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土人形のお姉さんは水遊びをしない

作者: 恵京玖
掲載日:2025/08/28

 夏休みの中の八月のある日。

 今日も暑いから、公園では水遊びをしている子が多かった。キラキラと輝く噴水の水をきゃあきゃあと大興奮する保育園児くらいの子たちがちょっと羨ましかった。

 僕こと瑞斗(すいと)は本当は小四なのに小一って言われるくらい小さい。でもさすがに水遊びをするには、僕はちょっと大きいかなって思った。それに水遊びに来たわけじゃない。

 公園の隣にある林には人一人通れるくらいの道がある。だけど入り口で立ち入り禁止のチェーンが付いている。もちろん入ってはいけないけど僕は誰も見ていないことを確認して、チェーンをまたいで入って行く。

 林の道はトトロみたいな生き物がいても疑問に思わないくらい不思議な雰囲気がしていた。そして他の場所よりも涼しい。木の枝と葉の屋根が多分、木陰になっているからだ。

 林の道を歩いてすぐ池が見えてきた。古い柵が囲っていて、雑草がいっぱい生い茂っていた。

 昔はお散歩コースとして歩くことが出来て小さかった頃の僕のお気に入り道だったのに、立ち入り禁止になっていて悲しかった。

 今日は立ち入り禁止になって初めてこの池に来て、ちょっとドキドキしている。


「えーっと、まずは池の中の泥で団子を作る」


 友達から教えてもらった噂を元に僕は池に囲っている柵をまたいで、雑草を踏み分けて川の淵に来た。やっぱり水辺だから地面はとても柔らかい。

 水辺ギリギリの所に来て地面に触れる。池は濁っているけど近くで見ると澄んでいて、メダカのような小魚が泳いでいた。僕が池に手を入れるとメダカたちは逃げていったので、心の中でごめんねと呟く。

 池から取った土はドロドロの泥だった。団子にしようとしたけど、柔らかすぎて丸められない。仕方が無いので足元の地面の土も少し入れる。すると団子に出来た。


「出来た。えーっと、これを池の真ん中に投げる」


 教えてもらった噂を呟いて、僕は泥団子を投げる。でも投げた泥団子は真ん中まで届かず、ボチャンと音を立てて池の中に落ちた。

 僕は「真ん中に届かなかった」と呟いて、もう一度泥団子を作ろうとした。


「……あれ? うわ!」


 しゃがんだ時、いつの間にか池の水が自分の靴の所まで来ていた。更に池の水面が大きく揺れて、波になり僕の足首まで濡らした。

 パッと池の真ん中を見ると何かが上がって来ていた。全身茶色の泥で覆われていて、僕よりはるかに大きい。だけど泥は当たり前だけど固まっていないから、ドロドロと池の中に落ちている。


 うわ、本当だったんだ。学校の噂で、この池には泥の化け物がいるって。嘘だと思っていた噂が本当だったので、僕は心臓がバクバクしていた。


 ボタボタと落ちている泥の合間から目が合った。


 その瞬間、僕は叫んで一目散に逃げた。 

 林の道を出て、僕は立ち止まった。体をくの字に曲げてハアハアと息をする。足元を見ると膝まで濡れて靴も靴下も濡れていた。

 これじゃあ家に帰れないなと思い、公園に設置している水飲み場と蛇口で靴と靴下を脱いで洗った。水道水は日に当たっていたからか、温かった。

 洗いながら、何しに来たんだっけ? と思い出す。夏休みずっと家に居ても辛いから、友達が言っていた泥の化け物を呼び出そう。もし化け物が出たら、友達になろう……って考えて、家を出たんだった。


「でも結局、逃げちゃった」


 化け物が出るなんて思ってもみなかったし、出たとしてもあんな大きいとは思わなかった。友達なんて高望みしすぎだ……。

 それにしても喉が渇いたな。近くに自動販売機があったので、ズボンのポケットから財布を取り出そうとした時、あっと声が出た。


「……財布が無い」


 公園に着いた時はあったはずだから、もしかして……いや、もしかしなくても林の道か泥の化け物のいる池に財布を落としたのかも……。

 チラッと林の道を見る。泥の化け物が出る気配がないが、行きたくはないな。

 僕はため息をついて、自分の家に帰った。




 僕の家はマンションの二階の部屋だ。僕が小さい頃から住んでいる。

 まだ乾いていないから歩くたびに靴底から水が染みている感触があって変な気分だ。きっと怒られるだろうな……って思いながら、「ただいま」と言ってドアを開けた。

 玄関にはお父さんの靴がある。お父さんがいる思って、気分が重くなる。僕のお父さんは僕が嫌いだ。弱くてハキハキ喋れない、鈍くさくてよく泣くからだ。これはずっと赤ちゃんの時からだそうで、夜に突然泣き出してうるさくて仕方がなかったらしい。他の子供よりも歩いたり、喋り始めるのも遅かった。そのくせ物を取られたり、イジメられたら敏感に反応して大げさに大泣きして、逆にムカついたってお父さんが言っていた。本当に嫌いらしい。

 それと弟の陽斗(はると)のキャラクター物の靴もあるけど、お母さんの靴は無い。お母さんはお買い物に行っているのだろうか。

 そんな事を予想しつつ靴を脱いで、洗面所に行き濡れた靴下を洗濯機に入れる。それとうがいと手洗いもやっておく。


「やったー」

「負けちゃったー」


 すごく楽しそうな声が廊下から聞こえてきた。

 リビングに行くと仕事が休みのお父さんと陽斗はゲームをしていた。二人ともゲームに夢中で僕が「ただいまー」と言っても、テレビに映し出すゲーム画面しか見ていなくて、聞こえていないようだ。……もしかしたら、気づいているけど無視しているのかも。

