夜の舞踏会――開幕のファンファーレ
夜の帳がおり、祭のメインイベントとしての舞踏会が始まった。
ホールには既に多くの貴族令嬢・令息、そして一般生徒も混じっており、中央には生演奏の楽隊がセットアップされている。壁には色とりどりの花束やリボンが飾られ、あちこちにランタンが優雅な光を放っていた。
乱雑になっていた祭の空気を一新しようと、みんなめいっぱい華やかな装いをしている。私のドレスも人ごみの中に混じっても、ひと際目を惹くように感じる……が、それは隣に王子がいるからかもしれない。
アレクシスは少し離れた場所で何人かと話し込んでいたが、私が視界に入るや否や静かに微笑んで歩み寄ってきた。
彼もまた夜会用の漆黒のタキシードを纏い、鍛えられた身体つきが際立って見える。金の髪を控えめに束ね、まるで“完璧な王子”そのものだ。
「セレナ、そのドレス……想像以上だな」
熱のこもった彼の瞳に、私の胸は一気に高鳴る。まるで周囲のざわめきが遠ざかり、彼との世界だけが浮かび上がるようだった。
「そ、そんな……あなたこそ、今日はいつもよりカッコつけちゃって」
拗ねたように言い返す私に、アレクシスは苦笑して「お前に言われたくないな」と返す。
周りの視線を感じつつも、私たちはごく自然に腕を組む。――これが今夜、私が待ち望んでいた瞬間。断罪寸前だった“悪役令嬢”が、王子のエスコートを受けるなんて、誰が予想できただろう。
やがて、楽隊が演奏を始める。ホールの中央が空けられ、最初のワルツが流れ出すと、参加者たちが次々とペアを組み、優雅にステップを踏み始めた。
アレクシスは私の手をそっと握り、目で問いかけるように微笑む。――準備はいいか、と。
(ええ、もちろん。こんな時を待っていたんだから)
心の中でそう答え、私は笑みを返す。それだけで息が詰まるほど幸せな予感に包まれ、踊り始めればもう頭の中が真っ白になりそうだ。
「リズムはゆっくりだから、焦らずに行こう」
アレクシスがリードしてくれる。一拍遅れて私がステップを踏む。最初の数歩は戸惑いがあったが、すぐに呼吸が合い始める。
ゲームのシナリオでは、王子とヒロインが舞踏会で心を通じ合わせる定番の名シーン。――でも、ここでは私がその役を奪った形だ。悪役令嬢と呼ばれた存在が、王子の胸に抱かれて踊っている。
(こんなの、まるで夢みたい。だけど、もう夢で終わらせる気はない。これが私の選んだ現実なんだから)
周囲を見れば、豪華なドレスやタキシードをまとった人々が円を描き、回転のたびに衣装が舞う。観客席では保護者や賓客も拍手を送り、この学園の最高峰の華やぎを享受しているのがわかる。
胸がいっぱいになり、自然と笑みがこぼれる。火傷の痛みなんて忘れてしまうほど、幸福感に浸ってしまいそうになる。
一曲が終わり、アレクシスが私の手を軽く引いて、中央から少し外れた位置へ移動する。他のペアが踊りやすいように場を空けるためだ。
周囲から「まあ、あの二人……」「まるで本物の王家の婚約者みたい」と囁きが聞こえてくるが、私はむしろ誇らしく思えてきた。もはや“悪役”というより、堂々と王子の隣を務める貴族令嬢の気分だ。
アレクシスは小さく息をつき、私の耳元で囁く。
「ありがとう、セレナ。お前がここまで力を尽くしてくれるなんて……。もしリリィがこれを見たら、どう思うかな?」
その言葉に、一瞬現実へ引き戻される。そう、リリィは今や表舞台を失い、保健棟に隔離されている。もしかすると彼女は、王子が私と踊っている光景に激しい嫉妬を抱いているかもしれない。
でも、私は軽く目を伏せ、首を振った。
「リリィのことは考えないでいいわ。今夜の主役は、私たちなんだから……」
思い切って言い切ると、アレクシスが目を見開き、やがて優しい笑みを浮かべた。
「そうだな。今夜だけは、お前を独り占めしたい」
甘い言葉に、顔が熱くなる。だけど、こんな幸せな気持ち、もっと味わっていたい。誰が悪役だとか、ゲームの筋書きだとか、もうどうでもいい……。
あらたな曲が流れ出し、私たちは再び舞の輪へ加わる。――世界がまわる。美しい旋律に身を委ね、私と彼は情感たっぷりにステップを踏む。
拍手と音楽が交錯し、夜の学園祭は最高潮に盛り上がっていく――はずだった。




