夕暮れ――リリィの“聖女ステージ”開幕
バザーが一段落した頃、あたりがオレンジ色に染まり始める。学園祭はまだまだ続くが、外に露店を出していた生徒たちが片付けに入り、ステージへと人々の流れが向かっている。
そう、とうとうリリィが“聖女の祈り”を披露する時間が近づいてきたのだ。私はアレクシスとノエル、さらに音楽部の友人ら数名を引き連れ、人並みに押されながらステージに向かう。
すでに大勢の観客が舞台前に集まり、ざわざわと期待を高めている。王家の要人や貴族たちも前方の特別席に陣取り、さながら宮廷行事のような雰囲気だ。
やがて、静まり返った空気の中、リリィが純白の衣装を纏って舞台へ姿を現した。金髪を軽く束ね、頭には小さなティアラを乗せている。その姿は、確かに“聖女”と呼ぶに相応しい清楚な美しさを演出していた。
周囲から大きな拍手と歓声が起こり、リリィはゆっくりと微笑む。まるで観客一人ひとりを慈しむような、優しい瞳。――それだけ見れば、悪意など微塵も感じられない。
「みなさま、ようこそ王立学園の祭へ。私はリリィ・エトワールと申します。平民の出ではございますが、聖女の力を少しばかり授かり、人々のために生きたいと願っております……」
しおらしく頭を下げるリリィ。観客が「頑張れ!」「ヒロインだね」「可愛い!」と口々に応援の声を上げる。彼女はまさに理想のヒロイン像を体現するかのように微笑み、両手を胸元で組む。
その瞬間、舞台後方から淡い光が伸び始めた。あらかじめ仕込まれた照明かもしれないが、まるでリリィ自身が発光しているように見える。
「私、これまで平民区での慈善活動や、病院での奉仕活動に携わってきました。聖女として、多くの苦しむ人を救いたい……そんな思いで、今日ここに立たせていただきます。どうか、私の祈りが、皆様の心に届きますように……」
朗々と響く彼女の声。私の周囲でも感動に震えるような囁きが飛び交っている。
「やっぱりリリィ嬢は本物なのだろうか……」「こんなに清らかで、美しい心を持つ方だし……」
耳障りだが、私も黙って見守る。アレクシスは私の隣で腕を組んで表情を引き締めている。視線は舞台上のリリィをまっすぐ捉えているようだ。
――すると、リリィが両手をゆっくりと掲げ、何かを唱え始めた。
「……神よ、どうかこの地に奇跡をもたらし、人々の闇を祓ってください……」
その瞬間、ステージ上に薄青い光が集まり始める。ホタルのような粒が舞い、風が吹き渡る。観客が感嘆の息を漏らす。まるで“何か”が確かに起きているように見える。
私は息を呑む。これまでもリリィは光をまとって“聖女アピール”をしていたが、今日の演出はさらに規模が大きい。まるで舞台全体が青白いオーラに包まれていくようだ。
一歩間違えれば本当に奇跡と言えてしまう光景。――だが、その光に私はかすかな違和感を覚えた。少し前に書庫で感じた、妙に冷たい“魔力”の気配……これと似ているかもしれない。
(まさか、これが禁忌の魔法……? でも、どうやって?)