 弟の陽斗は五歳なのにハキハキ喋るし、元気いっぱいに遊ぶ。赤ちゃんの頃からコロコロとよく笑って、お父さんとよく遊んでいた。他の親戚の人も言うけど、赤ちゃんだった僕とは全然違って可愛らしい赤ちゃんって言っていたな。今もこうしてお父さんと遊んでいるし……。

 ゲームだって僕はやらせてくれない。ゲーム機に触れる事もお父さんと陽斗は嫌がる。ゲームが下手だし、負けると絶対に泣くからって。ゲームはやったこと無いし、負ける事なんて僕は慣れっこだから泣かないと思うって言うけど、二人はとにかく嫌だと言う。多分、僕と一緒に遊ぶのも、ゲームに触れるのも嫌なんだと思う。

 僕は台所に行って水を飲んでいると、ドアを開ける音とお母さんの「ただいまー」と言う声が聞こえてきた。

 そしてすぐ「ねえ! 瑞斗!」と言う金切り声が聞こえてきた。帰ってきた時から怒られると分かっていたので、「はい」と玄関の方へと向かう。

 その時、お父さんと陽斗が「またお兄ちゃん、怒られてている」「鈍くさいからな」と言っていて泣きたくなる。

 泣くのをこらえて僕は玄関に向かうと、お母さんは目を吊り上げて待っていた。


「瑞斗! 何でこんなに靴が濡れて汚れているのよ! 汚いじゃないの!」

「ごめんなさい」

「どこ遊んでいたのよ! 玄関が汚くなるじゃない!」


 お母さんは綺麗好きだから服とか靴とか汚れるのが嫌なのだ。でも保育園児の陽斗が服や靴を汚しても怒られないし、むしろ笑っている。それを言うとまだ陽斗はまだ小さいからと言われて、保育園児と一緒なの、瑞斗は? と怒られる。

 何で僕ばっかりなんだろう……と思うと泣きたくなってきた。でも泣いたらまた怒られるだろうな。だけど、どうして汚れたのか理由を言ったら信じないし怒られるだろうな。立ち入り禁止の林の道を抜けて、池でおまじないをしたら泥の化け物が出たなんて、僕も聞いたら信じない。

 いや、汚れとかじゃなくて僕の事が嫌いなんだ。赤ちゃんの頃からうるさく泣いて、他の子供よりも手間がかかって大変だったから。陽斗が生まれて、赤ちゃんがこんなに可愛いって思わなかった。瑞斗は育てるのが苦痛だったって親戚の人に言っていたし。

 本当にお母さんは僕の事が嫌いなんだ。そう思うと泣きそうになる。


「瑞斗! 泣いてないで、何とか言いな……」

 ピンポーン


 お母さんの言葉を遮るように玄関のチャイムが鳴った。僕に怒っているお母さんは、すぐさま切り替えて「はーい」とお客様をお迎えする明るい声をする。この切り替えはいつも凄いと思う。

 お母さんは玄関を開けると、誰も居なかった。


「……え? ピンポンダッシュ? もう! 何なのよ!」


 そう言ってお母さんは玄関のドアから手を離して、怒って廊下を歩いていった。

 僕は何となくゆっくりと締まるドアをぼんやりと見ていた。ギィと小さな音を立てながら、ドアが閉まろうとした、その時だった。


 バン!


 突然閉まろうとしたドアに手が伸びて掴んできたので、僕は「うわ!」と驚いた。怖くて僕が動けないでいると、ドアは再び開いた。


「やあ、瑞斗君」

「……え? 誰?」

「えー、忘れちゃったの?」


 ドアを開けてきたのは綺麗なお姉さんだった。お母さんよりも若いけど、高校生の従妹よりも年上だ。肩まである真っ黒い髪と一緒に片耳だけ就いているお花のピアスが揺れる。そして真っ黒な大きな瞳を細め、口角を上げてニコニコと笑っている。


「君が呼び出した土人形だよ。あ、泥の化け物って言った方がいいかな?」

「え?」

「あ、そうだ。これ、君の財布。落としちゃったでしょ」


 そう言って僕のお財布をお姉さんは出した。僕は「ありがとう、ございます」と言って、自分の財布を恐る恐る手に取った。お財布はちょっと泥で汚れていた。

 え? 本当に僕が呼び出した土人形? 呼び出した時はドロドロだったのに、今は綺麗なお姉さんになっている。それに僕の名前は財布に書いてあるから分かるけど、どうして僕の住所を知っているのかな? でも泥の化け物が綺麗なお姉さんの土人形になるとは思わなかった。

 不思議に思っているとお姉さんはニコニコと笑って「また来るね」と言って、手を振ってドアを離した。そして今度こそドアが閉まった。

 呆然と僕はもう一回、ドアを開けて外を覗いた。だけどお姉さんどころか、だれも居なかった。


「瑞斗! 何してるの!」

「あ、はい」


 お母さんに大声で呼ばれてドアを閉める。お姉さんのことは黙っていようって思いながら。




***


 泥の化け物、じゃなくて綺麗なお姉さんになっている土人形が家に来た次の日の朝。

 昨日、陽斗がショッピングモールに行きたいと言っていたから、お母さんとお父さんの三人でお出かけだ。


「じゃあ、瑞斗。お留守番していてね。洗濯物は干してあるから乾いたら中に入れて。お願いね」

「僕は行けないの?」


 とりあえず聞いてみるがお父さんもお母さんも嫌そうな顔をして黙っていた。すると陽斗は「お兄ちゃん、無理だよ」と笑って言う。


「だってお兄ちゃん、鈍くさいからレストランでジュースを零すし、迷子になって大泣きするじゃん。今だって一人でのんびりご飯なんて食べているし、宿題も終わっていないでしょ。そんな子、一緒に行きたくないってお父さんが言っていたよ」


