廊下ですれ違う視線―「ヒロインの焦り」
昼食後、私は教室に戻る途中でリリィと遭遇した。周囲には数名の生徒がいたが、彼女は私を見つけると明らかに嫌悪感をにじませた視線を向けてくる。
「セレナ様……殿下の前で猫を被っても、無駄ですよ。いずれあなたの本性が暴かれますわ」
低く刺すような声。そのトーンは、たった今まで“か弱いヒロイン”を演じていた人とは思えないほど刺々しい。私は思わず眉をひそめながら、軽く肩を竦めた。
「私の本性、ね。あいにく自覚がないの。あなたこそ、どんな目的で殿下を利用しているのかしら?」
挑発的な言葉を返したわけでもないが、リリィの顔色が変わる。周囲に聞こえないように、彼女はさらに声を潜めた。
「殿下は、私と結ばれる運命にあるの。あなたは所詮悪役令嬢、舞踏会でも断罪されかけたのを忘れたの? ……婚約破棄される身分にすぎないくせに、図々しいわ」
その発言に周囲の数名が顔を強張らせる。彼女の口ぶりはまるで、“この学園が自分の思い通りになる”とでも言いたげだ。
――リリィも転生者では? と疑いたくなるほど自信満々だが、その真偽はわからない。ただ、彼女が“正史ルート”を信じ込んでいるように見えることは間違いない。
ゲームの筋書きとしては、平民出身の聖女リリィが王子を射止めるという王道エンドが用意されている。だからこそ、悪役令嬢の私が裏切られるのは既定路線……という考え方だ。
だが、現実のアレクシスは既に“保留”という形で私を見捨てていない。それどころか、優しくアプローチすらしてくるようになった。リリィにとってはそれが面白くないのだろう。
ここで私はほとんど確信する――リリィはゲームのルートを自覚しているか、あるいは“自分こそが王子に選ばれる運命”と盲信しているのだ、と。だから私がその道を阻む存在だとわかって、苛立ちを募らせているに違いない。
「……残念だけど、私には私のやり方があるの。あなたに言われて引き下がる気はないわ」
そう言って私はリリィを正面から見返す。すると彼女は唇を噛み、悔しそうに一瞬瞳を伏せた。
その姿にかすかな罪悪感が芽生える。実際に彼女が平民出身の努力家であるなら、こんなふうに対立するのは気乗りしない。けれど、あの涙と演技はどうも胡散臭いのだ。
――いずれ、真相を確かめる必要があるだろう。私は胸中でそう決意して教室へ向かった。




