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『アクスアルブの無血開城』

帝都ラーナの「大理石の玉座の間」で繰り広げられた緊迫した談議は、老練な政治家たちの思惑が交錯する中で、皇帝アラリックが演じた大芝居であった。




若き皇帝が見せた苛立ちや躊躇、そして諸侯の提案に深く頷いてみせた態度の多くは、宮廷内に潜む内通者や諸侯の目を欺くための緻密な演劇に過ぎない。




真の実情は、すでにふた月前に決せられていたのだ。




——同年10月、アンチアルマ避難民藩地。




復興に揺れる避難民キャンプの天幕の裏で、皇帝アラリックと異母弟であるセレスティアs親王イリアードは密かに膝を交えていた。帝国の未来を背負う若き兄弟は、ブランガ・オデュヌという脅威の真価と、その背後に潜む絶望的な現実を見抜いていたのである。




その話し合いの場で、アラリックは燦然と輝く宝剣を、再び弟へと手渡した。アラリックは二年前に弟へ賜与していた剣である。帝国軍全軍に対する絶対的な軍権の象徴——『黄金の獅子剣』。それこそが、二人の固い信頼と密約の証であった。




「兄上、宮廷の老狐たちに悟られてはなりませぬ」




イリアードは冷ややかな、しかし確信に満ちた眼差しで言った。




「ブランガ・オデュヌの狙いは単なる領土の占拠ではない。奴はこの帝国そのものを狙っているのです」




「ブランガはグラッデェを追い払った英雄気取りだが、親王イザークを殺した大逆人だ」




アラリックは続けた。




「奴を生かしておけば帝国の根幹が腐る。……だが、本当に10万を動かすのか? フェルゼンヴァルデン砦を空にすれば、東からの守りが薄くなるのではないか?」




その問いに対し、イリアードは静かに首を振った。 彼がここまで強気な策を展開できる最大の根拠は、妻リゼリアの存在にあった。彼女は古の血筋を引く異能の持ち主であり、千里の先を見通す「遠見の眼」と「魂の潮流を読む力」を有していた。




「グラッデェの全貌は、まだ潰れておりませぬ」




事前にリゼリアからもたらされた言葉を、イリアードは兄に伝えた。




「退却したグラッデェは、本国になお三十五万もの膨大な軍勢を残しております。猛冬を越すために一時身を引いたに過ぎません」




三十五万——帝国の斥候すら把握し得なかったその途方ない数字を掴んでいたからこそ、兄弟の決断は早かった。




「ならば、ブランガをただ叩くだけでは足りぬな」




「左様です。だからこそ、我が軍は春を待ちません。寒さが厳しくなる前に行動を起こします」




計画はこうだ。 11月を待たずしてイリアードは全軍を統率し、フェルゼンヴァルデン砦に最小限の守備兵三万を残して、自ら十万の大軍を率い電撃的に南下する。


そこから進路を北東に変えてボルゲーゼを奪取する。その後、半数は南下してアクスアルブを掌握する手はずである。




妻リゼリアは、安全かつ戦略の要衝であるフェルゼンヴァルデン砦に留まる。


その異能の力で戦況とグラッデェの動向を千里の彼方から監視・指揮支援する。




◇


……そして現在、12月。




帝都の宮廷で三公や諸侯が「ブランガを追認すべきか、討伐すべきか」と呑気な議論を重ねている頃、極寒の南東部ではすでに結末が訪れていた。




イリアード率いる十万の軍勢は、疾風のごとき速度で南下後、北上してブランガ・オデュヌが本格的な防備を固める間もなく、圧倒的な軍勢と「黄金の獅子剣」の威光を背景に、ボルゲーゼ領およびアクスアルブ、そして周辺都市へと怒濤のごとく迫った。




