王都に滞在するセレナ――噂と期待の狭間で
リリィに関する“秘密の証言”を終えたあと、アレクシスの提案で「よければ数日ほど王都に滞在していったらどうだ?」と勧められた。
私は一度学園へ戻る予定だったが、王都の公爵家屋敷(私の実家)があるので、そこに顔を出さなければならない。さらにアレクシスとの“婚約強化”を一部貴族に知らせる必要もあり、結果的に2~3日は王都に留まることにしたのだ。
――王都は大きく、活気に満ちている。古い街並みと新しい建物が混在し、商業や文化、政治の中心地として栄えている場所だ。私はしばらく王宮に近い公爵邸で過ごしながら、アレクシスの母后に挨拶したり、各種行事に顔を出したりと、いつになく忙しい日々を送ることになる。
「セレナ、さすがに疲れてないか? ここ数日は連日お茶会やら晩餐会やらに呼ばれてばかりだろう」
ある日の午前中、アレクシスが私の公爵邸を訪ねてきて、労わるように声をかける。私は疲れもあるが、それ以上に嬉しさも大きく、微笑を返した。
「少しは疲れたけど、学園より刺激的かも。あなたや私に対して、貴族たちがどう反応するのか興味深いわ」
今までは悪役令嬢として蔑まれていた時期もあったけれど、今は「殿下の婚約者」という肩書を得ているので、どの貴族も私にやたら敬意を払ってくる。私にこびへつらうタイプもいれば、腹の底では恨んでいる者もいるかもしれない。
王都には王都の事情がある。例えば、王位継承争いに絡む派閥があり、私とアレクシスの婚約に反発する声もあるだろう。表向き笑顔でも、裏では手ぐすね引いている輩もいるかもしれない。
「やっぱり、リリィを推していた派閥もあったのよね? その人たちの動きはどうなるのかしら」
私が疑問を口にすると、アレクシスは渋い顔をする。
「そうだな……いずれ彼らは形を変えて俺に反発してくるかもしれない。だが、リリィの件が失敗に終わった以上、彼らには有力なカードがない。むしろ、そろそろ別の手段に移るだろう」
リリィが王子の心を奪う“平民聖女”というシナリオは崩壊した。今後はもっと直接的な政治工作を仕掛けてくる可能性があるわけだ。
考えただけで頭が痛くなるが……確かに、まだ落ち着けない。アレクシスの立場が確固たるものになるまで、王家の内部事情と派閥問題に巻き込まれるのは避けられないのだ。
(でも、私はもう逃げない。アレクシスを助けると決めたんだから……)
そう決意を固めた矢先、廊下から執事の声が聞こえる。「セレナ様、呼び鈴が鳴っております。急ぎの来客とのことで……」
私はアレクシスと顔を見合わせ、少しだけ戸惑いながら応接室へ向かう。最近、急な来客が多い――きっと私や王子との関係を確かめに来る貴族も少なくないのだろう。
ところが、扉を開けると、意外な人物が座っていた。
「お久しぶりですわ、セレナ・ルクレール様……そして殿下」
甘ったるい声。妙に派手なドレスをまとった中年女性が、扇子を胸元で振りながらこちらを見つめている。――私の記憶では、確か“ジャクリーン・ラトリエ伯爵夫人”だ。
噂好きで有名な彼女は、王都の社交界でもゴシップをかき集めては広めることで知られた人物。あまり好きではないタイプだが、こうして堂々と訪ねてくるということは、何か確かな意図があるのだろう。
「ジャクリーン夫人、ご無沙汰しております。わざわざお越しいただくなんて、何かご用事でも?」
私が丁寧に問いかけると、彼女は満面の作り笑いを浮かべたまま答える。
「ええ、実はリリィ・エトワール嬢の一件で、少々気になる話を耳にしましてね。……そちらに関して、セレナ様や殿下はどうお考えなのか確認したく、つい押しかけてしまいましたの」
