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短編集  作者: 貴遊あきら
恋愛?
8/11

愛しき待ち人

 何度思い出しても笑ってしまう。段々と大きくなる日本の大地に目を向けながら、思わずフッと笑った。それは私がある計画をあいつに打ち明けた時のことだ。





『あのな、海外に行きたいって気持ちはよう分かった』


とあいつは切り出した。とても言いにくそうに、しかし言わねばならないと覚悟を決めていたのだろう。その表情は真剣そのものだ。


『うん、それで?』

『そ、それでな。俺としてはな、行かへん方がいいと思うんやけど、どうやろ』

『どうやろって、いや、私は行きたいんよ。むしろ行くって決めたんやけど』

『なん、そ、それやったら何で俺に聞くんや!』

『いや、別に聞いてへんから。ただ行くことになったって報告しただけやろ?』

『そやってもな!』


 あいつの憤りは凄まじいもので、しかし私にとってはそれほど脅威でもなく、なんで怒るかなあと頭を捻った。海外に行くと言っても、たったの一カ月だ。週に換算すると四週間。たったのそれだけだ。二度と帰って来ないわけでもあるまいし。長い休みを利用して、英語のスキルアップのために頑張ってこようとする彼女に、どうしてそう怒りを露わにするのだろう。


『ま、どういうても、もう申し込んだし、止められへんけどな。でも、なんでそんなに怒ってるん?確かに申し込む前にちゃんと言えば良かったやろうけど。一カ月やで?一カ月。すぐ帰って来るやん』


 大体、普段から「寂しい」などというタイプではない。怒りの理由は「寂しいから一カ月も我慢できへん」なんてことはないだろう。そもそもそう言う感覚が薄いのか、サークルの合宿も私に黙って行き、お土産とともに『行って来たわ!』の一言だった。


『べ、別に寂しいとかそういうんやないけどな。そりゃ、ちょっとは寂しいと思うで、俺も。やけどそれとこれとは違う話でな、海外はあかん。大体一カ月かそこらで英語能力を高めようなんて魂胆があかん』


 魂胆! 魂胆ときたか。

 確かにあいつの主張は正しかった。一カ月くらいでスキルがぐんと伸びるかと言えばそんなことは滅多にない。そんなものは建前だ。少なくとも私にとっては。私はただ、一ヵ月間外国で生活してみたかっただけのことで、スキルアップ云々は二の次である。まあ、英語漬けの生活になるだろうから少しは足しになるだろうけれど。


『まあ確かにそうかもしれんけどな。やっぱりあっちの空気に触れるんも大切やろし。いい経験になると思うからな』

『なっ、何を経験するつもりや何を!あかんでそんなこと!』

『はあ?何って』

『言わんでええわ!大体な、英語がしゃべりたかったら俺が相手したるから!』

『いや、あんたと英語しゃべってもな』

『英語の成績は常時A+の俺が直々に付き合ってやるってのにあかんのか!』

『何それ、自慢?』

『そーいう話はしてへんやろ!で?あかんのか?』

『いや、あかんのか?とか言われても。あかんやろ。すぐ飽きそうやん』

『飽きへん!むっちゃ根気よぉ付き合ったる!』

『い、いや、何もそこまでしなくても』

『そこまでせんでも行くん諦めてくれるか?!』

『そう言う意味ではないね、うん』

『なんでや!』


 あいつは怒鳴り過ぎて目が潤んでいた。必死の意味を問われたら、こんな状態ですと示すいい例を体現していた。


『もうなんでもええけど、なんでそんな頑ななん?』

『頑ななんはおまえやろ』

『いや、あんたやろ』

『とにかく行かんほうがええ』

『もうそれはええから、お土産何がいいか考え。ほら、これ、向こうのガイドマップな』


 スッとガイドブックを差し出せば、あいつは一瞬それを取ろうと手を出し、ハッと気が付いて手を引っ込めた。何がしたいのかよく分からない。


『あ、あかん!物で釣ろうとは恐ろしい女や!あ、いや、恐ろしいとは言いつつも顔とかやないで?顔はむっちゃ可愛いで?俺の好みやからな』

『別にフォローは要らんけどな』

『ともかくな、あかん。まだ間に合うからな』

『いや、間に合わんからな。もうええから、ほら、一カ月なんてあっという間やし。どうでもええからお土産選び』


 そう進めると、そうかそうか、という感じであいつは手を出すが、また先ほどの繰り返しだ。ハッとして手を引っ込めた。悔しそうに私を見る。恐ろしい女め、と思っているのだろう。面白い男め、と言い返せばいいのかこの場合。