 陽斗は「ねえ、そうでしょ」と言うとお父さんは「だよなー」と朗らかに返す。お母さんはちょっと笑っている。

 確かに僕が保育園児の頃はレストランでジュースを零すし、のんびりしているし、迷子もよくやった。

僕がこんな感じだから赤ちゃんの陽斗を見られないと言う事で、小学校上がってからはどこかに行くと言う事になると、僕だけ叔母さん夫婦に預けられていた。でもさすがに僕が三年生になると叔母さんも一緒に連れて行ってあげたら? と言うようになった。すると今度は僕が一人でお留守番をするようになった。

 クスクスと笑う陽斗とお父さんを見て、僕は泣きそうになったが我慢して「じゃあ、行かない」と答えた。

 お母さんは面倒くさそうに話しかけた。


「瑞斗。欲しいものがあったら、買ってくるから」

「……えーっと」

「無いのね。分かった」


 欲しい物なんてパッと思いつかないよ。と言うか、物を選ぶ時ですら時間がかかってお母さんもお父さんもイライラさせるのだ。

 だけど聞きたい事があって僕は「ねえ」と話しかけた。


「外に遊びに行ってもいい?」

「いいけど」

「あと、お昼ごはんには帰ってくる?」

「……はあ。お金を置いていくから、それでコンビニでお昼を買って食べて」


 そう言ってテーブルに千円を置いていった。

 僕がご飯を食べ終えるとお母さんは後片付けして、お父さんと陽斗はゲームをやり始めた。そうして僕がゲーム画面をぼんやりと見ていると、後片付けが終わってお母さんたちが出かける準備して、玄関に向かって行った。


「じゃあ、行ってくるから。瑞斗」

「お兄ちゃん! 行ってきまーす! あ、ゲームはしないでよ」


 お母さんと陽斗はそう言い、お父さんは何にも言わずに外へ出て行き、僕は手を振って送る。そうして玄関のドアがゆっくりと閉まろうとした時だった。


 バン!


 またもやドアを掴む手が現れて開いた。


「久しぶり! 瑞斗君!」

「あ、お姉さん」

「遊びに来たよ!」


 そう言ってお姉さんは勝手に入ってきた。なんか自然に入ってきちゃったけど、お姉さんは知らない人なんだよな。学校で知らない人と関わらないみたいな事を言っていたのを思い出した。誘拐とかされちゃうとか、なんとか言っていたな。

 でも、まあいいかなって思った。どうせ、誰も心配しないよ、僕なんて。


「早速だけどさ、宝探ししない?」

「宝探し?」

「そう。この家にはね、宝物があるの」


 ちょっと得意げに言うお姉さんは可愛らしく首を傾げる。片耳しかついていないピアスがゆらゆらと揺れて、綺麗だなって思った。

 でも宝物があるって言うのは信じられなかった。お城みたいなお家にだったらお宝がいっぱいだろうけど、僕の家はマンションの二階の部屋だ。狭くは無いけど、お宝があるとは思えない。

 だから僕は「宝物なんて無いよ」と言った。するとお姉さんはニヤッと笑って「あるんだよなー、それが」と言った。まるで不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫みたい。


「とりあえず、お家に入れて。お願い」


 お姉さんのお願いに僕は「……どうぞ」と招き入れた。お姉さんは「おっじゃましまーす」と言って靴を脱いだ。



 パタパタと廊下を歩いてお姉さんは「リビングにあったかな?」と言って、リビングに向かった。お父さんと陽斗が片し忘れたゲーム機が置かれてあったので、僕はすぐにお姉さんに注意する。


「あ、あのね、お姉さん。ゲーム機には触っちゃダメ」

「ん? 何で?」

「お父さんと陽斗、弟のゲーム機だから。僕は触っちゃダメなの」

「じゃあ、瑞斗君のゲーム機はあるの?」

「ううん。無いよ。僕はゲームが上手くないから」


 お父さん曰く、僕はゲームが下手らしい。そして負けるとよく泣くらしい。だから一緒にやらせたくないし、やってほしくないと言っていた。僕はゲーム機を触った事すら覚えていないので、どうだったか分からないけど多分そうなのだろう。

 だけどゲームをしないとクラスの友達と話題についていけない。だからお父さんと陽斗がやっている所をぼんやりと眺めて、何とか話しを合わせている。

 お姉さんは眉をひそめて、「ところでさ……」と話しかけた。


「瑞斗君の両親は? あと弟の陽斗君は?」

「三人ともショッピングモールに行っている」

「で、瑞斗君はお留守番?」


 お姉さんの質問に僕は素直に頷いた。するとお姉さんは眉をひそめて一瞬だけ怖い顔になり、僕は恐ろしくなった。

 だがすぐにお姉さんは笑って「うん、リビングには無いな」と笑って、リビングのドアを開けた。


「リビングには無さそうだね。違う部屋に行こうか」

「うん、分かった」


 お姉さんの言葉で僕は廊下に出る。その時、僕は思った。もしかして、お姉さんは僕の家を中を知っている?

 次はお父さんの部屋にお姉さんが入ろうとした時、僕は慌てた。


「ちょっと待って! そこは入らないでってお父さんに言われているの!」

「え? そうなの?」


 僕どころかお母さんも陽斗も入らない。大事な書類とかパソコンとかあるからだ。

 だけど僕がそう説明してもお姉さんはピンと来ないような顔をして、ガチャっと部屋を開ける。思わず、僕は「うわああ!」と声を上げた。


「駄目だよ! お父さん、怒るとものすごく怖いんだよ!」

「じゃあ、瑞斗君は入らないで私だけ入る。これなら大丈夫だよ」

「大丈夫じゃ無いよ!」


 お姉さんは「平気、平気」と軽く笑ってお父さんの部屋に入って行った。

 僕はお父さんの部屋は本当に入った事が無いので、お姉さんが開けたから初めて見た。中は僕の子供部屋と同じように窓辺に机があった。そしてクローゼット、あとなぜかベッドがあった。お父さんはお母さんと同じ寝室で寝ている。どうしてベッドがあるんだろう?

