その後の学園――リリィなき日常の変化
「リリィ・エトワールは、近いうちに王都へ移送される」
そんな噂が、王立学園にじわじわと広まり始めたのは、前章の出来事から一週間ほど経ったころだった。
もともと“聖女”として華々しかったリリィの姿が消え去り、学内の空気はどこかポッカリと穴が開いたような雰囲気を漂わせている。と同時に、「彼女は実は邪悪な魔術を使っていた」という怪情報や「不安定な力で事故を起こした」という話が急激に広がり、リリィを慕っていた生徒たちは混乱に戸惑っている様子だった。
だが、表向きは「リリィは体調不良で休学し、当分学園に戻ってこない」という扱いになっているため、具体的な処分内容までは公表されていない。
王家は可能なかぎりスキャンダルを抑える形で、リリィを学園から遠ざけようとしている――そんな背景が見え隠れする。それを感づいているのは、私やアレクシス、ノエルなどほんの一握りだった。
とはいえ、実際にリリィが学園から消えたことで、私――セレナ・ルクレールを巡る周囲の態度は大きく変わりつつあった。
以前は“悪役令嬢”と呼ばれ、リリィをいじめる加害者として揶揄された私が、いつの間にか「学園を支えている公爵令嬢」「殿下がもっとも信頼する婚約者」として一目置かれる存在に転じている。
そんな急激な転換が、私自身や周りにある種の戸惑いを生んでいるのも事実だった。
「……セレナ様、この書類をご確認いただけますか。学園祭以降、いろいろと決裁を急ぐ案件が出てまして……」
ある日の昼下がり、委員会室で書類を抱えてきたフランシーヌ(前章でも登場した侯爵令嬢)が、私に恭しく声をかける。
私は苦笑しながら書類を受け取り、「あなたにそんなに畏まられると落ち着かないわ」と小さく呟いた。
「いえ、なにしろセレナ様は殿下のお心を得ている方ですし……学園の行事関連も、これからはセレナ様のご意向に沿って進めるべきかと……」
フランシーヌの微妙に敬語な態度は、以前なら考えられなかったものだ。もともと私よりも彼女のほうが“華やか好き”で主導権を握っていたはずなのに、今は私を“上”として立てようとしている。
確かに、学園行事の調整では私の働きが認められ、王子との婚約強化を経て立場が揺るぎないものになった。けれど、自分が威張って指示を出すような性格ではないと思っているので、こうも周りが気を使いすぎると息苦しさを覚える。
(リリィが失墜したからといって、私を持ち上げなくてもいいのに……)
心の中で少しげんなりしつつも、学園の新年度行事や今後のスケジュールを書類で確認し、最低限の助言だけ伝えておく。フランシーヌはそれを受けて、ホッとしたように笑みをこぼす。
「さすがセレナ様……本当に頼りになりますわ。では、私たちで何とかまとめてみますね」
そう言ってフランシーヌは部屋を出ていく。その姿を見送ったあと、私は大きく息を吐いた。
「セレナ様、本当に“みんなのまとめ役”に収まってしまいましたね」
隣で控えていたノエルが、小声で冗談めかして言う。私は苦笑いを浮かべて頷く。
「こんなつもりじゃなかったんだけど……まぁ、リリィの穴を埋める形で学園を支える人が必要だったのかも。たまたま私が王子との婚約で注目を浴びていたし」
それが周囲の新たな指針になってしまったようだ。私はどこか後ろめたく思いつつ、もう一度大きくため息をつく。
しかし、ノエルは穏やかな口調で続ける。
「セレナ様に向いているのかもしれませんよ。政務や人の意見をまとめる役割も、もともと頭脳明晰なセレナ様なら適性があると思います。殿下もきっと、それを信じているのでは」
「……あなたに褒められると、なんだか身がすくむわ。前は自分が何にも興味を持てなかったのに……」
そう、転生して初めは“どうでもいい”と口にしてばかりだった私が、いまや貴族社会や学園行事の仕事をこなしている。人生とはわからないものだ。
ノエルもそんな私を柔らかい眼差しで見てくれるが、その奥にはほんのわずかな寂しさが滲んでいる気がする。もしかすると、ノエルなりに私を“主”として敬いつつも、友情やそれ以上の想いを抱いているのかもしれない。
(でも、それを考えても仕方がない。私はアレクシスを選んだんだから……)
そう心を押し殺し、私は書類を鞄にしまい込む。――これから先、“学園祭後”の新たな生活がどう展開していくか、私自身にもまだ見通しがつかない。
ただ一つ言えるのは、リリィがいなくなったことで“王子に並ぶヒロイン”としてのポジションは私に定着しつつある……という事実だけだ。




