翌朝の動揺―「王子の迎え」
「セレナ様、朝でございます。お目覚めいただけますか?」
微かなノックの音と、メイドの柔らかな声で私は目を覚ました。
まだ寝ぼけ眼のまま身体を起こし、重たいまぶたをこすりながら辺りを見回す。そうだ、ここは公爵家の邸宅、私の寝室……。昨夜の疲れもあって、身体がだるい。
「ああ、うん……ごめんなさい、もう少しで起きるわ」
不器用な返事をすると、メイドは「かしこまりました」と返して部屋を出て行く。
私はベッドの上でぼんやりとしばらく座り込んでいた。――考えることが多すぎる。このまま婚約破棄にならないなら、どう振る舞えばいいのか。そもそも、ゲームのヒロインのリリィが黙っているとも思えないし……。
と、そのときメイドが慌てた足取りで戻ってきた。
「せ、セレナ様、じつはあの……第一王子殿下がお屋敷の前にいらっしゃるそうで……!」
「……え?」
寝起きの頭では理解に時間がかかる。王子殿下? こんな朝早く、私の家まで?
不可解な思いが湧きつつ急いで身支度を始める。あの断罪未遂の翌日に、どんな顔で私に会いに来るつもりだろうか。いや、まさか本当に来るとは……。
メイドが手際よく着替えを手伝ってくれ、私が髪を結い終わる頃には心臓が不安でバクバクだ。廊下を早足で進み、一階の応接間に向かうと、そこには執事や護衛騎士たちがざわざわと気を利かせて待機している。
そして、部屋の奥に立つのは――アレクシス・ヴァレンティア本人。
昨日と同じように金糸のような髪を品よくまとめ、端正な顔立ちでこちらを見据えていたが、なんとなく表情が固い。とはいえ、その瞳には昨夜のような苦しさは見えない……ほんの少し落ち着きを取り戻したのだろうか。
「おはよう、セレナ。……体調はどうだ?」
まるで気遣うようにかけられた言葉に、私は思わずたじろぐ。こんな朝からわざわざ来て、“体調はどうだ”などと聞くものだろうか。混乱して固まる私に、彼は一歩近づいて声を低くする。
「断罪は……まだ保留だ。今、お前をさらなる疑惑に巻き込まないためにも、一緒に学園へ向かおう」
学園――そうだ、私たちが通っている“王立学園”が本来の舞台だった。貴族の子弟たち、王族の者も含め多くが在籍する場所で、物語の中でも主要なイベントの宝庫と言える場所だ。
あれだけの騒ぎを起こしておいて、学園へ行くのは正直気が重い。だが、アレクシスはまるで当然のように私を馬車へと誘う。
「昨夜の件で、学園もざわついている。俺とお前がどういう状況か、周囲はまだ正確に把握していないはずだ。……下手に別行動すると、余計な噂が加速するだろう。だから今日だけは、俺が責任を持って送り迎えする」
責任を持って、という言い回しに、私の心臓が変な鼓動を打った。ああ、まただ。昨夜もそうだった。彼が私に向かって“婚約者”だと意識している態度を示すたびに、胸の奥で名状しがたい感情が騒ぎ出す。
「……わかりました」
断る理由も見当たらず、私は小さく頷く。見たところ、アレクシスは平然を装っているが、その耳の先がわずかに赤いような気がする。違うかもしれないけれど。
周囲の使用人は、驚きと興奮で若干そわそわしている。断罪寸前と思われていた王子が、こんなにも紳士的にセレナを迎えに来るなんて……。私だって混乱している。




