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『燃えゆく古都』

「お前の知略は確かに天をも欺いた。だが、このエスゲイ・バールという『存在』そのものを超えるには、まだ器が足りぬ!」




覇王エスゲイの放った剛烈な一撃が、ブランガの防陣を完全に打ち砕いた。


限界を迎えていたブランガの剣は根元からへし折れ、その破片が鈍い音を立てて泥濘へと沈んでいく。


無防備になったブランガの胸元へ、エスゲイの黄金の宝剣が容赦なく突き出された。


肉を裂き、骨を砕く鈍い感触。黄金の刃は、ブランガの銀の胸当てを貫き、その背中へと突き抜けた。


「……がはっ」


ブランガの口から鮮烈な血が溢れ出し、夕闇に染まる泥をさらに赤く染める。


しかし、刃を突き立てられた瞬間、ブランガは退くどころか、むしろ自らさらに一歩前へと足を進めた。己の身体を深く貫く宝剣の刃をものともせず、エスゲイの懐へと肉薄したのだ。


「何っ……!?」


数々の修羅場を潜り抜けてきた覇王エスゲイの顔に、この日初めて、真の戦慄が走った。


ブランガは残された右腕で、折れた剣の「柄」を握りしめていた。そのへし折れた鋭利な刃の残骸を、渾身の力でエスゲイの顔面へと突き立てる。


肉が裂ける凄まじい音が響いた。


ブランガの最期の一撃は、覇王の右目を深く抉り、その頬を裂いていた。


「ぐ、おおおおおっ!!」


エスゲイが生まれて初めて上げる、苦悶の絶叫が戦場に轟く。


覇王は右目から大量の血を流しながら、反射的に宝剣を横一文字に薙ぎ払った。


鮮血の弧が描き出され、若き新星、ブランガ・オデュヌの身体がゆっくりと、仰向けに泥の中へと倒れ込んでいく。






◇


静寂が、戦場を支配した。


グラッデェの戦士たちも、生き残っていたわずかなアンチアルマの防衛兵たちも、その光景を前に言葉を失っていた。


泥の中に横たわるブランガの瞳は、すでに光を失っていた。しかし、その顔は不思議と穏やかであり、世界の頂点に立つ覇王に「消えぬ傷」を刻みつけた男の、誇り高き意志がそのまま凍りついたかのようであった。


新興の猛将、ブランガ・オデュヌ。享年二十代半ば。


アルストラーナ帝国からも裏切られ、四方全てが敵という究極の孤立無援のなか、わずか一万五千の兵で三十五万の質量を震撼させた怪物は、ここに戦死した。


「兄上! 御無事ですかっ!」


カガンとタルスを失い、生き残った弟カサルが息を切らせて駆け寄ってきた。


エスゲイは右目を手で押さえ、指の隙間からどくどくと溢れ出る血を泥へと滴らせていた。その凄惨な姿は、勝利した王のそれではなく、手負いの老いた獣のようであった。


「……無事だと?」


エスゲイは低く、地鳴りのような声で呟いた。右目の視界は完全に失われ、激痛が脳を揺らしている。


周囲を見渡せば、アンチアルマの平原はグラッデェの兵たちの骸と、動かなくなった数万の軍馬で埋め尽くされている。水計によってもたらされた泥濘は、彼らの誇り高き鉄蹄を奪い、勝利の代償として三十五万の軍勢の「翼」を完全にへし折っていた。


長男カザンを失った復讐のために全軍を動員したが、得られたのは、三男カガンの死、最高宿将タルスの死、数万の精鋭の損失、そして——覇王自身の片目の喪失であった。


「ブランガ・オデュヌ……。お前は最後まで、我がグラッデェの呪いとなったか」


エスゲイは黄金の宝剣を鞘へと収め、冷たくなったブランガの遺体を見下ろした。


勝者はエスゲイ・バールである。しかし、このアンチルマの地でグラッデェが失ったものは、あまりにも大きすぎた。もはや、この傷ついた軍勢でオーレリア帝国の本土へ進撃する力は残されていない。


「全軍に、告げよ……」


エスゲイは生き残った片目で、深く息を吐きながら言った。


「アンチアルマを灰にせよ。だが、これ以上の進軍は止める。……東へ、引き揚げるぞ」


アルアウトラーナ帝国歴304年5月。


古都アンチルマは燃え落ち、ブランガ・オデュヌの軍勢は全滅した。しかし、覇王エスゲイ・バール率いる三十五万の軍勢もまた、その進撃を完全に止められ、満身創痍で草原へと撤退していった。


一人の若き智将が命を賭して引き起こした狂瀾は、大陸の歴史を大きく塗り替え、新たなる混沌の時代を告げる幕引きとなったのである。




登場人物一覧

* ブランガ・オデュヌ:都督の庶子である20歳の青年。異国風のベストに片刃の剣を帯び、卓越した戦術眼、兵站の把握力、火縄銃の「三段撃ち」などの革新的な軍制で破竹の勢いを見せるが、孤立無援の中でグラッデェ軍と戦い戦死した。

* ヴォルフラム:上質な羊毛のタバードを身に纏い、大剣を背負う流浪の吟遊詩人であり剣士。ブランガの副官として行動を共にする。

* アラリック:アルストラーナ帝国第14代皇帝(26歳)。若き支配者として憂いを抱えつつ、弟イリアードと共にブランガやグラッデェに対抗する思惑を巡らせる。

* イザーク親王:第14代皇帝アラリックの異母弟で、ボルゲーゼ親王領の君主。逃走中にブランガに救われるが、後にブランガを恐れて殺害を企て、逆に対策されていたブランガの手で誅殺された。