 それとお父さんの部屋のドアを見てみると、カギが付いていた。……あれ? そう言えば、お父さんの部屋っていつもカギがかかっていて入れななかったはず。お姉さんはどうやって開けたんだ? もしかしたカギは壊れていた?

 だがすぐにカギから目を離して、お姉さんの動きを見た。お姉さんはパソコンには目もくれず、床に寝っ転がってベッドの下の隙間を見てみていた。


「瑞斗君、なんか長い物を持ってきて」

「え? 長い物?」


 長い物って何だろう? でも明らかにお姉さんはベッドの下にあるものを取ろうとしている。そう思って僕は自分の部屋に行って、ものさしを持って来た。


「これでいい?」

「ありがとう、丁度いいよ!」


 そう言ってお姉さんはものさしでベッドの下の隙間にものさしを入れて、ガサゴソと何かを取ろうとしていた。

 様々な埃とゴミが出てきた。このままだとお父さんの部屋に入った事を気づかれちゃう! お姉さんを辞めさせなきゃ、と思っているとお姉さんは「あ!」と声を上げた。


「見つけた! 宝物!」

「え? 宝物?」

「うん、ほら」


 僕よりも小さな子供のように嬉しそうに笑って見せてくれた。それはお姉さんが片耳につけている花のピアスだった。

 お姉さんは見つけたピアスをつけていない耳に付けた。両耳に就いたピアスは、揃った事で嬉しそう揺れている気がした。

 そしてお姉さんはものさしで出した埃などのゴミをベッドの下の隙間に戻した。お姉さんは「これでよし」と言って、立ち上がってお父さんの部屋から出た。これでお姉さんが入った形跡は無い、と思う、多分……。

 お姉さんはお父さんの部屋のドアを閉めて「宝探し、終了」と言った。


「ありがとう。宝物を見つける手伝いしてくれて」

「……僕は何もしていないよ」

「でもものさしを貸してくれたじゃない」


 そう言ってお姉さんはものさしを見せて僕に返した。僕はものさしを受け取って、お父さんの部屋のドアを見た。


「じゃあ、瑞斗君。私はダイニングにいるね」

「うん、僕はものさしを部屋に片してくる」


 そう言って僕とお姉さんは別れた。自分の部屋にものさしを置いて、お姉さんのいるダイニングに向かう時、お父さんの部屋が見えた。ドアのカギを見て、確認のため僕はドアを開けようとした。


「あれ? 鍵が閉まっている」


 と言う事はお姉さんがカギが閉めたの? いや、その前にお姉さんはどうやってカギを開けたの? 何者なの? お姉さんって? 疑問が頭の中でいっぱいになったが、すぐにお姉さんのいるダイニングへと行く。

 うちはリビングとダイニングの間に襖があり、いつも閉めている。昔は閉めないで開けっ放しにしていたけど陽斗がリビングでゲームをしながら、ご飯が食べたいと言い出したのでお母さんが怒って「ずっと閉めておく」と怒ったのだ。

 リビングに入って襖を開けるとお姉さんがテーブルを眺めていた。


「お待たせ、お姉さん。立っていないで椅子に座って」

「あら、ありがとう」

「僕、麦茶を持ってくるから」


 僕はダイニングにあるキッチンに行き麦茶を用意する。そしてお姉さんに聞く質問を考えた。チラッとお姉さんを見るとお母さんがいつも使っている椅子に座って頬杖をついていた。どこかずっとこの席にいたんじゃないかってちょっと思えてきた。

 麦茶をお姉さんの所に置いて、僕は真向かいに座った。


「ねえ、お姉さん。お姉さんって何者?」


 僕が恐る恐る聞くとお姉さんは麦茶を眺めながら、「ん? 土人形だよ」と普通に答えた。ふざけた答えを言っているなって思った。でも昔から陽斗からお父さんから、馬鹿にされたり茶化したりしているから慣れているので「そうなんだー」と返した。

 するとお姉さんは口をへの字に曲げて「あ、信じていないなー」と言った。


「瑞斗君が呼び出したんだよ。あの池で土人形のおまじないをしたじゃない」

「……したけど。どうやって土人形になったの?」

「瑞斗君が行っちゃった後、人間の形になって太陽の下で乾かして出来たの」

「……じゃあ、土人形である証拠を見せてよ」

「見せたいけど、見せられないなー。だって恐ろしいもの」


 お姉さんの答えに僕は自然と口を曲げてしまう。そんな僕にお姉さんは馬鹿にしたように笑わないで、困ったような顔をした。


「ごめんね、本当に怖い姿なんだよ」

「……ふうん」

「お詫びにお姉さんが夏休みの宿題を手伝ってあげる」

「え? 本当!」


 パッと僕は顔を上げると、お姉さんはニコニコと笑いながら「もちろん」と言って首を傾げる。両耳についた花のピアスがキラキラと光って揺れる。

 早速、僕は終わっていない夏休みのドリルを持って来た。作文とか工作とかポスターとかは全部終わった。でも五教科の問題を解くドリルはまだ半分も終わっていない。

 でもパラパラとドリルを見るお姉さんは「えー、結構終わってんじゃん」と言った。


「でも分からない所が多くて」

「じゃあ、お姉さんが教えてあげる」


 こうしてお姉さんが見ている中でドリルを解いていった。

 お姉さんの教え方は上手かった。スイスイと解けてドリルの答えが埋まってきて、僕はとっても嬉しかった。ただ家で誰かに問題を解説してもらうと言うのはあまり無いなって思った。お母さんもお父さんも僕が宿題について聞いても、今忙しいって言って教えてくれない。