『どーしてもあかんか?』

『むしろなんでそんなに言うんか教えてほしいわ』

『なんでって!』


あいつはつっかえつっかえ言った。


『俺がおるやろ!』


漸く言ったか、と褒めてあげたいところだが、意味が分からない。


『は?』

『はーやない!俺がおるやろ!』

『何、どこに?ここに?日本に?は?』

『そーいう意味ちゃうわ!俺という彼氏がおるやろって話や!』

『いや、あんたは確かに私の彼氏やけど、何、いつの間に彼氏云々の話になったん?わからへんわ、さっぱり』

『つまりや。俺という彼氏がおるのに海外に行く言うんはどういうことやってわけや』


 あいつは「とうとう言ってやったわ」とでも言いそうな顔をしていた。

 さて、私は何を言われたのだろう。


『あー……ごめん、悪いけど、彼氏がおるんと海外に行くことにどう関係があるんか教えてもらえへん?』


 そういえば、あいつはまるで未知の言語で話しかけられたような怪訝な顔をした。そして片言で「パードン?」とでも窺う様に、「なんやて?」と呟いた。


『あれやん、よう言うやろ。外国語を上達させたかったら外国人の彼氏つくるんが一番の近道やって。それやそれ!』

『はあ?』

『はーやない!俺はそんなん嫌やで!やから言うたんや!英語しゃべりたいんやったら俺が相手したるって!そやのに!そやのに!』


 必死に言い募られて、なんだか悪いことをした気分になったものだ。前から思いこみが激しいとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。

 呆気にとられて何も言わないでいると、『もっとええ男になるから!』と訳の分からない約束まで言いだす始末だ。泣きださないだけ良かったのかもしれない。あいつはそれから十分ほど色々と楽しい約束を持ちだしては「そやから!」と海外行きを諦めさせようとした。おそらくあいつも引っ込みが付かなかったのだろう。色々言いたいことを言いつくして、ようやく落ち着いたようだった。




『あほやなあ』


 どこか感心した風にそう言ってやると、あいつは何も言わずにぎゅっと抱きついてきた。そして小さく呟いた。


『あかん、ちょっと恥ずかしい』


 見れば耳まで真っ赤だった。








 飛行機が着陸するまでの妙な浮遊感には何度乗っても慣れることがない。思わず笑い出してしまいそうになる。しばらくして機内にアナウンスが流れ、タラップを降りて、入国手続きを済まし、のんびりと出口に向かう。漸く帰ってきたなあ、と息をつき、辺りを見まわす。


「あ」


 視界にあいつの姿が映り、私は大きく手を振った。あいつはもっと早くに気が付いていたのか、嬉しいのか恥かしいのか良く分からない顔をしてから、ちょっと口角を上げる。ガラガラとスーツケースを引っ張ってそちらに行くと、あいつは座っていた姿勢から立ち上がり、ちょっと赤くなった顔を漸く満面の笑みで満たした。しまりのない表情のまま、私を上から下までじっくりと眺める。


「なんやの」


我慢できなくなってそう言えば、あいつは肩をしゃくった。


「わからん。なんとなく」

「なんとなく、なんやの」

「変わってへんような、変わったような」

「別に何も変わってへんで」

「ホンマ? なんかちょっと変わったと思うんやけど。なんていうか…」

「なんていうか?」

「あー、いや、気にせんといて」


あいつはそう言って可笑しそうに笑う。


「帰り、何か食べて帰ろか。何食べたい?」

「天ぷらうどん!」


私の回答にあいつは噴き出すように笑った。




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