思わぬ来客――「複雑なる宮廷の思惑」
そんなふうにバザー企画が動き出し、私がワクワクしながら準備を進めていたある日の夕方、公爵家の執事から「急ぎお客様がお越しです」という報告を受けた。
客の名を問うと、なんと王宮からの使者――それも高位の貴族官僚であるヴァルト侯爵だという。アレクシスの父王に近い存在で、“王家サイド”の意向を汲んで動く人物だと聞いたことがある。
(もしかして、リリィの件で何か動きがあった? それとも、私とアレクシスが余計なことをしてるのがバレた……?)
不穏な予感を抱きながら応接間へ行くと、きちんとした礼装を身にまとったヴァルト侯爵が優雅にお茶を飲んでいた。白い口ひげをたくわえ、年配らしい落ち着いた物腰だが、その瞳はどこか測りがたい冷静さを湛えている。
「これは、セレナ・ルクレール様ですな。お噂はかねがね。……公爵令嬢にしては大層な‘野心’をお持ちだとか」
いきなり探りを入れるような物言い。私は背筋を伸ばして挨拶を返す。
「恐れながら、野心など……私はただ、学園祭の準備や、王子殿下をお支えする役目を果たしているだけですわ」
するとヴァルト侯爵は含み笑いを漏らし、小さく首を振った。
「そうご謙遜なさるな。アレクシス殿下が貴女を非常に信頼しているのは王宮でも耳にしております。リリィ嬢との関係で騒がしいと聞きますが……いかがか?」
やはりそうきたか。私は表情を崩さず、「リリィが‘聖女’であるなら、王家としても大切に扱われるのでしょう。私にどうこう申し上げる立場ではございません」とやや皮肉を込めて答える。
すると、ヴァルト侯爵は柔和な笑みを浮かべながら、わずかに目を細める。
「しかしながら、国としては‘聖女’の政治利用も考えねばなりません。彼女には近いうちに正式な試験を受けてもらい、真偽を確かめる所存です。学園祭でもお披露目があるとか。……もし本物ならば、王家も無視できぬ存在となりましょう」
試験――つまり、リリィが真に聖女かどうかを公式に判定する場を設けるということか。学園祭は、その“前哨戦”にすぎない。
私は慎重に表情を保ったまま、「なるほど、試験ですか」と相槌を打つ。
「それに、アレクシス殿下の婚約者は今のところ貴女だが……王家内部ではまだ決定事項とはしていない。殿下が本気で貴女を想っているのか、あるいは他に政治的な婚約者を探すべきか、意見が分かれているのですよ。……もし聖女が本物なら、国中の支持を得られる王妃候補にもなるやもしれませんね」
侯爵の言葉は冷淡というより、事実を突きつけて私を試しているかのようだ。私を脅しているのかもしれない――“公爵令嬢といえど、王家の決定には逆らえない。国益優先で婚約を変えることもある”と。
怒りや不安が込み上げるが、私は必死にそれを表に出さずに平然を装う。
「わかりました。ですが、アレクシス殿下がどうお考えになるかは、私にはどうにも……。私ができるのは、ただ殿下の力になりたいと願うことだけです」
「ふむ、潔いお言葉ですな。……ところで、学園祭で殿下がバザーを主催すると聞きました。いかにも貴女が一枚噛んでおられるとか?」
やはり情報が早い。まだ正式に発表していない企画なのに、もう王宮側が把握しているらしい。
「はい。多くの学生に参加してもらい、売上を慈善事業に回す構想です。将来的には王家としても有益かと思われますが……ご不満でしょうか?」
私が半ば挑戦的に問うと、ヴァルト侯爵は口ひげを撫でながら無言で微笑む。どうやら彼の本心は掴みにくい。
やがて、彼はカップを置き、立ち上がった。
「いえ、素晴らしい試みだと思いますよ。……ただし、あまりリリィ嬢への対抗心を露骨に出さぬように。王宮としては、聖女が人々を癒し、国を救う姿を望んでいますのでな。貴女が“悪役令嬢”になってしまっては、殿下の立場も苦しくなるでしょう」
最後まで含みのある言い回しを残し、ヴァルト侯爵は帰っていった。
私はその背中を見送りながら、苛立ちをぐっと呑み込む。どうやら“公爵令嬢セレナは、国益を損なわない程度に大人しくしていろ”と言いたいらしい。
しかし、だからといって私がリリィに好き放題させる気はない。王家が何を企もうと、私はアレクシスと力を合わせて、この学園祭でリリィの“ご都合展開”を壊すつもりだ。
……ただ、王家や宮廷魔術師が本気で“リリィを王妃候補”に据えようと動き出す可能性もあり、それがどう作用するかは読めない。
いったいどこまでがゲームの筋書きで、どこからがこの世界独自の政治的思惑なのか――。頭が痛くなるが、負けてはいられない。
「ふぅ……リリィも王宮も、まるごとぶっ壊してやるくらいの気持ちでいないとダメね」
そう自らに言い聞かせながら、私は公爵家の重厚な応接室を後にした。
――時計を見れば、とっくに夕方を過ぎて夜が近い。長い一日だったが、休む暇すらもったいない。学園祭まで、そう残された時間は多くないのだから。