「ねえ、瑞斗君ってさー、寂しくない?」


 夏休みのドリルが全部終わるとお姉さんがポツリと僕にそう聞いてきた。僕は「何が?」と聞くとお姉さんは目を細めて悲しそうな顔になった。


「だってさ、家族でお出かけなのに一人でお留守番なんて」

「僕が鈍くさいから一緒に行きたくないんだって。僕が居なければ、みんな楽しくお出かけ出来るんだと思う」

「えー、でも私は瑞斗君と一緒でも楽しいよ」


 お姉さんはニコニコと笑って言い、僕はちょっと恥ずかしくなった。こんな嬉しそうに楽しいよって言ってくれるなんて、ほとんど無いから。

 お姉さんの顔を見れずに、目を逸らすとお姉さんに渡した麦茶が目に入った。水滴がいっぱい付いたコップは一口も飲んでいない。


「ねえ、お姉さん。麦茶、飲まないの?」

「あ、うん。だって飲んだら溶けちゃうじゃない」


 お姉さんはいたずらっぽい表情を浮かべて、更に言った。


「私は土人形なんだから」


 くすっと笑いお姉さんは肩をすくめる。

また僕をからかっていると思いちょっとムッとなっていると、遠くでチャイムの音が聞こえてきた。


「あ、お昼のチャイムだ」

「お昼ご飯、どうする? 瑞斗君」

「コンビニに行く」


 お姉さんも行く? って聞く前に、お姉さんは「私も一緒に行く!」と言って立ち上がった。




***


 コンビニまで歩いて五分くらいだ。でも外に出るのは、ものすごく暑いから億劫だ。

 お姉さんを見ると暑そうな感じはしない。何だか涼しい顔をしている。


「お姉さん、暑くない?」

「うん、土人形だからね」


 なんだが本当にお姉さんが土人形じゃ無いのかな? って思えてきた。だって汗をかかないし。

 歩いていると冷たい風が吹いてきた。


「あー、涼しい」

「もしかしたら、遠くで雨が降っているのかな?」


 遠い目をしながらお姉さんはそう言った。何だか、泣きそうな顔をしている。

 

「お姉さん、大丈夫?」

「ん? 何で?」

「辛い顔をしているから」

「ああ、大丈夫だよ。だけどほら、雨に当たったら土人形は溶けちゃうでしょ」


 いたずらっぽく言っているけど、もしかしたら本当にお姉さんって僕が池で呼び出した土人形なのかもしれないって思い始めた。

 コンビニについたら僕の好きなホイップクリーム入りのメロンパンとコーヒー牛乳を手に取った。


「ねえ、お姉さん。何か食べる?」


 宿題を教えてもらったから、何かあげようと思ってお姉さんに聞くと首を振って「いらないよ」と言った。


「でもお願い、聞いてくれる?」

「何?」

「公園の池に行って欲しいんだ」



 コンビニを出て僕らは公園に向かった。歩いていると冷たい風が吹いて、遠くには大きな雲も見えた。

 お姉さんが小さく「夕立が降るかな」と呟くのが聞こえてきた。

 公園に到着すると噴水の近くで水遊びをしている子たちが見えた。僕が「気持ちよさそうだね」と言うと、お姉さんは「いいなあ、羨ましいな」と言った。


「土人形でも水遊びがしたいの?」

「したいよー。冷たくて気持ちよさそうだもの。でも無理。溶けちゃうもん」

「溶けちゃうけど、やりたいんだ」

「そうよ。無茶をするって意味で、土人形の水遊びって言う諺があるくらいなんだから。きっと他の土人形も水遊びがしたいのよ」

「本当に?」


 ちょっと拗ねた感じでお姉さんは言い、僕はちょっと笑った。

 そして池がある林の道へと入って行った。


「ねえ、瑞斗君。あのさ……」


 さわさわと木々が揺れる音でお姉さんの言葉が聞き取れなかった。僕は「何? もう一回言って?」と言って、お姉さんの顔を見る。

 木漏れ日に照らされたお姉さんはごっそりと感情が消えたような無表情な顔になっていた。そしていつの間にかお姉さんは僕の手を握っている。


「さみしい?」

「え?」

「家族から鈍くさいから一緒にいたくないって言われて一人でいるのは」


 何だか恐ろしい気持ちになったけど、僕は正直に「うん」と返事をする。するとお姉さんも僕を覗き込みながら笑って「私もだよ」と言った。


「さみしいよね、一人って。心がきゅうっと痛いくらい縮まっちゃって。泣きたいけど、誰も分からなくて」

「……」

「私ね、好きな人がいたの。でもね、その人、ものすごく嘘つきだったの。一緒になろうねって約束したのに出来ないし、愛しているって言っていたのに、突然本当は嫌いだったって言うし、無視するし、それでも話しかけたらしつこいって言われるし、泣いているとウザいって言われるし……」

「……」

「本当に大好きだった。でもね大嫌いって言われた瞬間、生きている意味なんて無いって思って……」


 ギュウっと僕の手を強く握る。ちょっと痛いけど僕は何にも言わず、お姉さんの顔をジッと見ていた。泣いているお姉さんの話しを聞いていた。

 そして林の道を抜けて、池に着いた。誰もおらず深緑色に濁っている池。その周りには柵と雑草があった。


「お姉さんもさみしいんだ」

「そうなの?」

「うん。お揃いだね」


 お姉さんはニコニコと笑って僕を見る。ゆらゆらと花のピアスが揺れてお姉さんに似合っているなって思った。


 だが耳にあったピアスが下に落ちた。

いや、泥になって耳ごと落ちている。


 これに僕は思わず「ひぃ」と小さな悲鳴が出た。思わず逃げようとしたが、お姉さんに手を握られていたし、その前に動けなかった。


「ねえ、瑞斗君」

「……」

「さびしいんだったら、お姉さんと一緒に泥になろ」


 そう言った瞬間、お姉さんの顔半分がドロッと溶けた。肌色から茶色の泥になって、ぼとぼとっと地面に落ちていった。

 本当にお姉さんは土人形なんだ。いや、池の泥から生まれてきたんだ……。


「行こう」


 お姉さんが僕の手を引いて池の方へと向かおうとした。

 僕は恐ろしくなって悲鳴を上げた。手を振り払って「嫌だ!」と言って後ずさりをして逃げようとした。

 でも足がもつれて転んでしまった。


「瑞斗君?」


 お姉さんが呼びかけて近づいてくると僕は「……ごめんなさい」と言ってボロボロと涙が出た。泥で溶けていくお姉さんが怖いからなのか、お姉さんと一緒に泥になるのが嫌なのか理由は分からないけど。僕は俯いて泣き出してしまった。


