学園での噂―「ざわめく視線」
門をくぐった瞬間、学園の敷地内はざわついていた。貴族や平民出身の生徒が入り混じるこの場所でも、第一王子アレクシスと公爵令嬢セレナの“断罪騒動”はすぐに広まったらしい。
ただでさえ注目を浴びる二人なのに、今朝、同じ馬車で登校してきたのだ。まさに格好の噂の種だろう。
「ほら、あれ見て……昨日あんなことがあったのに、どうして一緒に……?」「セレナ様、婚約破棄されるんじゃなかったの?」「まさか和解? いや、そんなバカな……」
そんなひそひそ話があちこちで飛び交うのを感じる。私たちが校舎へ続く道を歩くたびに、人垣がざわざわと波打つのだ。まるで見世物のよう。
アレクシスは真顔で前を向き、堂々と歩いている。王子としての威厳か、それとも昨夜の決断を揺るがすまいとしているのか。その隣を歩く私も、内心のドキドキを隠しながら姿勢を正すしかない。
すると、学園正門の先で見覚えのある姿が待ち構えていた。――リリィ・エトワールだ。
彼女は平民出身の学生としては珍しく、学園指定の制服に白いレースをあしらったケープを羽織っている。その淡い金髪と大きな瞳、華奢な体つきに目を潤ませている姿は、相変わらず“守ってあげたくなるヒロイン像”そのもの。
が、今はその瞳にほんのり敵意が混じっているように感じられるのは、私の気のせいではないだろう。
「アレクシス様……!」
リリィがまっすぐ彼に歩み寄り、その瞳を潤ませたまま言葉を捻り出す。
「昨日のあの騒ぎは、いったい……セレナ様が私にしてきたことを、すべて水に流してしまわれるのですか?」
周囲が息を呑んだのがわかる。リリィは“小動物のようにか弱く見えるけれど、芯は強い”という評価を受けていて、特に男性受けが良いキャラクター。今、この場でアレクシスを問い詰めるように見える態度は、彼女にしては珍しく積極的だ。
何より、その言葉が「セレナが悪い」と強烈に主張しているのが明白。私に対して堂々と牽制球を投げてきたように思える。
アレクシスは静かにリリィを見つめ、「……まだ、何も片付いていない。それに、セレナがやったことが本当にすべて真実なのか、俺は再度確かめたい」と低い声で言った。
その声には威圧感すら感じられる。リリィの表情が引きつり、人々も再び囁き合う。
「セレナ様の悪行って、本当は誇張されていたの……?」
「でもリリィ嬢は昨夜、あんなに泣いてたし……」
そんな戸惑いが渦巻く中、私は無言のままアレクシスの横に佇む。リリィが私を睨みつける視線には、かすかな焦燥が見えた。
もしかして、あの舞踏会の場で断罪が行われるはずが、王子の意志で中断されたことにリリィは驚いているのだろうか?
「……そもそも、私は何の嫌がらせをしたって言われてるわけ?」
試しに私が声を出してみた。もちろん、実際にセレナがリリィへ加担していた嫌がらせはあったのかもしれない。けど、転生直後の私には記憶が無いので、正直なところ何も分からないのだ。
だが、その問いかけがリリィの表情を強ばらせる。
「そ、そんな……あなたは自分のしたことを忘れたのですか? わたくしの机に泥を塗ったり、教室で――」
リリィは涙声でそう訴えようとするが、その途端アレクシスが「それは本当にセレナがやったのか?」と遮った。
「王立学園において、そんなわかりやすいいじめを誰にも気づかれずに行うなど不可能だ。しかも、セレナは成績優秀者で、周囲から冷ややかに見られていたことはあっても、一方的に悪評が立つほどあからさまに振る舞うものだろうか。……俺はそこに疑問を感じている」
まさかの展開に、リリィだけでなく私まで驚いた。成績優秀だとか、周囲から冷ややかに見られていただとか、その情報は私も知らなかったが……。
王子はどうやら、最初からリリィの言う“セレナの悪行”を鵜呑みにしていたわけではないらしい。むしろ、どこか疑っているようにも聞こえる。
「でも、セレナ様は……私を見下していたのは、事実ですわ。貴族の出であることを振りかざし――」
苦しそうに言い募るリリィ。しかし王子はその言葉にも動揺せず、むしろ冷静な目を向ける。
周囲の生徒たちは息を潜め、私と王子とリリィのやり取りを見守っている。まだ詳しい話はわからないが、どうやら“リリィの一方的な主張”も疑問視され始めているらしい。
私は胸の中でつぶやく。――どうやら、ゲームの王子ルートとはまったく別の方向へ事態が進みそうだ。
リリィは追い詰められたわけでもないのに、やけに余裕を失っているように見える。この違和感が、後々の大きな波乱につながるのだろうか?