リリィの顔は優美な笑顔を保っているが、その瞳の奥には奇妙なきらめきがある。観客が魅了されるほどの神秘的な光景の中、私は背筋に寒さを感じる。もし今ここでリリィが暴走したら……。
そう思い始めた矢先、舞台裏で何かが轟音を立てて爆発したような衝撃が走った。ぎゃっと悲鳴が上がり、観客がざわめく。上空の魔道ランタンが揺れ、客席に落ちそうになった。
リリィが一瞬眉をひそめる。もしかして、思わぬアクシデントか? 彼女の計画外なのかもしれない。
「……あれ、何が起きてるの?」
私が驚いてステージ脇を見ると、煙の中から数人の生徒が飛び出してきた。どうやら仕込んでいた魔道具が誤作動を起こし、火花を散らしているらしい。周囲の教師が慌てて鎮火に走っているが、騒ぎが拡大する恐れがある。
リリィは動揺したのか、力の制御が乱れたのか、先ほどの青白い光が急激に揺らぎ始めた。周りにいた観客が「危ない!」「逃げろ!」と混乱し、舞台付近はパニックに陥る。
「セレナ様! 危険です、下がってください」
ノエルが私を守るように立ち塞がるが、私は必死に周囲を見回す。アレクシスはどうしている? あ、いた――彼は騎士たちに指示を飛ばし、火の鎮火と避難誘導に動いている。さすが王子の指揮力。
しかし、ステージ上のリリィが不自然に光の奔流に包まれているのが気になる。彼女はどうしようもなく混乱しているようで、ひどい形相で周囲を睨んでいる。その姿は、観客の見る“優しい聖女”とはまるで違った。
(このままじゃ、彼女が何かしでかすかもしれない……!)
そう思った私はステージに走り寄ろうとする。ノエルが止めようとするが、ここで逃げてはリリィが大暴走するかもしれない。それだけは絶対に阻止したい。
そして、私はローブを翻して舞台に上がり、煙に包まれたリリィへまっすぐ向かう。
「リリィ! 大丈夫なの!? もしその光が制御できないなら、今すぐやめるのよ!」
……と言いながら、私は内心確信していた。これはきっと禁忌の魔力。恐らく“奇跡”の正体はこれだ。
リリィが振り返り、その瞳が血走っているように見える。そして、小さく呟いた。
「どうして……どうしてあなたがここに邪魔しにくるの? …私のはずだったのに……全部うまくいくはずだったのに……」
激しい憎悪を露わにした彼女の顔。それは“ヒロイン”という仮面を外した人間の狂気そのもの。観客は煙と混乱で逃げ惑い、誰一人この光景をはっきりと見てはいない。
(チャンスだ。リリィの正体を暴く機会でもある)
私は臆せず一歩前に進む。
「いい加減、誤魔化すのはやめて。あなたが使っている魔法、聖女の力じゃないんでしょ?」
彼女は苦しそうに呻き、ローブの下に隠していた小さな魔道具を取り出す。まるで結界か何かを展開するような動作だ。ビリビリと空気が震える。
――もしかして、ここで私を消し去ろうとしている……? 危険だ。自分でも本能的に察する。
「リリィ、やめて! そんなことしたら、あなただって無事じゃ……」
叫んだ瞬間、彼女の周囲の光が暴走し始めた。客席からは何が起きているか分からない悲鳴が飛び交い、アレクシスが「セレナ、下がれ!」と怒声を上げる。
でも、私は引くことができない。ここで彼女を放置したら、大勢の人が巻き添えになるかもしれないし、学園祭は壊滅だ。
「……どうして……ゲーム通りなら……私は……王子と……!」
リリィのうわ言を聞きとめ、私は確信に近い実感を得る。やっぱり、彼女も“転生者”か、あるいはゲームの筋書きを知る者だ。自分を“ヒロイン”と信じ込み、ここで最終的な奇跡を起こそうとしていたに違いない。
だが、禁忌の魔力を使った結果、コントロールを失って暴走している。もはや、一歩間違えれば大惨事だ――。
視界の端で、アレクシスが必死に近づいてくるのが見える。騎士たちも応援に駆けつけようとしているが、暴走する光の嵐が阻んでいる。私は歯を食いしばりながらリリィへ手を伸ばす。
「目を覚まして、リリィ! あなたが本当に救いたいのは、何? その禁術を捨てなきゃ、誰も幸せになれないわ!」
どこまで届くか分からない言葉。けれど、立ち止まってはもう間に合わない。私の周囲にも青い閃光が襲いかかり、熱と冷気が同時に身体を蝕む。痛い、怖い――でも、負けたくない。
そして――。