「ごめんね、怖いよね、嫌だよね」


 お姉さんは悲しそうに言った。

 しばらく泣いていたがお姉さんの声が聞こえなくなり、思い切って顔を上げた。だけどお姉さんのいた場所に泥が積みあがっているだけで、誰も居なかった。


「あ、お姉さん」


 その時、ポタっと冷たいものが当たった。それを皮切りにザーッと雨が降ってきた。コンクリートを濡らして、池は大量の雨を受け止めている。

 お姉さんのいた場所の泥も溶けていき、広がっていく。やがて無くなってしまう。そう思った瞬間、ものすごく悲しくなってきた。

 もう一度、「お姉さん」と呟いて雨の中、僕は泣いた。




***


 雨の中をトボトボと帰ったため、服も買ったパンなどのが入ったビニール袋はビショビショに濡れてしまった。靴も歩くたびにグチョグチョと音を立てて、気持ちは良くない。

 お姉さんが消えて、ものすごく悲しい気持ちと心が欠けてしまって寂しい気持ちが募った。

 そんな気持ちを抱えながらマンションについて、自分の家に着いた。お父さんとお母さんと陽斗は帰っているのかな? ってちょっと不安になった。


「あ、帰ってきた。ねえ、お兄ちゃん! ゲームをやったでしょ! ゲーム機が出しっぱなしだもん!」

「瑞斗! ねえ、お母さんさ、洗濯物を干しているって言ったでしょ。何で取り込んでくれないのよ!」


 僕がただいまって言う前にお母さんと陽斗が矢継ぎ早に色々と言っていた。嫌な予感が的中したが、お姉さんが居なくなったことが悲しくて、そこまでショックじゃない。

 靴を脱がないで玄関の所で僕はぼんやりと聞いていたけど、何にも答えられない。ゲームなんてやっていないし、出しっぱなしにしたのは陽斗とお父さんだ。洗濯物はごめんなさい。昼ご飯を買いに行っていたから……。

 言おうとしている言葉が頭にあるのに口に出せない。


「おい、瑞斗。何とか言えよ」


 黙っているとお父さんがやってきて、なんかイライラしながら言ってきた。


「お前は本当にグズだな。小さい頃からずっと泣いてばっかりで。夜泣きで夜中は起こして、泣いたからどうしたって聞いても何も答えられないし、本当にイライラする。お前が居なければ、三人で完璧で理想な家族だったのに。お前のせいで台無しだよ! お前なんか生まれてこなければよかった!」


 さすがにお父さんの言葉を聞いて悲しくなってきた。生まれてこなければよかったって言われるくらいなら、お姉さんと一緒に泥になっていれば良かった。

 お父さんが「おい、何とか言えよ!」と言って僕の頭を叩く。思わずよろめいて、横に倒れてしまった。そう言えば、初めてお父さんに叩かれた。


 ピンポーン。


 玄関のチャイムが鳴った。

 お父さんは舌打ちを打って、転んでいる僕を「邪魔だ」と言って玄関のドアを開いた。


「はーい、……え? 誰もいない?」

「はあ、また? 昨日もピンポンダッシュしてきた奴がいたのよ」


 うんざりしたようにお母さんは言い、お父さんはまた舌打ちを打って「何なんだよ」と怒って乱暴にドアを閉めようとした。


 バン!


 大きな音を立てて、お父さんが閉めようとしたドアに見慣れた手が見えた。


「え? 何なんだ?」


 ドアを掴む手は力ずくでこじ開けて、お姉さんが見えて入ってきた。

 お母さんと陽斗は「あなた! 非常識よ!」「え? 誰?」とパニックになっていた。一方、お父さんは顔が真っ青になって「お前……」と呟いた。

 お姉さんは髪とピアスを大きく揺らして「テメー!」と怒鳴り、お父さんに掴みかかった。


「お前! よくも大嘘ついたな! 本当は子供もいるし妊娠している奥さんもいたくせに! 私に独身と偽って付き合った挙句、結婚しようねって戯言をよくも吐けたな! そして別れる時に子供二人を大事にしたいとか言っていたくせに、ネグレクトみたいなことをしているし、暴力振るって!」


 叫びながらお姉さんはお父さんの胸ぐらを掴む。お母さんと陽斗は目を丸くして、お父さんは震えて、「え? ……いや、その」と呟いていた。

 戸惑っている僕の家族をよそにお姉さんの怒涛の叫びは続く。


「テメー、途中で実は結婚していて妊娠していた奥さんと子供は実家にいるから、この家に招き入れたよな。私もバカだったよ。不倫しているって分かっているのに、この家に行っちゃったんだから! そしてテメーは罪悪感も一切なく、奥さんも子供も居なくて寂しいんだーとかほざいていたな! おい!」

「……」

「それで奥さんと子供が帰ってきたら、私を無視するようになったな! 話しかけたら舌打ちを打ってしつこいとか言うし、泣いたらウザいって言うし! 子供が出来たって報告したら、お前のこと本当は面倒くさくて嫌いだったって言うし!」