* イリアード親王(セレスティア親王):皇帝アラリックの異母弟で、フェルゼンヴァルデン砦にて13万の軍を預かる。「黄金の獅子剣」を託され、電撃的に補給路を断つことでブランガをアンチアルマに孤立させた。

* リゼリア(『水鏡将軍』):イリアード親王の妻。「遠見の眼」と「魂の潮流を読む力」を持つ異能の持ち主で、フェルゼンヴァルデン砦から戦況を見通し最高指揮権の代理資格を持つ。

* セシリア(『水明将軍』):リゼリアの従妹。リゼリアと共に帝国最高の特権称号を持ち、最高指揮権の代理資格を保持する。

* マートル・フォン・ブライトクロイツ:帝国の「中書令」。前帝の貴妃ソフィアの弟で、名門ブライトクロイツ家の当主。

* ヴァレリオ・フォン・ボルゲーゼ:帝国の三公の一角である「太尉」。重装甲の鎧を纏った老将で、殺害されたイザーク親王の叔父。

* リヒャルト・フォン・シュタインベルク:帝国の三公の長である「司徒」。太皇太后の兄であり、皇帝アラリックおよび皇后ロザリアの祖父。

* ジョヴァンニ・フォン・シュタインベルク:帝国の「尚書令」。リヒャルトの息子で、皇帝の叔父、皇后ロザリアの父にあたり、行政の実権を握る。

* ゲオルグ・フォン・フェルゼン:帝国の「侍中」を務める老政治家。

* ベアトリクス・フォン・オルデンブルク:土木・国家事業を統括する帝国の「司空」。

* ロザリア・フォン・シュタインベルク:皇后。皇太后の姪で皇帝の従妹にあたり、知謀に長けた進言を行う。

* エスゲイ・バール:騎馬民族グラッデェの首領で、「神の鞭」「草原の暴君」と恐れられる老覇王。長男の復讐のため35万の大軍勢を率いて侵攻した。

* カザン:エスゲイの長男(庶子)。15万の軍勢でアンチアルマを攻略するも、アクスアルブ近郊でブランガに敗れ戦死した。

* ベグ:エスゲイの次男(嫡子)。西の大秦国を陥落させた功績を持つ英雄。

* カガン:エスゲイの三男(嫡子)。功名心が強く血気盛んな若武者だったが、アンチアルマ城壁でブランガに討ち取られた。

* カサル:エスゲイの弟で、カガンたちの叔父。大弓の名手である歴戦の勇士。

* タルス:エスゲイの同母弟で、グラッデェ軍の最高宿将(軍師)。アンチアルマの攻城戦でブランガに打ち取られた。

用語集一覧

* アルストラーナ帝国:物語の舞台となる巨大な帝国。内部の腐敗や後継・権力闘争、西方からの異教徒侵攻により混迷を極めている。

* アクスアルブ:帝国南西部に位置する、交易路とレミ川・アシェロン川の水運が交差する繁栄した都市。ブランガが最初に勢力を築いた拠点。

* 古都アンチアルマ:帝国北方の要衝であり文化と繁栄の象徴。グラッデェにより一度落とされたがブランガが奪還し、最後は激しい攻防戦の舞台となった。

* 帝都ラーナ:アルストラーナ帝国の心臓部であり、白亜の城壁と「大理石の玉座の間」を備える宮殿が存在する。

* ヴェロニカ峠:山脈の入り口に位置する山隘。ブランガが火縄銃隊を率いてグラッデェの先鋒3万を退けた地。

* アイゼン平原:遮るもののない大平原。ブランガが野戦陣地を構築し、1万1千の兵でグラッデェ10万を打ち破った場所。

* グラッデェ:中央の大草原を拠点とする広大な遊牧騎兵民族連合。圧倒的な機動力と弓術を誇り、大秦国を滅ぼした。

* 大秦国:かつて文明の発祥地と謳われ不落の城壁を誇ったが、グラッデェによって徹底的に破壊・滅亡させられた西の国家。

* 火縄銃・三段撃ち:ブランガが黒色火薬と鉄を組み合わせて大量生産させた改良型火器と、絶え間なく鉛弾を打ち出すために編み出した革新的な射撃戦術。

* 鉄の砦(移動式鉄砦):馬車に鉄板を張り、銃撃用の銃眼を設けて野戦で即座に陣形を組めるようにブランガが考案した新兵器。

* 黄金の獅子剣:皇帝から賜与される帝国軍全軍に対する絶対的な軍権の象徴たる宝剣。

* 『水鏡』『水明』の称号:戦功により与えられる帝国最高の特権称号。正規軍から無条件で5千の兵を借り受ける権限や、「黄金の獅子剣」の最高指揮権を代理する法的権利を持つ。

* 乾燥蓮根:セレスティア領の特産物で、非常食用に高度な加工が施された高度な保存食。セレスティア側からブランガ軍へ「籠城して春まで生き延びろ」という挑発・蔑みを込めて届けられた。

* 枡形(ますがた):城門の奥に作られた、高い石壁で囲まれた半円形の殺戮空間(キルゾーン)。


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