受験で切羽詰っているのが香りで容易にわかる。そして、学校の問題、女の子との関係、勉強、不安、恐れ、プレッシャー。



私よりも一回り以上大きくなった弟の背中を眺めながら、私も一階に下りていく。


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