その圧倒的な展開速度と威圧の前に、各都市の守備隊や領民は戦う術を持たず、一切の血を流すことなく次々と陣門を開いた。


元々帝国の民であり、帝国軍の兵達である。


彼らが反乱を起こして帝国と決別を望んでいた訳ではなかったのだ。


「黄金の獅子剣」の威光はむしろ、反抗よりも歓迎の意思を巻き起こしたのであった。




「報告! ボルゲーゼ、アクスアルブ、双方ともに無血開城! 我が軍、完全に両地を奪還いたしました!」




急報を受けたイリアードは、奪還したボルゲーゼの陣中で冷たく口元をほころばせた。腰に差した『黄金の獅子剣』の金色の柄に手を置き、北東のアンチアルマを見やる。




帝都のアラリックが演じた「決断を欠く若き皇帝」の虚像に誰もが目を奪われている隙に、イリアードの作戦は完璧に完遂されたのだ。




いまや、春を待って東進し、帝都ラーナを手中に収めるつもりであった、ブランガ・オデュヌは、ボルゲーゼとアクスアルブの双方を奪い返され、古都アンチアルマの中で完全に孤立していた。自らの陥路にすら気づかぬまま。




フェルゼンヴァルデン砦に留まるリゼリアからは、異能の伝達を通じて静かな声がイリアードの心に届く。




『……イリアード様。アンチアルマのブランガ軍は退路を絶たれ、完全に籠の中の鳥となりました。そして西の果て、グラッデェの三十五万もまた、雪解けとともに動く気配を見せています』




「よくやってくれた、リゼリア」




イリアードは心の中で妻に感謝を告げ、冷徹な将軍の顔に戻った。




「哀れな男だ、ブランガ・オデュヌ。自分が帝国に対し主導権を握ったと錯覚していたようだが、貴様はすでに盤上の駒に過ぎん」




狙い通り、孤立したブランガはアンチアルマで足止めされた。 来春、融雪とともに怒涛のごとく再攻勢をかけてくるグラッデェ三十五万の大軍。その恐ろしい鉄騎の嵐と最初に激突し、肉の壁となって削り合わされるのは、アンチアルマのブランガ軍である。




毒をもって毒を制す。 大逆人ブランガにグラッデェの猛攻を受け止めさせ、相打ちに持ち込むための舞台は整った。




「兄上、帝都の狸どもをうまく騙し続けてください」




イリアードは『黄金の獅子剣』を硬く握り締め、冬の澄んだ空を仰いだ。


登場人物一覧

* ブランガ・オデュヌ:都督の庶子である20歳の青年。異国風のベストに片刃の剣を帯び、卓越した戦術眼、兵站の把握力、火縄銃の「三段撃ち」などの革新的な軍制で破竹の勢いを見せるが、孤立無援の中でグラッデェ軍と戦い戦死した。

* ヴォルフラム:上質な羊毛のタバードを身に纏い、大剣を背負う流浪の吟遊詩人であり剣士。ブランガの副官として行動を共にする。

* アラリック:アルストラーナ帝国第14代皇帝(26歳)。若き支配者として憂いを抱えつつ、弟イリアードと共にブランガやグラッデェに対抗する思惑を巡らせる。

* イザーク親王:第14代皇帝アラリックの異母弟で、ボルゲーゼ親王領の君主。逃走中にブランガに救われるが、後にブランガを恐れて殺害を企て、逆に対策されていたブランガの手で誅殺された。

* イリアード親王(セレスティア親王):皇帝アラリックの異母弟で、フェルゼンヴァルデン砦にて13万の軍を預かる。「黄金の獅子剣」を託され、電撃的に補給路を断つことでブランガをアンチアルマに孤立させた。

* リゼリア(『水鏡将軍』):イリアード親王の妻。「遠見の眼」と「魂の潮流を読む力」を持つ異能の持ち主で、フェルゼンヴァルデン砦から戦況を見通し最高指揮権の代理資格を持つ。