穏やかに見えるが、その瞳には明らかな好奇心と奸計の色が混じっている。おそらく、リリィが何らかの裏情報を持ち出したとか、あるいは彼女を擁護する派閥が夫人に連絡を取ったとか――そういう可能性が考えられる。
アレクシスが口を挟む前に、私はあえて淡々とした口調で応じる。
「リリィ・エトワール嬢の件は、王家がすでに対応方針を固めています。もはや学園に戻ることはありませんわ。……それ以上は、公の場でお話しできることはございません」
そう突き放し気味に言うと、ジャクリーン夫人は扇子の陰で小さく笑う。
「まあまあ、そんなに怖いお顔なさらずに。私も噂を確かめたいだけですの。リリィ嬢が‘本当は殿下と心を通わせていたが、セレナ様が邪魔をしたために禁術を使わざるを得なかった’とか言う話、巷に出回ってますのよ?」
思わず唇が震える。まさにリリィ派の最後の悪あがきか、あるいはリリィ本人が王都に何か連絡を送ったのかもしれない。
アレクシスが少し声を荒げかけたのを、私は横で制し、「それはまったくのデマですよ。殿下とリリィは‘心を通わせていた’わけではありません」と強い調子で一蹴する。
「まあ、そうなのですか。けれど、あのリリィ嬢が乙女の純情を抱いていたのは事実でしょう? 学園でもいろいろ噂がありましたもの。それをセレナ様が、強引に立場を奪った結果、彼女が絶望した……という筋書きも、なくはないと思いません?」
「……私が何をしたと言うのですか?」
「さあ、それを確かめに来たのです。私も好奇心旺盛ですので、真実を知りたくて……」
露骨な挑発。私は心の内で苛立ちを抑えながら、あくまで冷静を装う。リリィが使った禁術の危険性、あるいは学園祭での暴走を考えれば、そんなロマンチックなエピソードでは到底説明できない事態だったのに、こうしてゴシップ好きの貴族は面白おかしく騒ぎ立てるわけだ。
アレクシスが息をついて口を開く。
「ラトリエ夫人。お前は知りたいのか、事実かどうかを。それなら俺がはっきり断言しよう。……リリィが聖女という名目で俺に近づいたのは事実だが、俺は最初からセレナしか見ていない。それに、リリィの行動は本人の意志であり、セレナの介入など関係ない」
夫人はわずかに目を丸くし、扇子をバタバタ振りながら「まぁまぁ」と呟く。
アレクシスの断言は重い。王子がここまで明確に否定するなら、疑う余地はないはずだ。ジャクリーン夫人も、それ以上追及する理由を失っているように見える。
「殿下がそこまで断言なさるのなら、私も変な噂を吹聴しているわけにはいきませんわね。……おほほ、お騒がせいたしました。では、あまり長居しても悪いですし、そろそろ失礼させていただきますわ」
スカートを翻し、夫人は優雅に退室していった。――彼女の言動から察するに、あの手の陰湿な噂はまだ消えていない。
リリィが“私に邪魔されて破滅した”という筋書きを広めようとする勢力が、細々と活動しているようだ。私はうんざりした表情でソファに腰を下ろす。
「……これが続くのか。リリィ派はもう失脚しているのかと思ってたけど……意外に粘るわね」
アレクシスも苦い顔をしながら私の隣に腰掛ける。
「放っておいていい。もはや危機の要素はないし、近いうちにリリィの公的処分が決まれば、噂は自然と鎮まる。俺は今さら彼女をかばう気もないし、むしろ派閥を解体するための材料にするつもりだ」
頼もしい言葉だが、その背後には“本格的な派閥争い”が潜んでいると感じる。私は心の中で小さくため息をつく。――リリィが招いた波紋は、まだ完全には治まらない。
それでも、私自身は負けない。悪役令嬢として学園で生き延びたように、ここ王都でも堂々と生きてみせると決意しているのだから。




