第一章:遠い日の響き
京都の街に春の温かい雨が降っていた。ユイは図書館の窓からぼんやりと外を眺めながら、目の前の古びた文献に視線を落とした。「黒髪寺」という文字が、彼女の心を掴んで離さない。隣の席でノートに奇妙な模様を描き続けているリナ、スマホでどこか遠くを調べているレン、そしてそのすべてを冷めた目で見つめるハル。彼らはまだ知らなかった。この文字が、やがて自分たちを戻れない旅へと誘うことを。ユイは再び視線を文献に戻した。埃をかぶった紙には、黒い墨で描かれた奇妙な鳥居の絵と、その下に小さな文字で「黒髪寺」と記されていた。伝説では、この寺は失われた神の儀式のために建てられ、そこにまつられた神は、人々の最も深い願いを叶える代わりに、最も大切なものを奪うという。ユイは、それをただの民間伝承だと思っていた。卒業論文のテーマとして面白い、それだけだった。彼女はバッグからスマートフォンを取り出し、友人のグループチャットにメッセージを打ち始めた。「みんな、すごい資料見つけたよ。今度の旅行先、決まったかも。」送信ボタンを押した直後、ハルのメッセージがすぐに届いた。「何言ってんだよ、ユイ。論文のためにわざわざ山奥の廃寺に行くのか?」と、彼は呆れたように言った。リナはスタンプ一つで驚きを表現し、レンは「面白そう。資料はどこで見つけたんだ?」と好奇心に満ちた返信をした。ユイは、ハルの冷静な反論とレンの即座の興味の間にあるメッセージを読み、笑みを隠すことができなかった。彼女の冒険心はすでに目覚めていた。グループチャット名:研究と冒険と。
ハル: ユイ、本気で言ってるのか?スマホで調べたけど、そこって観光地じゃない。ただの廃寺だろ。
レン: (ハルのメッセージを無視して) ユイ、その資料、写真撮って送ってくれないか?何か面白い歴史的な背景があるはずだ。
リナ: (スタンプ: 考えている顔)
ユイ: (ハルへ) そうよ。観光じゃない、冒険よ。卒業論文のためにも最高のテーマだし。それに、リナが何か感じ取ってくれるかもしれないしね。
ハル: (ユイへ) リナは関係ないだろ。それに、君はいつも無茶ばかりするんだから、少しは考えろ。
リナ: (スタンプ: 少し悲しそう)
レン: まあまあ、ハル。ユイの言う通り、面白い話になるかもしれない。みんなで週末に会って、もう少し詳しく話そうじゃないか。
ユイ: (レンへ) いい提案だね!じゃあ、明日の夕方、いつものカフェでどう?
次の日の夕方、京都市内にある賑やかなカフェに、四人は集まっていた。窓から差し込む夕焼けの光が、テーブルに置かれたコーヒーカップを照らし出す。ユイは、手に持ったスマホをテーブルに置き、友人たちを一人ずつ見つめた。ハルは腕を組んで不満げな表情を浮かべ、リナは静かに自分のカップを両手で温めていた。レンだけは、すでにスマホで「黒髪寺」を検索し、目を輝かせていた。ユイは深呼吸をし、話し始めた。「みんな、準備はいい?」ハルは深くため息をついた。「本当にやるのか、ユイ。論文のためとはいえ、そんな危険な場所に…。」ユイは自信に満ちた笑顔を見せた。「危険じゃないわ、ハル。ただの古い伝説よ。それに、レンが興味を持ったってことは、そこに何か面白い真実が隠されているってことじゃない?」レンは頷きながら、スマホの画面をスワイプした。「この地図によると、最後に訪れたのは戦前の研究者らしい。それ以降、誰も戻ってきていない記録はない。」リナは静かにカップを置いた。彼女の表情は読めなかったが、口を開いた。「あの場所…何かが待っている気がする。」
ユイの言葉に、ハルはついに諦めたように深く息を吐いた。「わかった。行くなら、せめて準備はしっかりしろ。危険なことは何もないって証明してやる。」と彼は言った。彼の言葉は、自分たちを守るための誓いのようだった。リナは小さく頷き、レンは楽しそうにカバンから地図を取り出した。四人の目の前には、遠い山奥にひっそりと佇む黒髪寺が描かれた地図が広げられた。彼らはまだ、その場所に隠された真実も、お互いの関係が永遠に変わることも知らなかった。旅の計画が固まり、彼らの視線は、来るべき冒険への期待と、漠然とした不安で輝いていた。