「……」

「結局、お前は自分に都合の良い人間しか好きにならないんだよ! え? 妊娠している子供が可愛いから、とか職場で言って家族を大事にしてます、みたいな事をほざいていたな! でも最初の子供が赤ちゃんの時は、夜泣きがうるさいから避難させてって言って私の部屋の前でぼやいていたな! そして私の子供はおろせって言って……」

「何なんだよ! お前は!」


 恐怖で見開いていたお父さんはお姉さんを突き飛ばす。とっさに僕はお姉さんを支えるため、抱きしめた。その時、お姉さんの重さが無い事に気づいて、足をチラッと見た。


 足が無くなり、大量の泥の塊が玄関に広がっていた。


 ひっと小さな悲鳴が聞こえ、そちらに目を向けるとお父さんの両手が泥だらけになっていた。お母さんも目を見開いてお姉さんを見ていた。

 一瞬だけ静かになったと思ったら、陽斗が「うわあああ! 化け物!」と言って大泣きした。それを皮切りにお母さんは陽斗を抱っこして逃げていき、お父さんもひきつった顔でお姉さんを見て、そして逃げた。

 お父さんとお母さん、陽斗が玄関から遠いリビングへと逃げていくのを僕はぼんやりと見て、お姉さんを見た。


「お姉さん、大丈夫?」


 言ったはいいけど、大丈夫? って言える状態じゃ無いなと思った。お姉さんの足どころか腕も泥になって玄関に広がっている。

 お姉さんは僕を見て「ううん、もう駄目だね」と言った。


「土人形だから水に触れたら泥になるからね。私、さっき雨に濡れたからドロドロに溶けちゃった……」

「早く乾かさないと!」

「もういいよ」


 そう言ってお姉さんがどんどんと体が崩れてきた。思わず僕は抱きしめてお姉さんが壊れないようにした。

 お姉さんは僕の肩に顎を乗せて、耳元で「優しいね」と言った。


「私、君を池に引きずり込んで泥にしようとした化け物だよ」

「……僕、お姉さんと一緒に泥になる」


 だって、このままお姉さんが消えていくのがあまりにも悲しいから……。そう決意したけど、お姉さんは「駄目だよ」呟く。


「あいつと私の言葉を真に受けないで。この世界にいい事なんてあまり無いけど、泥になってもいいこと無いんだから」

「でも、お姉さんが消えていくのは嫌だ」


 俺の気持ちに反してお姉さんの体はどんどんと溶けていき、玄関の床に落ちていく。僕の肩に乗せた顎も泥になって濡れている事に気が付いた。このままだとお姉さんが消えちゃうって思うとまた泣きたくなった。

 するとお姉さんは「泣かないで」と呟く。


「私、生まれ変わって君の所に現れるよ」

「え?」

「でも私、君や弟君、お母さんに酷いことをしたから、きっと人間には生まれ変われないな。動物とか植物に生まれ変わると思う。だから探して、生まれ変わった私を……」


 そう言ってお姉さんは僕の腕の中で溶けていった。玄関の床は泥の水たまりが広がって、お母さんのサンダルや弟の小さな靴、お父さんの革靴も汚していた。そして僕も全身が泥だらけだった。

 ふと泥の水たまりの中にキラキラ光る物が見えた。拾ってみるとお姉さんがつけていた花のピアスだった。僕はピアスを握る。


「おい、瑞斗」


 ドアが開く音と一緒にお父さんの声が聞こえてきた。振り向くとお父さんがこちらに近づいてくる。

恐る恐る僕に近づいて「……あいつは?」と聞いた。僕は何となく思いついた言葉を言った。


「ねえ、お父さん。お姉さんと浮気していたの?」


 そう言った瞬間、お父さんは目を見開き驚いた表情をしたが、すぐに眉間にしわを入れて僕を殴った。お父さんに殴られるの二回目だ……と思うと僕の目の前は真っ暗になった。




***

 お姉さんが泥になった後、時間が早回しになったように過ぎていった。


 お姉さんが居なくなってお父さんに殴られた後、気が付いたら僕は入院をしていた。お母さんは気を失って全然起きなかったから救急車を呼んだと言っていた。入院中、お母さんは優しかった気がする。そして看護師さんとお医者さんから「お父さんとお母さんに酷い事されていない?」と聞かれた。正直に答えたら大変な事になりそうと思って「無いです」と答えた。

 ただの風邪だったから数日で退院したけど、僕は叔母さんの家に住むことになった。理由は何にも言ってくれなかったけど、完璧で理想の家族にしたいから、僕を叔母さんの家に預けたんだろうなって思った。

 叔母さんの家から小学校までは少し遠いけど、通えない距離じゃ無いので転校することは無かった。でもお父さんとお母さん、陽斗は引っ越しして別の場所で生活をする事になった。

 これで三人が幸せに暮らしているだろうな……と思っていた。




 お母さんと陽斗と再会したのは、僕が小学六年生のゴールデンウイーク初日だった。

 その日は叔母さんから「ファミレスに行かない?」と言われた。


「お母さんが会いたいって」


 何でだろう? と思ったけど、とりあえず僕は「行きます」と言って叔母さんと一緒にファミレスに向かった。

 ファミレスではお母さんと陽斗がすでに居た。お母さんは暗い顔で俯いて、陽斗は無表情でずっとゲームをしていた。

 とりあえずメニューを注文して、ドリンクバーで飲み物を持ってくるとお母さんは叔母さんに「陽斗を預かってほしい」と言ってきた。これには叔母さんも「はあ?」と言った。


「もう無理だから」

「何それ? どういう事?」

「だから、もう、無理なのよ!」


 そう言ってお母さんは泣き出してしまった。泣いているのに陽斗はチラッと見ただけでゲームを辞めなかった。

 叔母さんは辛抱強く理由を聞いてみると、もう修復不能なくらい家族が壊れたとお母さんは言い、理由を話した。

 何でも僕を叔母さんに預けて引っ越した後、しばらくは楽しく暮らしていたという。だけどお父さんが異常なくらい潔癖症になってしまい、汚れに敏感になってしまった。一日何回も手を洗ったり、ずっと掃除を始めたり、ちょっと汚しただけで怒鳴ったりするらしい。

