夜の予感――アレクシスとの密談
査問会のあと、すっかり疲れ果てた私が校門を出ると、そこにはアレクシスの馬車が待機していた。王子が自分の護衛を連れて、私を送るつもりで待っていたらしい。
半ば当然のように馬車へ促され、乗り込むと、中はふかふかのシートとほのかな香りに包まれている。ラベンダーだろうか。心が少し落ち着く。
「今日は災難だったな。……リリィの工作が徐々に激しくなってきたようだ」
隣に座るアレクシスが、すまなそうな表情を浮かべる。私は肩をすくめ、「あれくらい、どうってことないわ」と強がってみせるが、本音を言えばへとへとだ。
するとアレクシスは静かに私の手に触れてきた。ドキリとして、そのまま彼の顔を見ると、微かに赤面しているのがわかる。
――まったく、こんなに分かりやすい人だとは。ゲームの冷徹王子像とは全然違うじゃない。
「セレナ、お前が言ったように、ゲームの筋書きがあるなら、今がまさに分岐点だろう。リリィが無理やり事件をでっち上げようとしたのは、その筋書きを進めるためかもしれない」
「そうね。私に破滅フラグを立てさせたいんでしょ。……でも、彼女の作戦は失敗に終わったわ。これでしばらく大人しくしてくれるかしら」
ぼやく私に、アレクシスはかすかに笑みをこぼす。
「お前は本当に強くなったな。前なら、あんなに周りに敵視されたら怯えていたかもしれないのに」
その言葉を聞き、私は思わず首を傾げる。
「前……って、私、昔そんなに弱々しかったっけ?」
「いや、昔のお前は高圧的な態度で自分を守ろうとしていた。……その裏では、人の視線に怯えていたようにも見えた。それが今は、人にどう言われても動じない強さを感じる」
まるで私を褒めるような口調に、照れくささが込み上げてくる。確かに転生前の私が彼女としてどう振る舞っていたかは正確には覚えていないけれど、少なくとも“本来のセレナ”は孤独だったのかもしれない。
ほんの数秒、アレクシスと視線が交錯する。馬車の微かな揺れと、夜の街の静けさが、私たちを妙に親密な空気で包み込んでいる。
「……そ、そんな話より、今後の対応を考えないとね。リリィは私のことを嫌ってるけど、それ以上にあなたと結ばれようと必死だと思う。王家主催の行事だって迫ってるし」
私はわざと話題を切り替える。心拍数が上がるのを抑えるように、口調を強めた。アレクシスも「そうだな」と目を細めて答える。
「父王や宮廷魔術師らが、リリィを正式に招く前に、もう一度きちんと調べるべきだ。……どうにかして、彼女が奇跡を使う瞬間や、不審な行動の証拠を押さえることはできないだろうか」
それができればベストだろう。けれど、リリィも警戒している。下手をすれば、逆に新たな罠にはまるかもしれない。私は考え込み、ぽつりとつぶやく。
「なら、私がリリィに近づいてみる。……彼女が私を敵視しているのは事実だけど、そこを逆手に取って、彼女の地雷を踏み抜きながら真実を暴くの」
仰天プランを出した私に、アレクシスは「危険すぎる」と即座に否定する。しかし、私は譲らない。
「大丈夫よ。私にはノエルもいるし、最悪の場合はあなたを呼ぶわ。……私が動かなければ、ずっと受け身のままじゃない」
「……わかった。だが、くれぐれも無茶はするなよ」
アレクシスは本当に心配そうな表情をして、私の手をそっと握る。その温もりを感じると、嬉しいのか切ないのかわからない感情が込み上げた。
――どうしてこんなにも、彼は私を想ってくれるのだろう? このまま素直に甘えてしまえば、彼との関係はもっと進むのかもしれない。
でも、私は“悪役令嬢”である自分を忘れたくはない。リリィがどうあろうと、最終的に私は彼を本気で必要とするのか……まだ答えが出せないでいる。
それでも今は、彼の協力を借りてリリィのご都合展開を壊す。それだけははっきり決めている。
馬車は大通りを抜け、やがて公爵家の門前に到着した。私は一度だけ「ありがとう」とアレクシスに囁き、降りる。夜の闇が広がる空の下、彼の馬車は遠ざかっていった。
――気づけば、胸が苦しくなるくらい切ない想いが芽生えている。だけど、今はその気持ちに名前をつけたくない。私は悪役として、やるべきことを全うするしかないから。




