王妃の招き――“結婚”への遠い道
王都滞在が長引いたある日、アレクシスから「母上がお前に会いたいと言っている」と連絡が入った。
母上――つまり、この国の王妃であり、アレクシスの実母にあたる人物だ。前世の知識では、ゲーム内であまり表に出てこなかったキャラだが、実際にはかなり政治力を持っているらしい。
私は少し緊張する。王妃に会うということは、すなわち“後継者の婚約者”としての素質を直接見極められる可能性があるからだ。
「いや、そんなに畏まらないでいい。母はお前に好意的だと思うぞ。……子どもの頃、セレナを見たことがあるらしいが、印象が良かったとか言っていた」
アレクシスが軽く言うが、心は落ち着かない。公爵令嬢とはいえ、王妃に認められるのは容易なことではないだろう。
指定された日、王宮の奥にある私室へアレクシスと共に通された。そこは壮麗な調度品に囲まれながらも、どこか優美で柔らかな空気が漂っている。
やがて奥の部屋からドレス姿の王妃が姿を現した。優雅に髪を結い上げ、その瞳には知的な光が宿っている。人の良さそうな微笑みを浮かべながら、私を観察するように視線を走らせた。
「ようこそ、セレナ。私のほうから指名してしまってごめんなさいね。でも、あなたに会いたかったの。……ずっと昔、アレクシスが幼いころに、あなたと少しだけ遊んだことがあったのよ。それ以来かしら、きちんと顔を合わせるのは」
王妃の言葉を聞き、私は記憶を探る。幼少期のセレナが王宮を訪れたことがあったのかもしれないが、転生の影響で断片的にしか覚えていない。
「もしかすると……子どもの頃のことはあまり記憶がなくて。失礼をお許しください。ですが、改めてお目にかかれて光栄です、王妃陛下」
深く礼をすると、王妃はおっとりした笑みで頷く。
「礼儀正しいのね。……アレクシスからは色々聞いているわ。あなたが学園で苦労されたとか、悪役令嬢などと噂されたけど、実際は聡明な娘さんだとか。王子の婚約者として相応しいと私は思うわ。――ただ、正式な手続きとなると、まだ先のことになるのよ」
「はい、それは承知しております」
実際、私とアレクシスの婚約強化はあくまで“公爵家と王家の内々の合意”にすぎない。正式に“王太子妃”として公に認められるには、多くの手続きを経なければならないし、派閥の問題もある。
王妃はそんな私の内心を察したかのように、静かに言葉を重ねる。
「あなた方が結婚するには、少なくともアレクシスが正式に‘次期国王’として定まる必要があるわ。今はまだ、王位継承を争う動きはないけれど、王族や貴族の意見調整も必要なの。……すぐに‘王子の婚約者’と大々的に発表する段階ではないこと、理解いただけるかしら?」
もちろん、わかっている。私は素直に頷く。リリィとの一件で生じたスキャンダルもあるし、すぐに結婚を決めるのは難しいということだ。
「はい、重々承知しております。私は学園の卒業まで、アレクシス様を支えながら自分なりに勉強を続けたいと思っております。……それが終わって、ようやく結婚の話が進むのだと理解しています」
その返答に、王妃は満足そうに笑みを深める。
「ええ、素敵ね。アレクシスも良いお相手を見つけたのだと、母として誇りに思うわ。……ただ、あなたが‘リリィの騒動に巻き込まれた’という風評をどう乗り越えるかは、これからの課題になるでしょう。私も協力は惜しまないけれど、覚悟はしておいてね」
「はい……ありがとう、ございます」
礼を述べながら、私は内心少し緊張していた。やはり“リリィ事件”は完全に解決したわけではなく、私に対して少なからず影を落としている。王妃ですら、私の支援はしてくれるものの、全力で庇えるかは未知数なのだ。
「わかりました。私なりに、精一杯努めます。……殿下にもご迷惑をかけぬよう、注意いたします」
謙虚に返事をすると、王妃は穏やかに頷き、「それでいいのよ」と優しい目を向ける。
アレクシスは隣で静かに口を開く。
「母上、セレナは何も間違っていない。今のままでも充分、俺の隣にふさわしい女性だ。……もちろん、我が家の事情を考慮して急がずにいきますが、俺たちの婚約を認めてくださるなら、どうか温かく見守っていてください」
「ええ、もちろん。あなたの幸せが、母としては何より大切だから。……よろしくね、セレナ」
王妃が微笑んだのを見て、私はほっと息をつく。――母后の了承は得られたのだろう。正式な婚姻には時間がかかるけれど、少なくとも“結婚に反対”というわけではないとわかり、胸のつかえが取れた気がする。
こうして、王妃との対面は穏やかに終わる。
リリィが崩れ去った今、“聖女”というカードはなくなったが、代わりに“公爵令嬢セレナ”として私を全面に出す路線へ王家が舵を切った――そう感じられる面会だった。
ちょっと前まで悪役令嬢などと言われた私が、王家のキーパーソンになる日が来るなんて、転生後の自分を振り返っても信じがたい変化だ。
(……大丈夫。リリィが欠けた穴も、私たちなら埋められる。学園でも王都でも、アレクシスと支え合っていけば、きっと素晴らしい未来が待っている。もう、誰に遠慮することもない)
そう心に刻みつけ、私は王妃の部屋を後にする。アレクシスと並んで廊下を歩けば、彼が安堵したように「よくやった」と肩を叩いてくれる。その優しい手のひらに、いつか完全に身を委ねられる日が来るのだろうか――そう思うと胸が温かくなるのを感じた。
 