 日に日に悪化してついには汚れたくないからと家に引きこもってしまった。病院に連れて言ったらいくつかの病名を言われて薬をもらっていると言う。そして今、お父さんは実家で暮らして、外に出れず仕事もしていないようだ。

 じゃあ、お母さんと陽斗はお父さんの実家で暮らしているのか? と思ったが、どうやら違って、二人だけで暮らしていると言う。

 でも陽斗がお父さんがおかしくなる前、陽斗は小学校に入学したのだが、ほとんど通っていないらしい。行かない理由は外に出たら汚れるからだと言う。家に閉じこもってゲームばかりやっているらしい。

 どうにか外に出させようとしたが陽斗は汚れたくない、汚れたら怒るじゃん、と言って聞かないと言う。

 もう嫌になっちゃったから、陽斗を叔母さんの所に預けたいとお願いしてきたのだ。


「ねえ、あんた達の子育てってどうなっているの?」


 叔母さんは怒りながら話す。


「瑞斗を預けた時、私は家族なのに一緒に住まないってどういう事? って聞いたら、瑞斗は育てにくいからって言っていたでしょ。よく泣くし、のんびりしているからって。それに比べて陽斗はすごく育てやすいから三人で過ごした方が幸せって。それなのに今度は陽斗がおかしいから私の所に預けるの? 幸せになれないから育てにくいから私の所に預けるって、無責任じゃないの? と言うか、瑞斗が育てにくいからって言うのも意味わからない。確かにさ、赤ちゃんの時は夜泣きが大変だったと思うよ。人見知りが激しくて、神経質でよく泣いていたし。でもさ、それでもちゃんと見るのが親じゃ無いの? しかも瑞斗を預かった時、育てにくいってあんたは言っていたけど全然大人しいよ。今だってそう。小学校に通っていた頃の息子の方が生意気でふざけていて大変だったんだよ。でも瑞斗は……」


 怒涛の勢いで叔母さんは話していたがお母さんは聞いていないようで僕の方を見て「ねえ、瑞斗」と声をかけた。


「何で他人みたいにしているの?」

「……え?」

「いつだって私が泣いていたら、どうしたの? って声をかけてきたじゃん」


 突然、声をかけられて慌てたが、とりあえず僕は「どうしたの?」と聞いた。だがお母さんはテーブルに突っ伏して泣き出した。そして「何で私を他人みたいに見るのよ」と呟く。


「もう辛いよ。お父さんに不倫について問い詰めても、頭がおかしくなったから何言っても理解不能だし、陽斗はずっとゲームをしていて私の話しなんて一切聞かないし。もう瑞斗くらいしか私の話しを聞いてくれないのに……」


 本当にどうしよう……と思って叔母さんの方を見る。叔母さんも呆れた顔をして首を振っていた。

 こんなに大騒ぎしているのに陽斗はずっとゲームをしていた。多分、ゲームの世界に逃げているんじゃないのかな? って思う。




 叔母さんが、お母さんと二人で話すから……と言って僕と陽斗にお金を渡した。陽斗は外に出るのかと思ったら素直に出た。多分汚れじゃ無くてお母さんの顔色を窺っているんだと思う。

お金を財布に入れて僕らはファミレスから出た。陽斗は不機嫌そうに「どこに行くの?」と聞いてきた。


「公園に行こうかな」

「ゲームは出来る?」

「やろうと思えば」


 陽斗は「じゃあ、そこで」と言ったので、公園に行く事にした。

 ゴールデンウイークだから公園も混んでいるかな? って思ったが、そこまで居なかった。みんな、遠くに遊びに行っているのだろうな。

 

 陽斗は屋根のあるベンチを見つけて座り、そこでゲームを始めた。僕は最近、公園に住み着いている地域猫を触ったり、花壇の花を見る。

 そして立ち入り禁止のあの林の道の方へ入ろうとした時、「待って!」と陽斗がやってきた。


「そっちは立ち入り禁止じゃん」

「でも行く」

「あそこ、お母さんが言っていたけど、女の人が死んでいたんだって」

「うん、知っている」


 お姉さんが消えた後、あの池で女性が死んでいるのが公園を整備している人が発見した。だけど死んで何年も経っていたらしい。

 立ち入り禁止ではあったものの、あの公園の池の掃除や整備していたのにどうして今になって発見されたのか? 僕のクラスでも怪談話のように話していた。

 でも僕は今になって発見された理由を何となく分かる気がした。きっとお姉さんだ。多分、言いたい事を全部言えたから、みんなに発見してもらえるようにしたんじゃないかって思っている。だから僕は泥の中で見つけたピアスを池の近くに埋めた。

 さて僕は立ち入り禁止の道に入って何をするかと言うと、お姉さんを探している。不倫したお姉さんは動物や植物になっているって言っていたから自分で探さないといけない。

 正直に言って、どれがお姉さんなのか見分けがつかない。でもどこかにいる。さっき触れていた地域猫かもしれない。花壇にいたパンジーかもしれない。そう思って僕は探している。


「待って! 俺も行く!」


 陽斗がそう言って走ってきた。いつの間にか陽斗は【僕】から【俺】ってなっている事に気が付いた。それから少し大きくなったけど、あまり喋らなくなったなって思った。

 でも二年も離れていたけど、あまり変わっていない気がした。

 黙って一緒に林の中の道を歩いていると、池が見えると陽斗が「うわあ」と声を上げた。


 池の中から真っすぐに伸びたアヤメがたくさん咲いていた。紫の綺麗なアヤメで、お姉さんがつけていたピアスにも似ていた。

 もしかしたら、このアヤメの中にもお姉さんがいるかもしれない。

 そう思っている。






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