* セシリア(『水明将軍』):リゼリアの従妹。リゼリアと共に帝国最高の特権称号を持ち、最高指揮権の代理資格を保持する。

* マートル・フォン・ブライトクロイツ:帝国の「中書令」。前帝の貴妃ソフィアの弟で、名門ブライトクロイツ家の当主。

* ヴァレリオ・フォン・ボルゲーゼ:帝国の三公の一角である「太尉」。重装甲の鎧を纏った老将で、殺害されたイザーク親王の叔父。

* リヒャルト・フォン・シュタインベルク:帝国の三公の長である「司徒」。太皇太后の兄であり、皇帝アラリックおよび皇后ロザリアの祖父。

* ジョヴァンニ・フォン・シュタインベルク:帝国の「尚書令」。リヒャルトの息子で、皇帝の叔父、皇后ロザリアの父にあたり、行政の実権を握る。

* ゲオルグ・フォン・フェルゼン:帝国の「侍中」を務める老政治家。

* ベアトリクス・フォン・オルデンブルク:土木・国家事業を統括する帝国の「司空」。

* ロザリア・フォン・シュタインベルク:皇后。皇太后の姪で皇帝の従妹にあたり、知謀に長けた進言を行う。

* エスゲイ・バール:騎馬民族グラッデェの首領で、「神の鞭」「草原の暴君」と恐れられる老覇王。長男の復讐のため35万の大軍勢を率いて侵攻した。

* カザン:エスゲイの長男(庶子)。15万の軍勢でアンチアルマを攻略するも、アクスアルブ近郊でブランガに敗れ戦死した。

* ベグ:エスゲイの次男(嫡子)。西の大秦国を陥落させた功績を持つ英雄。

* カガン:エスゲイの三男(嫡子)。功名心が強く血気盛んな若武者だったが、アンチアルマ城壁でブランガに討ち取られた。

* カサル:エスゲイの弟で、カガンたちの叔父。大弓の名手である歴戦の勇士。

* タルス:エスゲイの同母弟で、グラッデェ軍の最高宿将(軍師)。アンチアルマの攻城戦でブランガに打ち取られた。

用語集一覧

* アルストラーナ帝国:物語の舞台となる巨大な帝国。内部の腐敗や後継・権力闘争、西方からの異教徒侵攻により混迷を極めている。

* アクスアルブ:帝国南西部に位置する、交易路とレミ川・アシェロン川の水運が交差する繁栄した都市。ブランガが最初に勢力を築いた拠点。

* 古都アンチアルマ:帝国北方の要衝であり文化と繁栄の象徴。グラッデェにより一度落とされたがブランガが奪還し、最後は激しい攻防戦の舞台となった。

* 帝都ラーナ:アルストラーナ帝国の心臓部であり、白亜の城壁と「大理石の玉座の間」を備える宮殿が存在する。

* ヴェロニカ峠:山脈の入り口に位置する山隘。ブランガが火縄銃隊を率いてグラッデェの先鋒3万を退けた地。

* アイゼン平原:遮るもののない大平原。ブランガが野戦陣地を構築し、1万1千の兵でグラッデェ10万を打ち破った場所。

* グラッデェ:中央の大草原を拠点とする広大な遊牧騎兵民族連合。圧倒的な機動力と弓術を誇り、大秦国を滅ぼした。

* 大秦国:かつて文明の発祥地と謳われ不落の城壁を誇ったが、グラッデェによって徹底的に破壊・滅亡させられた西の国家。

* 火縄銃・三段撃ち:ブランガが黒色火薬と鉄を組み合わせて大量生産させた改良型火器と、絶え間なく鉛弾を打ち出すために編み出した革新的な射撃戦術。

* 鉄の砦(移動式鉄砦):馬車に鉄板を張り、銃撃用の銃眼を設けて野戦で即座に陣形を組めるようにブランガが考案した新兵器。

* 黄金の獅子剣:皇帝から賜与される帝国軍全軍に対する絶対的な軍権の象徴たる宝剣。

* 『水鏡』『水明』の称号:戦功により与えられる帝国最高の特権称号。正規軍から無条件で5千の兵を借り受ける権限や、「黄金の獅子剣」の最高指揮権を代理する法的権利を持つ。

* 乾燥蓮根:セレスティア領の特産物で、非常食用に高度な加工が施された高度な保存食。セレスティア側からブランガ軍へ「籠城して春まで生き延びろ」という挑発・蔑みを込めて届けられた。

* 枡形(ますがた):城門の奥に作られた、高い石壁で囲まれた半円形の殺戮空間(キルゾーン)。


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